「人権」というものは、人類の生産力の増大とともに、人を生かせておくことが可能となったがゆえに発明され、やがては無条件に与えられるのが当然視されるようになってきた。社会問題ネタ、目次へ
しかし全ての人類に無制限に与えると、その必要とする資源は莫大となり、地球環境が持たなくなってきたことも確か。したがって、人権の無条件・無制限な拡大に歯止めをかけ、ある程度は選別して与えなければならない、ということも明白になってきた。これもまた正論といえよう。人権の付与と制限。この二つをうまく統合するために、基本的人権の構成要素として「自殺権」を明確に認めることが決定された。具体的な動きがはじまったところだが、これを契機に社会が過剰人口を減らす方向にすすんでくれれば、それはちきゅうにとってもいいことであろう。
従来も自殺は容認されており、実行に移す人も少なくなかったわけだが、権利として認められていたわけではない。その証拠に誰もがほとんど無条件で止めるではないか。更には税金を使って自殺志願者の考えを無理にでも変えようとしていた。ところが自殺のメリットは地球環境への付加軽減以外にも決して少なくない。遺族に保険金が入ったり、借金がチャラになったり、介護負担がなくなったり、ということもある。一概に否定してしまうのはどうだろうか。
というわけで「自殺権」を「人権」の一部とみなし、尊重する動きが出てきたことはもっと高く評価されてしかるべきではなかろうか。ただし、自殺を実行するに当たってはいろいろと問題がある。実施後の死体をどうするかというのが大きい。また「痛そう」というとてもプリミティブなこともある。ところがこの両者を一気に解決する手段が開発されている。新種の「自殺薬」である。
いままでは自殺権が認められていなかったため、例えばメッキ用の薬品である青酸カリや、場合によっては睡眠薬が自殺に流用されてきた。既存薬品の目的外使用であるから当然に無理はある。これが苦しんだり、後遺障害をもたらしたりする根本原因であった。しかし権利として認められたため、楽に死ねる自殺のために開発された薬剤が開発されて、使用される目処が立ってきた。具体的には「脳死」をもたらす薬である。法制度の手直しが順調とは言いがたいが、まもなく承認第1号が誕生する見込みである。臨床実験をどうするかって?死刑も電気椅子から安楽死に向かい、死刑囚の人権もより、保護されるようになったといえばおわかりだろう。
この「脳死」によって臓器がリサイクルできるようになり、死体処分の問題も解決すると、こういうわけだ。内実を少しばらすと鉄道会社がこの辺を積極的に推してくれている。ダイヤを乱し、サービス低下につながる「人身事故」削減が期待できるためだろう。
(鉄道会社に限って言えば、自ら死んだほうがマシと値踏みした死体の搬送路確保のために、何百人の生きている人間を本人たちの意思に反して1時間近く改札内に留めるという行為は、自殺権も人権の一部として認めらてなければ決してあってはならないはずである。)ところが脳死と臓器リサイクルは有機的に連携しなければ実用的ではない。これを担うために従来の「自殺予防総合対策センター」は発展的に解消し、「自殺総合支援センター」に改組されることになっている。ここでは自殺志望の人を受け付け、財産の処分を中心とした法的手続きのサポート、葬儀や墓の手配、実施までの生活、臓器提供先の選定、そして管理された自殺薬の使用と脳死後の臓器リサイクルに必要な処置を行うことになる。リサイクルで得た収益で国庫への納付金拠出が可能となる見込みだ。納付金の利用についてはきちんと目的を制限した有効な活用が望まれるが、残念ながら議論は収束していない。
私はこの、自殺総合支援センターの初代センター長に内定しているのだが、今、私を引き摺り下ろそうといろいろな人が動いている。この場でみなさんのご支援を賜りたくお願いしたいが協力してくれるだろうか。
臓器は医療のために分け隔てなく有効活用するつもりなのだが、ここに「利権」を感じる人が少なからずいるらしい。
正直ある程度はやむをえない、と考えているとリークして自分の地位を守ろうと考えているのだが、どうやら私が心ひそかに考えていることがばれちゃっているようなのだ。 自殺志願者はセンターの門を叩いても、実行まではしばらく待機させることにしようと思っている。その間に他の自殺志望者と話し合って、なんとなく生きる気力を取り戻すことを期待しているのだ。若い人同士が人生に絶望しているがゆえに魂の奥底まで話し合った結果、カップルが誕生しても不思議ではない。一組でも二組でも生まれてくれれば。あるいは親友ができて、もう一度がんばろう、なんてシーンを待望しているのだ。
しかし、そうなると流通する臓器が減る。所長は言葉で人をその気にさせるのが上手だから、いるとまずい。志願者には速やかに念願を実行に移してくれたほうが、いろいろと見返りがある。そんなことを思っている人が少なからずいるようなのだ。このようにセンターの準備を反故にして帰っていく人があまりにも増えると、センターが赤字になり、トップが責任を取らされる可能性がある。すると稼働率アップのために別の施策を打ち出すかもしれない。たとえばセンター外での自殺に対しては遺族に高いペナルティを課すとか。 それをどう防ぐか。私は矢面に立つ覚悟を持って臨んでいたのだが。
他の誰かがやれば、ひょっとしたらタダの臓器提供機関になってしまうではないか。そうなっては遅い、だから私は今まで白い目で見られながら、ようやくここまでこぎつけたというのに。