宿題を無料で頼める子の心理

 なっつやっすみー、と児童生徒が喜ぶ時期は去り、
 高校野球が終わった後には宿題の山が残っている。

 そこでネットに頼る人が出てくる。
「税の作文を書いてください」「感想文を書いてください」。
知らない人には意外だろうが、平気でこういうことを書き込む子供がネットでは後を絶たないのだ。
 それに対して「去年の大賞」をさりげなく写してあげたりする優しい人もいるのだが、大半の人は無視である。そりゃそうだろう。書いてやって何の得があるというのだ。それは自分の子供のためなら書いて差し上げますけどね。ということはネットに頼る人は親に泣き付いても書いてくれなかったということか。それとも泣きつく親がいないのか。
 確かに孤児というのは日本でも500人以上いるようで、その人たちが一斉に「誰か書いて」と言っているといるかもしれないな。しかし孤児の皆さんの方が税がいかに自分たちの生活に役立っているか実感できるだろうから、むしろ書きやすいと思う。心無い言い方か?でも我が家は税で補てんしての減免措置、なんて何も受けてないんだぞ。だから所得の再分配のメリットが実感しにくいのだ。法人税への貢献を入れるとマイナスかもしれん。書くことはその分減るんだからな。皆でお金を出し合って警察を雇っているくらいか?

 だから「税の作文を書いてください」という人は孤児ではないと思うんだな(そもそも私の知る限り、彼らにはそんな甘えた社会認識はない)。つまり泣き付いても協力してくれない親の持ち主、ということで、この親にしてこの子あり、と暗い気分に納得してしまうのだ。いったいどうして自分の親すらもやってくれない「作文の代筆」をネットで頼めばだれか見ず知らずの人がやってくれるという気になるのだろうか。
 それは対価を出せばやってくれる人もいるだろう。1枚5000円なら引き受けるという人くらいは知っている。(私がやってもいい。)楽しいお付き合いを前提に、とかわいい子から言われれば、税の作文くらい書きましょう、と申し出る人は多かろう。なのに「書いてくれ」という書き込みは散々見るが、対価の申し出はない。せめて「書いてくれた人にはうちの畑で採れたトマトを送ります」くらいはあってもいいと思うのだが(確かに実の親はトマトあげるからと言われて書いてはくれまい)、そういうものは見たことがない。

 ただでやってくれる人がいると期待している子供の数がここまで多いというのは、あまりにも不自然だ。ひょっとしてネットには一見「無料」のものがあふれているために、「ネットだとタダが普通」という意識をもった人たちが量産されているのだろうか。確かにLINEとかに登録するとメールも電話もゲームも無料、らしいからね。

 よく言われることだが、それらは決してタダではない。ゲームの有料アイテムの「撒き餌」であることもあるし、個人情報や交友関係と引き換えということも多い。全く対価なしのフリーソフトウェアだって純粋にタダではないんだよ。
 私もフリーソフトウェアの作者だから聞いてくれると思うが、ユーザーは「サーバー上のファイルを自力で複写」するという労働を強要されているし、「自分のハードディスクの容量を消費」するという対価を払っているのだよ。
 だとしても確かに安い。しかしなぜその程度のコストで済むかというと、それは他人が自分以外のために作ったものを「複写」しているだけだからだ。ん?日経BPのサイトの記事がタダで読めるのは?って。それは金払ってくれる人がキミのほかにいるからだよ。

 つまり既にあるものを「複写」するのは複写の手間を払う限り「無料」だってことだ。
 言ってみればフリーであるものは自分用のコピーを自分で作っているのだよ。いわば原版は使っていいよ、と言われているので、紙を用意して、印刷機を回しているのだ。
(無料記事を読むのだって、オンラインに保存されたものをURLを打つという手間を払ってディスプレイ上に「複写」しているんだよ。)

 発表したソフトについて、要望があれば応じることはあるが、それはその人のためではなくて「なるほど、そういう機能があれば便利だな」と作者として思ったからであり、要望をくれた人のためにプログラムを書き直しているわけではない。だから私は要望をくれた人に礼を言う。「自作ソフトがより便利になる方法を考えてくれてありがとう」ってね。もし、要望をくれた人のために作ったのであれば、私に限らずフリーソフトの作者が礼を言うはずがないでしょ。

 だから、ネットで無料のものと、「税の作文を書いてください」「読書感想文書いてください」というのは、まったく別のことなのだ。ん?facebookのサービスは無料だろうって?なら個人情報を打ちこんで、かつ自分の写真をつけて「書いてください」とでも言うつもりかね。確かにかわいい子なら書いてくれる人もいるだろうが。

 タダで、というのは認識違いではあるけど、子どもであればその思い込みも無理もないところはある。だって赤ちゃんは泣けばミルクが出てくるし、子供はおなかがすいたよー、と訴えればタダでご飯を食べさせてもらえる。パパー、遊んで、と言えば当然遊んでもらえる。(くたびれきってない限り。)だから親ではなくてネットに子守をしてもらっていた子は、ネットからもらったものを親が提供するサービスのように「無料」と思っているかもしれないね。
 だから、パパ、遊んで、と言われたら出来るだけ遊んでやった人間として、今「あそんで」と言われても「ネットに無料のゲームがあるだろ」とそっち方向には振らないようにしている。パパのサービスと同じように「無料」と思っては困る。「宿題が分からない」と言っても「ネットで調べろ」とは絶対に言わない。非常識な子供に育つ可能性があるからだ。

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