IQについてのある俗説

 IQが20を超えると会話が成立しない、という俗説がある。
 IQというのは精神年齢と実年齢の比率であるので、そのまま受け取ると大人と子供は会話が成立しないはずであり、そーゆーことはないのでこの俗説は間違いと言える。この反論、理屈としては通っているので一瞬納得した。ところが、これほど明確に否定される要素があるにもかかわらず、そこそこ流布しているのは何らかの現実をきっちりと切り取っているからであろうと気になった。
 そこで踏み込んで考えることにした。

 偏差値が10違う人が例えば高校で数学の問題の解法を求めるべく議論していて、議論になるか?と考えてみよう。(IQ20の差は偏差値では10になる。)多分、偏差値の高い人が一方的にしゃべっているだけではないかな?これが15になるとさらに明確になるだろう、20になると「こういう解法を思いついたんだけど」と説明してもなかなか理解が共有できず、議論にならないだろう、というのは皆さん直感的に納得してくれると思う。もちろん偏差値が20高い人が「教える」ことはできる。でも議論にはなるまい。高い人はかなり噛み砕いて内心「あー、こんなこともわからんのか」とあきれつつも教えてくれるかもしれない。

 なんでこういうことを言うかというと・・・「IQが20を超えると会話が成立しない」で検索するといろいろなサイトで考察がのべられているが、より直感しやすい「偏差値の違う人同士で議論が成り立つか」という方向に思考が伸びているのを見たことがないからだ。なんでこんな分かりやすいことに気が付かないのだろう。失礼な推測ではあるが、トピックについて述べている人は一般に「IQが20低い側」なんだろうなあと思ってしまう。
 低い側が考察していることを前提に読むといろいろ気が付くことがある。高い側が気を遣っていることは分かっているみたいだ。気を遣ってもらっているのが自分が馬鹿にされているように思えてつい反発するみたいだ。なるほど、だから会話は成立してもストレートな意見交換にはならないのか。(気を遣ってくれるのは分かるし、ホントに頭いいんだなとは思う。でもどうしてもそれが見えると腹が立つ。。。って心情なのかな?)

 ただしこの例えには一つ問題点がある。IQは年齢に大いに関係するが、偏差値は関係しないということ。つまり偏差値の差がある人で議論が成立しないという例えは、特定分野において知識の蓄積と考える速度の差がある人の間では議論が成立しないと言っていることになる。
 でもみなさん、IQを話題にするときに本当に年齢を考えているのだろうか。幼稚園児に対して、あの子は小学校低学年程度に頭がいい、という時はそうかもしれないが、ある程度大人になると「彼は20歳だが25歳並みに頭がいい、きっとIQが125くらいあるんだろう」なんてことは考えないよな。つまり、IQの違い、というのを意識するときに、普通は「頭の回転の速い/遅い(頭が扱う対象が広い/狭い、も含めたいが)」を意識しているのではないかしら。つまり、IQが20違うと会話が成立しない、というのは頭の回転の速さが大きく違う人の間では会話が成立しない、ってことを言いたいんじゃないかなあ。
 だからIQは精神年齢の差だから、大人と子供の会話が成立する以上、20違うと会話が成立しないという俗説は間違っている、という批判をするのは当たらないんじゃないかしら。

 典型的なIQ検査問題「図を見て答えなさい。箱は何個あるでしょう」には知識の豊富さ、筋道をつけて考える能力、は関係ない。それこそ幼児にも解けるような基礎以前の知識を直観的に使って解く問題である。IQはその定義上、実年齢に関わらず解けなければならないからこういう問題が主流にならざるを得ない。ならばそんな問題で測られたIQに20の差があったとして、コミュニケーションが不自由になる、と言っていいほどのことにはなるまい。なにしろ制限時間内に問題が解けない人であっても、実際に積み木を積んで説明すればきちんと理解できるのだ。つまり時間さえかければその差は埋まる。だからIQに20の差があったとしてもそれだけであれば「待ってやれば」会話は成立するだろう。
 ところが普通に我々が出くわす問題(ついでに認識)は、知識や考えを組み立てる能力が多分に必要とされる。知識に含まれるかもしれないが「連想」(これ大事)も決定的な役割を果たす。IQが関係するとすれば「連想」をどれだけの速度で展開できるか、くらいだろう。でも「速度」だけであればそれこそ「説明すれば」会話は可能である。

 つまりIQというのはコンピュータに例えると、CPUの処理速度と、せいぜいキャッシュメモリの容量と速度しか対象とできないのだ。
 だからこれだけなら「速度」の問題だから、ウェイトを入れれば同期はとれると期待できる。
 ところが学力偏差値になると、メモリに蓄えた知識や解法パターンが大いに関係してくる。
 んでもって「IQが20違うと〜」というときに実は前提としている「頭の良さの差」となると、メモリの中身のみならず、OSの仕様まで違ってくる。いかに多くのメモリを同時に使えるか?ファイルアクセス速度がいかに速いか。効率的なアルゴリズムを使ってCPU負荷を落としているか、といったことも関係してくる。でもこれだけなら三人寄れば文殊の知恵、レベルで差は埋められるだろう。しかし更なる違い、たとえてみればインストールしたアプリケーションの数と機能が変わるとなると、かなり決定的になる。「IQ20の差」がそれにあたるかどうかは別として、もはや比較にならないレベルの差となってもおかしくはない。しかも相手はコンピュータでなく人間だ。今まで蓄積した知識と経験。さらに想像力と創造力の差はハードディスク何テラバイトなんてものではなかろう。

 IQを測ることを運動の分野に当てはめれば、比較的単純な、例えば100m走のタイムみたいなものだろう。
 そういえば大学に入ってすぐに行った運動能力テストで「世界記録から10秒以内に走ってみせる」と言ったときは受けたなあ。最初は皆さん「おおっ」と歓声、すぐに「20秒なら切れるだろう」くらいの意味と分かって笑い声。
 ところが、これがサッカー程度に複雑な運動となると一般人は世界一上手い人と比較にならない。フリーキックを曲げて落として、くらいなら練習でそこそこ行くかもしれないが、その場その場で状況判断をしながら動いてパスして、守ってシュートして、なんてとてもおっつかない。これはIQで測れるもんじゃないだろう。
 ボルトと私が勝負しても、思いっきり差が付くにしてもそれは「100m走」という範囲で終わるが、メッシと私がサッカーボールを中に対峙したら、もはや勝負とは言えないものになるだろうね。
 ところが残念なことに、メッシと私がそれぞれ母国語で話したら会話にならないのは周囲のだれもが分かることであろうが、サッカーボールをドリブルするメッシを私が追いかけていれば「サッカーをやっている」ということくらいは分かるのだ。サッカーにはならないがサッカーであることは分かるという状態。傍から見るとかなりみじめな状態である。ただし、相手がメッシなので、メッシとはいかずとも一目でサッカーがうまい人と分かるのであれば、特に恥とも思わんでいいらしいが。
 前にも書いたが私だって中学生の時に日本代表のユニフォームを着てヨーロッパでプレイしたことはあるんだよ。でもIQが50違う人間が会話をするとこの程度の差になると思う。問題は人がメッシにぶっちぎられるのを受け入れても、会話が成り立たないことを受け入れにくいことだ。それは会話をする双方にとっていえることだ。残念なのはサッカーと違って頭の差が外から直感的に分からないがゆえに無駄に気を遣わないといけないということだ。(気を遣う余裕のない人が気を遣っているかどうかは分からん。)
 下は「もう少しわかりやすく言ってくれ/でも気を遣ってないかのように話してくれ」だろうが、上からは「うーん、ひょっとして分かんないのかなあ。分かんなくなったところで言ってくれればこちらももう少し対応しやすいのだが」ということになる。

 自分の経験から言うと、IQで30程度の差であれば会話の妨げにはならない。姉と私はその程度の(それ以上の?)差がある。もちろん姉の方が上だ。それでも普通に会話が成立する。要するに共通理解部分が多いので全然問題がないのだ。
 姉に結婚が決まったと報告したとき、姉「何て名前の人?」姉はワンヒントで四文字中三文字あてた。逆に姉が車を運転していて信号で止まると同時に口をつぐんだとき。後部座席の姉の子「あ、おかあさんが怒った」。私「いや、姉は交差点を渡った後、路肩に駐車している車をどうやってかわそうかと考えているんだよ」。姉「うん」。というくらいは通じる。楽である。うちの娘が私と姉の会話を横で聞いていて「話が飛びまくっているのに、普通に会話が通じている」と呆れていたが、うん、要するに俗説で言うIQが20違う人間の会話が成立しないのと同じく「速すぎる/省略が多すぎる」を感じていたのだろう。いや、違うのだ。共通理解が多いので傍からはそう聞こえるだけなのだ。

 IQが20違っても会話は成立する。が、修得した知識と思考パターンが違いすぎる場合、お互いの知識や理解を確認する手間を省くと/めんどくさがると、多分会話が成立しない。んでもってIQが違う場合、知識と思考パターンが違いすぎる分野がとっても多いので、IQの差が原因となって会話が成立しないように見えているのだろう。
 ただし残念ながらIQの差、つまり素の頭の良さの差は、それが適用される範囲が広いがゆえに、決定的な差に見えてしまうことはある。丁度ボルトと自分より、メッシと自分の差の方が大きく見えるようなものだ。

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