「怠け病」の誕生

 我々は皆怠け者である。
 怠け者でないとしても、見たくないことから目をそらすために、別のことを余裕なくやっていることが多い。(余裕があってしまうと、自分は余裕がないと思い込んでしまうように精神面のサポートができる。)
 しかるに怠け続けない理由は何か。
 怠けると自己の存在が危ういからである。

 動かねば生活質料を得ることもできなければ、社会的な関係を構築することもできない。(異性を獲得することも含まれる。)なので、臨界点に来たとき、どんな怠け者も動き始めることになる。

 問題はこの「臨界点」がどこにあるか、である。
 実質的に体力のない人間は動き出すのにコストがかかるから、この臨界点が高くなる。社会が豊かになって生活保護で生きていけるようになると、テレビを見ていれば満足できる人間はとても臨界点が高くなる。ついでにいうと、正社員の待遇がいい大企業は、この臨界点が高くなる。中身はブラックでも外観はホワイトを取り繕う必要のある信用第一の大企業はこの臨界点がさらに高くなる。身分の安定しているお姫様の臨界点はマスコミでいくら叩かれようがどこ吹く風、というほど高くなる。

 こう考えると、新型うつ病、とやらは、むしろ「経済的な」病気であるといえよう。なので、もうすこし日本が貧しかったころはあまり目立たなかったのだ。それでも単に動きたくないだけでは後ろめたいのだろう、精神が働かないことの言い訳を自ら作り出す。というわけで、動きたくない時にはうつ病を発症する。人間の精神、これくらいのことはやってのける。そもそも、身体的に(脳を含めて)全く問題がないのに、なぜか体が動かない。こんな現象が出てきたとき、その理由を説明しようと、見つけられたものが精神病なのだ。つまり人間の精神は、自らを精神病にすることくらいできる。「新型うつ」とはこういうことじゃないかな。(ちなみに、都合のいい時だけ元気になる精神病は昔から存在している。)

 鬱にまではならない前段階を見事に表現したフレーズとしてツボにはまっているのではと感心しているのが「働いたら負け」。言葉の意味はよくわからないが、働かなくても食っていける経済的環境があるから、こういう言葉を作れるのだろう。
 そして発症メカニズムすらも「経済的」だ。需要曲線(働かんならんという必要性)と供給曲線(働くための資源、つまり気力体力)があって交差する時点までは発症し、交差点を過ぎると治ってしまう。さきほど「臨界点」と書いたのは、この2本の曲線の交点をイメージしてのことだ。乱暴かなあ。でもこれで説明できることもあるぞ。例えばこれが「働く」でなくて「遊ぶ」だと需要曲線は劇的に下がって、発症の臨界点は息をすると同じレベルまで下がってくる。かくしてあっというまにうつ病は回復する。というわけで日本一有名なこの病気の「患者」も、公務はキャンセルだが、旅行や外食となると元気に動くそうな。

 んでもってこの病気が現代になって急激に躍進してきた理由は、働かなくとも、働くより楽に生活していける(少なくとも医療費は安く済む)ようになったという経済的理由のほかに、働かないことによる「サンクション」が下がってきた、こともあると思っている。
 一つには「新型うつ」が周知されて、働かないことに対する社会的サンクションが薄くなってきたこともあるだろう。診断書まで書いてもらえれば、むしろ仕事を言いつける上役の方が悪者にされてしまったという例もあるようだ。かくして「偽装うつ」なんてのも話題になる。医者の前での面接マニュアルがあって、無事「うつ」と診断されると、その人は喜ぶそうな。

 しかしながら問題視したいのは、嫌な人間を無理矢理働かせる(あるいは勉強させる)ことはよくない、という価値観(これもなぜか「人権」だ)が蔓延してきたので、ひとを無理矢理動かすときに重要な役割を果たす上位自我が「子どもの人権」その他で弱まってきたことが挙げられそうだ。かくして、ここでこの「新型うつ病」は経済的現象から、心理学的な現象となる。神経症の一種と呼んでいいのはこれを証明してからだろう、かな。

 だから現在の「新型うつ」は、経済的事象と見て対策をとった方がいいのではと思っている。先ほどは「需要/供給」曲線に絡めたが、「投入/算出」と見てもいいかもしれない。がんばっても報われない。働かなくなる立派な理由ではないか。「新型うつ」といかにも精神病であるかのようなレッテルを貼っていいのであれば精神障害者総合雇用支援策と連携、ってことにも目を向けるべきだろう。

 でも物事はそこまで「まじめに」取り扱う以前の段階で収束しそうだ。
 うつの皆さん、安心して動いてみよう。働かなくても何とかなる社会においては、働いて糧を得るのも、そんなに難しいことではない。
 いかん、これでは「オダジマ終止」になってしまう。

 その場合、働く気を再びなくすような「理不尽」というのをいかにしないか、これが問題となる。新型うつから立ち直ろうと仕事をはじめ、拙いながらもよかれとせっせとまとめたことが、「コネに胡坐をかいている」人に、理由もなく却下されてしまえは、今度はホントに働く気力をなくしても、私はそれを責められない。
 こう考えると、新型うつというのは、切羽詰まった環境にあるのに、既得権に波風を立てまいと動かない日本の組織を何とかしようと発生したスタビライザーだ、と積極的に捉えることもできそうだ。
 でもまずは自分の足で立ちあがって、学校や会社に来てくれないとね。ん?職住近接をすすめろってか?(つまり社会復帰/参加に必要な気力・体力を減らすということで、在宅勤務や在宅学習の推進も解決策なんだよね。)

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