郷土料理

 うちの子が「郷土料理を調べる」という宿題を持ち帰った。
 ところが尋ねた相手が悪かった。
「郷土料理と言ったって、とれたもので変わるし、家によっても違うし。」
 確かにその通りである。「郷土」ということで地産地消を徹底するならば、その時畑からとれたもの、海でとれたもの、が食材となり、かつ、家によって育てている作物は違うから違って当たり前。

 ならばと別の観点を導入することにした。
「荻窪の郷土料理:荻窪ラーメン」
いや、違うだろ。なぜ違うかと言われると分からんが違うだろ。

「横須賀の郷土料理:海軍カレー」
これは横須賀を母港とする空母ロナルド・レーガンの・・・ちがった横須賀鎮守府に所属する艦娘が作るものなので「郷土」というにはしっくりこない。

「宇都宮の郷土料理:餃子」
しっくりこなければならないのだがしっくりこない。
ただしなぜしっくりこないかは分かった。郷土料理というより「名物」なのだ。

 荻窪「名物」荻窪ラーメン。横須賀「名物」海軍カレー。一般庶民が日常的に食べてなくてもそこにおいしいものがあれば立派な名物だ。じゃあなんで餃子がしっくりこないかというと、餃子自体はどこにでもあるからだ。それは宇都宮ならではの工夫が積み重なっているのはまちがいない。が地方によって違ったとしても単に「お雑煮」と言っただけでは郷土料理とはいわんだろ、ということだ。

 では郷土料理を郷土料理たらしめている要因は。
「その場でとれる食材から工夫して作りだした」
ではないかな?
 ならば我がニョーボが「郷土料理はそのときとれたものによって違う」というのもわかる。ようするに畑から山ほどとれるのだ。それをいかに消費するか、いかに嵩を小さくして家族の胃袋に押し込むか、そこには確かに工夫のしどころがある。だからといってとれる野菜は変わったものではない。(ニガウリは食べるが。)なので特色が顕著ではなく、「郷土料理」とは見えないのだろう。

 だから逆に郷土料理は、独特な食材を採用する/せざるを得ない、どちらかというと食材が乏しいところにあるのではないかな。
 冬の間保存できるように加工する。仕方がないので昆虫も食べる。それをできるだけおいしくしようと努力する。結果できたのが「特殊性の分かりやすい」郷土料理、というわけだ。
 豊かな農村地帯に郷土料理らしい郷土料理が生まれにくいのはこういう理由だろう。
 豊かな漁村の場合は、朝が早いからすぐに作れて体の温まるモノ、という工夫を込めた郷土料理があるかもしれないね。

 アメリカの郷土飲料・・・アメリカンコーヒー。
 燃料を節約するため浅く炒る。豆を節約するため少しにする。体を温めるためたっぷり飲む。

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