税のもたらす社会不安

 宿題の「税の作文」。ネットでパクッたら、同じ文章をパクッたひとがいて、かぶってしまいばれちゃった!なんてファンシーな人がいたんですね。

 しかも「どうすればいいでしょうか」とネットで聞いてくる。今度はイイワケがかぶるのではないかという心配はないのでしょうか。

 相談を受けるとブツブツ言いながらも解決策を見つけたくなるのは私の人のいいところ。見事に言い逃れを考えつきました。
「税の作文は書いたんです。でも主催者の意図に沿ってないじゃないかと寸前に指摘され、どうしていいかわからなくなって、おもわずネットにすがりついてしまいました。」
 怒られはするが「人の目を気にするより、自分で考えることの方が何倍も大事だ」と怒り方が「指導」に変わる。青春ドラマ風の怒りなので先生としても悪い気分にはなるまい。ただし「じゃあ、書いたものを明日持っておいで」と付け加わる。
 要するに1日期限を延伸しただけである。またその作文は「なるほど、これは提出を遠慮するはずだ、でもきちんとかけている」と先生を納得させるものでなくてはならない。つまりは時間の対価としてハードルが上がることになる。

 投稿した後に思った、言い訳を教えるだけでは無責任だ。怒り狂う先生を前に、本当に使ってしまったとしたらフォローがいるかも、と、きちんとした論旨の作文を例によって5枚ピタリ、つくっちゃいました。
 作文作ったよー、って追加で書き込んだんだけど、質問した本人、欲しいって言ってこないんだよね。それとも横からパクった友達が先にこの言い訳を使ってしまったか?

 余ってしまったので「誰かいりませんか?」と問うが、誰ひとり名乗り出ない。まあ夏休みも過ぎた。オワコンだからなあ。もったいないので、またもや自分のWebページのコンテンツにする。


 税とは必要悪である。高い税金が社会不安をもたらしたという例は歴史上いくつかある。例外的にアル・カポネ逮捕の直接要因になったという貢献もあるが、通常は重税に耐えかねた民衆が蜂起し、という結果につながり、わが国でも江戸時代の一揆が数多く記録されている。帝政ローマのヴィスパシアヌス帝が「最高の国税庁長官」と言われて、ローマ帝国の発展と安定に寄与したというのはあるが、これは所得税10%、消費税1%という安全ためのコストとして多くの人が納得して払える範囲の税率だったからであろう。
 しかし近世以降、税の多様化とともに単なる税率の高さから来るのではない社会不安が局所的ながら見られるようになった。日露戦争の戦費調達として定められた「固定資産税」である。その先祖は、島原の乱を招いた松倉氏の「窓税」「棚税」なのであろうが、現代の固定資産税は、地方税であるがゆえに、自治体の規模とかけ離れた税収が発生してしまうところに問題がある。例えば川の上流にダムができる。山間の村にいきなり巨大な固定資産税収が入るようになった。気が大きくなってハコモノを作る。ところが維持費が馬鹿にならない。一方、ダムの減価償却は進み、税収は次第に減る。もともと人口の少ないところだからハコは収益を生まない。維持費がかさみやがては借金をする羽目に陥ることも少なくないそうだ。計画性がなかったといえばそれまでだが、それだけで片づけるのも気の毒である。
 しかも固定資産税とそこから波及したと思われる別の税は、世界に前例のない大事故の一因となった。原子力発電所にも当然固定資産税はかかり地元の収入となる。さらに法定外普通税である核燃料税もある。自治体によっては使用済核燃料税まで課すところもある。
 減価償却が進むにつれ、原発といえど納付する固定資産税は減少する。すると先ほど挙げたダムのある山間の村のような維持の大変なハコモノが残る、ことになるが、この場合は打開策がある。原子炉をもう一つ誘致するのだ。かくして福島第一原子力発電所には、十分に広いともいえない敷地の中に6基もの原子炉がひしめくことになった。
 スリーマイル島もチェルノブイリも事故を起こした原子炉は1つだけである。しかしながら、福島では3つの原子炉が吹き飛ぶということになったのだ。それは津波という外部要因ではあった、しかしこれが1基、せめて2基であればもうすこしなんとか。汚染水の量も少ないし、初期対応にも余裕ができたろうに、と思わぬひとはおるまい。
 しかも原発停止によって落ち込む税収を補てんしようと、各立地自治体は核燃料税を停止した原発からも徴収できるように条例を変更している。さすがに福島県は「それは再稼働を前提とすることになる」として踏みとどまっているようだが。
 結局は「不動産」に対し「ある」というだけで課税するという発想がよろしくないのだ。戦費調達の特例としてであれば頷けなくもないが、そのまま固定化したがゆえに弊害が生じてきたわけだ。固定資産に課税するとしても、その資産が生み出す「価値」に対して課税するべきであろう。すなわち「きちんと有効活用すれば、これだけの価値が創出できるはず」という潜在力に課税するべきである。ならば「ただ持っているだけでは税を払うだけだ、有効活用しよう」という誘因が働いて、地域産業も活性化するはずだ。その意味では同じ固定資産税でも「路線価」に課税するというのは一定の説得力がある。銀座の真ん中の土地は活用せねば負担になるように、だ。
 その場合でも「日露戦争の戦費調達」という由来を考えると、一度廃止した方がロシアとの外交上有利に働くと思うのではあるが。
 では、その分落ち込んだ税収を何でカバーするかというと、不動産に限らず有効活用すべきと思われる資産に課税するのがよかろう。大前研一氏らが提唱しているナンバープレート課税、のようなものである。預金利子に対する所得税といったものも、この発想で組みなおせば視力検査のような利率で預けていたままでは税負担が相対的に高すぎるとして、預貯金が投資に向かい、経済の活性化が見込まれる。それは税収の自然増をもたらすことにもなるだろう。
 振り返れば江戸時代は単なる収穫に課税していた。これでは農民の生産性向上を刺激するには不十分であり、歳入不足を補うためには増税に頼るしかなく、しばしば社会不安を招いたわけである。
 これに対し明治政府は地租という形で、土地の潜在力に課税したわけで、それ以上に稼いだ場合はまるまる所有者の利益となる。このように当時の急速な国力の増大はその税制にも理由があったのではないかと思う。


 読み返すと、割とマトモだ。
 しかし、なんにでも税金をかける役所が、無料で税の宣伝文を書かせるなんてひどいよね。せめて書くと税金が還付される、程度の特典はないと。
 あっそうか。所得税徴収できない中高生を徴税代わりに働かせているわけか。
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