銀行再生のための戦略的ではない戦略

 以前「戦略」という単語があまりに乱用されているので、「戦術」という用語との差を核兵器への接頭語から導いて揶揄した。
 しかしながら、揶揄するにはちょっと深い弊害が、「戦略的」という言葉の多用によってもたらされることに気がついたので、今回はそっちを書いてみる。

 さて、戦略的価格付けと戦術的価格付けを比較すると一般に
戦略的価格<=戦術的価格
となる。
 戦略的価格付けは典型的には、耐久品を「戦略的」に安い値段で供給してシェアを握り、そこで使われる消耗品に「適正な価格」をつけて利益を得る、といったことを意味する。古典的な例で言えば、剃刀の柄は安く値付けして(あるいはタダで配って)剃刀の刃を売って儲ける。プリンタを安くして、インクで儲ける。ゲーム機の本体は赤字になるような価格で普及を促しゲームソフトからのロイヤリティで儲ける、なんてのがある。あるいは当初に限り、オフィスソフトを安く供給し、ライバルメーカーを全て潰したあと、値上げを行うという同一商品で時間軸の差による「戦略的価格付け」というパターンもある。(そういう点では「Microsoft Golf」は戦略商品だったのかな。)
 ただしゲームソフトについては、カートリッジの生産をゲーム機メーカーが押さえているので従うしかないが、プリンタのインクに付いては「互換」品を作ることが可能である。サードパーティ製の「互換」品が安いのは、そこに本体から得るはずであった利益を上乗せする必要がないからである。このことからも「戦略的」価格というものの性格が分かるだろう。(そういう点では、売り上げ見込みとコストから利益を最大化できるように値付けされたサードバーティの「戦術的価格」よりも、インクに本体のコストも上乗せした純正品の「戦略的価格」の方が高いといえるかもしれない。)

 ただし、ここで言う耐久品と消耗品という区別がはっきりつかない場合、一般的に言うとどこかで損しても、それを補てんしてなお十分な利益を得る価格付けができる商品を確保できない場合、戦略的価格付けをして効果があるかどうかは結構あいまいなものとなる。つまり「ここで価格を下げてシェアをとる」まではいいとしても、どこで価格決定力を活用して利益を得るかが判然としないのだ。そもそも価格決定力があるかどうかもわからない。しかし「戦略的」という言葉を使ってしまうと、なんとなく全体で儲かりそうな気になってどこで儲けるのか、の詳細をスルーしかねない。ココが問題となる。本当は具体的に計算しないといけないのに怠ってしまうのである。せめて損益分岐点。ゲーム機一台当たりゲームソフトが○本売れれば元は取れます。あとは儲かる一方よ、ってね。

 銀行業界では法人取引を優遇して、うまみのある個人部門で利益を得る、という言い方(戦略?)が数十年前はなされたが、だからと言って取引法人の従業員がかならずその銀行から住宅ローンを借りてくれるわけではない。たしかに給与の振り込み講座を指定してもらうくらいの力はあるかもしれないから、普通預金、つまり低コスト預金を従業員が積んでくれることが期待できるのは確かだ。バブルの時代まではそれでもうまく行った。
 ところが、ここまで低金利時代になると給与が振り込まれる普通預金口座を特別「低コスト資金」というわけにもいかないだろう。何しろ定期預金の金利とあまり変わらない。先ほど見たが「日本標準生活者金利」ゆうちょの普通預金金利は0.001%、定額貯金は0.01%である。十倍とはいえ、引き算した差は微々たるものである。
 さらに経済の成熟(成長率鈍化ともいう)に伴う競争激化で、手数料や貸出金利を思うようにできなくなったため、コストからみると問題のありそうな値引きを「戦略的」価格決定という言い方で通してしまうと、結局、どこででも儲けることが出来ないという構造が容易には見えなくなる。「総合力で」なんて言い回しを聞くとついつい行けそうな気になっちゃうでしょ。

 このような時代にどうやって利益を上げればよいだろうか。
 もちろん一つは「コストカット」となる。コンピュータを使うと人件費が分かりやすく減るのでそれに頼ることになるのだろうな。
 もう一つは「戦術的」な価格付けをしても、取引が成立する分野に注力することである。
 具体的には金融で言うとマーケット業務。ここで損して得とれの「戦略的ディーリング」なんてあるわけない。大損して終わりだ。(せいぜいお付き合いの振替コールが含まれるかな、というくらいだ。)こちらの金融市場では相手に有利な条件で取引してシェアをとり、シナジー効果で他で儲ける、なんてことは考えようがない。常に利益極大化のための戦術を考えて売買をしないと一発で沈む。そのための戦術として、極端にはゼロサムを前提として、カウンターパーティの裏をかく、ということをやっている。こういうのをフィンテックというそうだ。
 情報の流通速度が遅かった時代は、英国国債を売り、あ、ナポレオンに負けたのかと思わせて暴落を誘い、ここで一挙に買いなおすというロスチャイルドみたいな戦略的ディーリングもなくはなかったそうだが。
 確かに戦略的な金融市場、いや金融商品との関わり合い、というものが今でも残っているのは否定しない。株式持ち合い、というのがそうだ。が、これが利益につながらないので減らす方向に行ってたりします。(事実上の貸倒引当金、という役割があったはずなのですが、バブルの後始末で使い尽くしたのかな?)

 銀行再生の「戦略」。何となくわかっていただけましたでしょうか?

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