意見文の書き方

 夏休みの宿題を何とかしてもらおうとネット上を漂流する若人のおかげで、世の中にはアホが蔓延していることが改めて浮き彫りになった。しかしながら宿題に迷う程度だから若人自身があほなのは当然としても、それを指導している教員自身がアホかどうかはそれだけでは判断できない。
 が、多分「あほ」なのであろう。というのは、若人の題材の選び方がアホだからである。内容があほなのは若人のせいだが、題材があほなのは教員の指導不足である。

 意見文というのがあるらしい。んでもって「ごみのポイ捨て」について書きたいんですって(そんなのが複数)。困っているようだが当然だろう。教員はこんなものを例に出してはいけない。どういう題材であれば意見文がかきにくいか理由づけて教え込むという指導がかけている。書きにくいのは当たり前だ。ごみのポイ捨てに対しての評価が定まっているからである。今更付け加える意見はない。
「ごみのポイ捨てはいけないと思います」
要約して、これ以上のことをかける人間にお目にかかりたい。

 これが犬猫の殺処分、だと多少は書けるだろう。たしかに世間の合意は形成されている。ただし反対意見もないわけではないので形成された合意は「殺処分は可哀そう、もちろん犬猫を捨てないような啓蒙活動はこれからも行わなければならないし、里親探しも力を入れているのだが、それでも最後は仕方がない」程度に長くなる。なので、もう少し膨らませることが可能となる。しかしやはり評価自体は定まっているので意見文のネタとしては不適切といえよう。
 ただしこのネタを別の角度から、「意見がなくても文章テクニックだけでそれっぽく仕上げることができる例」として取り上げることは有効だと思う。教員群もそういう指導をしてくれればいいのだがねえ。どうするって?歴史勉強しておくといいよ。(歴史を勉強しておくとこういうとき役に立つ、という誘因も作れる。)つまり歴史的に「犬の殺処分禁止」が社会基盤にきしみを与えた例があることに思い当たればそれが主題にできるのだ。いえいえそんなに難しいことじゃありません。「生類憐みの令」。誰でも思いつくでしょ。

 ということで、書き出しは「犬猫の殺処分に動物愛護の観点から反対する人がいる。心情的なものは理解できなくもないが、残念ながら必要悪としてでも支持しなければならない。というのは殺処分を禁止したために、当時の社会基盤に悪影響を与えた例がこの日本にあるからだ。『生類憐みの令』。徳川幕府第五代将軍綱吉が発布した天下の悪法として知られているあれ、である。」あたりにする。そのあと、生類憐みの令について説明する。さらに生類憐みの令についての評価を並べる。近年見直しが行われていることにも触れてもよい。財政面の負担は現代日本の財政状態を見て非現実的であることを述べる(つまり今の日本に当てはめることによって、自分の意見らしく見せるのだ)。受益者負担の考えから犬猫の鑑札に高い税をかけることも考えたふりをし、これをやると税逃れのために隠れて飼う人が増えて今度は狂犬病など衛生面から問題が生じそうだと述べる。(改善策も考えたところを入れる。)最後に殺処分の必要性が無くなるよう、啓蒙活動や里親探しの重要性を強調し、動物愛護家に配慮して終わる。

 これはこれで文章のテクニックとして身に着けておいてほしいものだ。何か言っているようで突っ込まれどころを巧妙に避けるというのは実社会では必要な技術だからね。戦後七十年の首相談話はすごかった。

 とここまでとんがった後で「ごみのポイ捨て」についての意見文、書こうと思えばかけることを実証しよう。先ほど「これ以上のことをかける人間にお目にかかりたい」とは書いたが「いない」とは書かなかった。書けるのだ。つまりごみのポイ捨てが許されているところを見つければよい。フランスでは犬が散歩中にした「あれ」を飼い主が始末しない、でもいいが、ここはもっと上品に行きたい。
 マラソンの給水ボトルである。各ランナーはテーブルに置かれたドリンクを取って飲むが、そのあとはコースにポイ捨てである。公衆道徳上許されない行為であるが、なぜか誰も文句を言わない。たまたまか意図的か隣のランナーの目の前を通してひるませたりする向きもある。
 彼らにも言い分はあるだろう、少しでもタイムを節約するために、ってね。理解はするが公衆道徳上どうなのだという答えは出してほしい。私は給水所の少し向こうにゴミ箱を置いて、きちんと入れなければタイムをマイナス、くらいのペナルティは必要と思う。だって給水所でタイミング合わなかったら調整するでしょ。ゴミ箱だってするべきだ。ほらほら意見文ができてきた。んでもってゴミ箱を「提供企業の広告付き」にすれば「環境問題に真剣に取り組むイメージアップ」ということで宣伝効果抜群!IOCがこれに気が付けばスポンサー収入が増える、とゴミ箱が設置されることになるのは間違いないが。
 百歩譲ってポイ捨てを認めるとしても、少なくともテレビ中継でその場面を映すべきではない、子供が真似したらどうする。(コドモをネタにすると説得力2倍以上。)
 恐ろしい意見文になってきたでしょ。落ちはもちろんこれだ「どうしても給水の容器をポイ捨てして、それをテレビで写さなければならないとしたら、私は東京オリンピックでその容器を拾うボランティアをやりたい。そして拾っている姿を全世界の人に見てもらい、さすがは日本人と、こう思われるようになりたい。」

 次のオリンピック、がポイントよ。派手だしタイムリーに見えるでしょ。これが「次の東京マラソン」と書くとホントにやらないといけなくなるので微妙である。

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