公平な立場で・・・論評

 広島県府中緑ヶ丘中学で誤った非行歴で推薦が受けられなかったと中三生徒が自殺した件。
 最初は教育委員会に味方して助けてやろうと思ったのだ。論点をより「高レベルなもの」に止揚して、皆様に前を向かせて振り切るという論法だ。(特に名前はついてないと思う。自分で編み出した詭弁だから。)
 が、あれ聞いているとどうしようもないね。担任は雲隠れ。データ訂正の指摘があっても反映しておらず、校長は自分を被害者と思っているようで、ただ嵐が過ぎるのを待っている。

 こうなると逆に怒っている方に「加油」したくなる。(中国人のみなさま、意味が違うのは勘弁して。味方する、と火に油を注ぐを合わせた造語です。)
 死んだ生徒は戻ってこない。冷たい言い方だがその意味では一過性だ。ところがこの事件への対応は尾を引くのだぞ。
 つまりこの中学、非行歴のない人間を落とし、実施した人間を推薦しちゃったのだ。当然各高校は思うだろう。「この学校の推薦はあてにならない。」かくして推薦枠は減らされる、というか良識ある学校をアピールしたければ「なくす」。これはあとあとまで響く。もし担任、校長が今回すぐさま真摯に対応し、なるほどこれならこんなことは二度と起こさないな、と周囲が納得すればそれほどひどい推薦枠削減はなかろうに。

 直前に非行歴を3年間遡及する、って校内の推薦基準変更があったんでしょ。確かにそういう判断もありで外野が口を挟むことではないけども、こういう変更を急遽入れねばなくなったということは、つまり「生徒の推薦について、高校側から何か言われていたのではないか」って疑いを誘起するわけだ。つまり推薦枠の減少は「生徒の自殺以前からあった流れ」。というわけでこの学校の持っている枠、確実に減ります。
 そのとき「子供を安心して預けられない」と言っている保護者のテンションは今のままに留まるかしら。もし保護者がマスコミその他の作ったムードに幾分かでも乗っているのであれば変わっちゃうよね。何しろ「他人が自殺した」一過性の事件だったのが「自分の子供たちの推薦枠が減る」という継続的な問題に変わってしまったわけだから。
 推薦枠のように見えるものでなくとも「この進路指導体制ならなあ・・・信用できないから内申点八掛けにしとこうか」と各高校が考え始めてもおかしくはない。

 実はだなあ、ここまで根が深い問題とはまるで想像できず、助けてやりたくてこーんなお手紙を(メアド非公開だから82円切手貼って)送ったんだよなあ。
 つまり私は双方の立場に立って考えているわけだ。大勢に乗っているわけではない。公平な見方をしているつもりだよ。


府中町教育委員会の皆様

 推薦出してくれなかった、ということで生徒が自殺した事件についてです。
 個人的には「その程度で死ぬな!」なのですが
(だって推薦がもらえなかった、で自殺したわけでしょ。推薦はタナボタとまではいかないが普通に試験を受けるよりも楽なコース。それを閉ざされたからといって甘えるんじゃない!という気はします。逆に言うと絶対別の原因があったとおもう。)
死んじゃうと、何も言えなくなるのも事実。

 そして、後ろ向きの質問&野次と弁解が飛び交い、結局は何も進展しないままにだらだらと延び、責任取って辞めるだの、続けるのも責任だ、だの、補償がどうのだの。やがて別の事件が起こるまで不健康に遅延する、という最近の風潮が嫌いです。
 確かに繰り言は尽きないでしょうが、命が返ってこない以上、どこかで線をひいて前を向かないといけない。ではどう前を向くか。
 もうこんなことは起らない。生徒の命はあまりにも高い代償であったが、ここでの教育を良くすることにつながり、その意味では無駄でなかった。この意識を関係者全員が共有し、改善を続けてゆくであろうという道筋を見せる、ここだと思います。
 そう思ってもらえるようなシナリオを考えてみました。ある程度芝居っぽくなるのはしかたありません。
 でも「きっちり終わらせる」というのを見てみたい、と思ったわけです。

 保護者への説明会で担任が「体調不良」を理由に欠席したのが火に油を注いでいますが、やってしまった以上、これをスタートと考えなければなりません。
 体調が悪いのは本当でしょう。これで元気いっぱいだったら人格を疑います。
 でも体調が悪いのを押して出席し、誠心誠意対応すればまだ信頼回復のチャンスがありました。それを放棄したということですから、いわば社会的に死ぬことを選択したわけです。しかし教師が社会的に死んだあと、どう生きてゆくというのでしょう。ここに私は引っかかりました。
 ということは、この担任教師は生徒の後を追うことを決心したに違いありません。
(まさかほとぼりが冷めれば、なんて思ってないですよね。)
 少なくとも、教育委員長および校長は「公式に」そう判断していいと思います。
 次回の説明会、どうせ担任は欠席するでしょうから、質疑応答の途中で気が付いたことにでもしますか?

「(いきなり独り言)ま、まさか・・・しかしそれしか。
(前を向いて)
 みなさん、彼は責任を取って死ぬつもりかもしれません。
 皆さんの前に出て説明することは、自分の体調などよりはるかに大事なことです。しかし、それをしないということは、社会的に死ぬも同然です。そしてそれを選択したということは、覚悟を決めていると思うのが妥当です。
 確かに彼は前途ある若者を自殺に追い込んだ責任はあります。それを償うにはそれしかない、と思い詰める気持ちも分かります。
 しかし人間として、教育者として、私はその決心を翻させる義務があると思います。
(間)
 それでも感情的に割り切れないものは皆さんの中に残っているかもしれない。
 ですので私は問います。お願いします。
 みなさん、私が彼を説得するのを許していただけますか?」

 涙を流す程度の演技力は必要です。だからといって号泣議員やっちゃだめよ。歯を食いしばること。
 ここで「そのまま死なせろ」なんて意見は出るわけがない。

 これで糾弾のペースは落ちるでしょう。
 まだ反論する人がいれば
「あなたの言う通りかもしれない。でももし本当に彼が生徒の後を追ったなら、私は2人の死を背負ってこれから生きてゆくことになる。そのとき、その半分をあなたは背負ってくれるだろうか。」
 と返しましょう。なお追いすがってきたら
「いまのような、そんなことはあるまい、という意識が今回の事件を招いてしまったのだ。
私に同じ過ちをしろというのか!」と怒鳴ってもいいです。
(このときに「私も大変なんだ」というニュアンスを混ぜると反発を買います。)

 そしてさらに説明会があるのなら、その時は自殺の意思を撤回した担任にも出てきてもらいましょう。
 そして校長なり委員長が彼を最も激しくののしるのです。父兄が入り込めないくらい強く。

 「私はまだ生きていてもいいんでしょうか」
 「もちろんだ。君は教師としてあるまじきことに、命の大切さを生徒に教えることができなかった。その反省を胸に、恥をさらして生きてゆけ。そして一生、人のために働け!もし君が責任を果たすことができるとするならば、それしか方法はないんだ。」


 ポイントは「命の大切さを教える」という誰も否定できない問題に持って行ったところよ。

 かの生徒がとった「自殺」という選択肢は正しかったのか?それを止められなかった周囲の人々はどうなのか?これはこれで別の大きな問題だと思うんだよ。
 それを問題にできないということは、結局教えるほど命の大切さを自分でも気にしてなかったってことだよなあ。ただ本能だけで生に縋り付いている。だから縮こまって皆が呆れて飽きるのを待っているわけか。(ちょっと過激な言い方に至った理由はさすがに公表できない。さっき切手貼って出した、って書いたよね。)

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