うちの子と本屋に行った。社会問題ネタ、目次へ
勉強しないといけないという気はあるようで、一生懸命参考書を探している。多色刷り、イラスト豊富が嫌いなようで、引き締まったレイアウトのものが好きなようだ。いろいろ相談を受けているうちに気が付いた。多色刷りやイラストに頼らない紙面という制限を受けて作ると、見通しの良い、分かりやすいレイアウト、表現を使わないといけない。当然説明は簡潔で、理解しやすいものとなる。なるほどこういう参考書が好きなのか。もちろん二色刷り、イラストを最小限にした参考書を無条件に受け入れるわけではなく、いろいろとチェックをしている。うちの子もなかなかやるようになったなあ。その日は遅くまで勉強していた。
翌日はサボっていたことは言うまでもない。当然のことながらこう思った。三日坊主どころか当日1日だけのために安くない参考書なんぞなんで買ってやらんならんかったんや。なんかいいことのように言われて、各党が公約にあげている「教育無償化」であるが、似たような感想を持っている。教育を無償化したとしても勉強せん奴はやらんだろう。家庭の経済状態にかかわらず高等教育が受けられるようになる、という言い方をすると確かにいいことなのだが、だからといって教育の機会をもらった人間が勉強するかどうかは話が別である。
某底辺高校なんぞの報道を見ると「こんな連中に公費をつぎ込むって無駄じゃないか」という気になる。このうえ「無償化」としてさらに増額するとなると更なる税金の無駄遣いになる。財源は赤字国債にしようよ。将来世代に払ってもらったでいいじゃないの。このときの問題は子どもたちの世代の負担感が公平を欠くであろうということだ。
露骨に言うと無償化されて高等教育の機会を与えられる若者が増えるとして、その増加分は「山を高くする」方向に働くのか「裾野を広げる方向に働くのか」ということだ。山が高くなるならいいだろう。裾野が広がるのであれば、さて、その人たちがつぎ込まれた教育費に見合う分、高等教育によって収入を増やし、多額の税金を納めてくれるようになるのだろうか。
無理っしょ。
収入の高い家は、無償化の後回しにされるし、んでもってそういう家庭の方が今のところ子どもに高水準の教育を受させている。だから機会均等への扉を開くはいいとして「教育無償化って必要ですか?」という疑問が湧いてくる。「年収550万円以下であれば私立高校の授業料を公費負担?」冗談じゃない。公立に行けばいいだけの話ではないか。どうしてもというなら「偏差値65以上」の条件を付け加えていただきたい。
更には「成績落ちたら無償化打ち切り」という方向で詰めていただきたい。なんのことはない、特待生で入学して成績落ちたら退学、みたいなものである。スポーツ推薦なんて厳しいよ。(奨学金が無くなるだけ、という温情あふれるところもあるそうだが。)教育無償化、というのは、参考書を買ってもらえば成績が上がりそう、という雰囲気にのっかっただけで、結局は勉強してないうちのガキみたいなのを量産するのが関の山ではないかと思えるのだな。でもケーキ作るのは上手になってきたよ。でも「パティシエになるためにフランスで学びたい」と言い出した時のために、語学と地理と世界史は「分かる」程度の学力はつけさせておきたいな、と思うわけだ。そこは親の責任だろうと思う。政府に金を出してもらえば大丈夫、と他人任せにすべきことではない。
フランス史と言えば、まずこれだなあ。
≪ガリアはそのすべてを含めて三つの地方に分かれる・・・≫ここで哲学を多少なりとも勉強していれば「うわ、ヘーゲル論理学の向自存在までを凝縮したようなすごい文章だ」とカエサルの名文に感銘を受ける程度には人生が豊かになると思うが。「教育無償化」でそこまで行かせようと誰もが考えているわけではなかろう。