思慮の浅い人を規制したくなった

 海援隊の名曲「贈る言葉」の一節
人は悲しみが 多いほど
人には優しく できるのだから

 嘘である。
辛いことを経験した人は、他人の辛さが理解できても「この程度は自力で乗り越えられて然るべき(だって私は乗り越えたもん)」と考えるから、理解は示したとしても特に優しいわけではない。武田鉄矢のあのギリギリの演技力は本人が行ったギリギリを素直に表現できるという彼ならではの良さ(元々俳優ではないから演技力には疑問符がついて然るべき)から来るわけであって、例えば息子に切腹を命じる戦国武将の役はできないだろう。
 武将や公家といった地位ある人の演技は難しく、(例えば「麒麟が来る」で片岡鶴太郎がおこなったような)絵に描いたような下賤な喋り方をしてはならな。あくまで格式を崩さずに中身は下世話ということをしなければならない。〜というかNHKはその程度の演技指導もしてないのかねえ。他の大河ドラマでも武将が下賤な演技してたし。そのほうが楽なのは認めるけども、それだと役柄の地位と合わなくなる。そのことをあたしは中学校の学芸会で習ったぞ。ちなみに担任の旦那さんは伝統芸能の分野で人間国宝でした。
 それを当たり前の基準としていたので中学生の演技でも、そういうのを当たり前に要求してきたのよ。

 閑話休題。結局なんのかんのと人は自分を中心に考えるということ。なので鶴太郎は下品な演技しかできなかった。公家がそんな事するわけ無いだろ、などと考えもしなかったのだろう。  そんなふうに、自分を基準に考えてしまうといろいろ社会の迷惑になるという話。

 飛沫対策に二重マスク、なんて考えた人間は多分、自分なりに考えたのだろう。
 自分を基準にとてもいいことを考えたつもりに違いない。マスク不足が随分と解消されたとはいえ、・・・というのは置いとくとして、これを他人に押し付けてはならない。幸い「効果は殆ど変わらない(マスク一枚と同じ)」という研究結果が報道されているので助かっているが、「でも効果がないというわけではない」と言っている人間がまだいた。
 問題は「夏になったらどうすんの?熱中症でぶっ倒れる覚悟はあるの?接触が怖いから横に倒れている人がいても助けないよ」と言われるリスクに気がついてないところだ。気がついていたら「ウィルスの活動が盛んな冬の間は、たとえ効果が薄くとも、マスクを二重にしたほうがいいんじゃないか」という言い回しをするはずだからだ。

 対策を考える人は「夏になったらどうするの」を念頭に置いておこう。「外出先での飲食禁止」・・・こまめな水分補給を、なんて金輪際言わないでね。推奨は20分に一度の水分補給だから、その倍、通勤片道40分以上の人は通勤禁止!の対策を取っといてください。

 これに限らず私は浅知恵が嫌いである。昔「頭のいい人はエレベーターのボタンの押し方からして違う」と言ったことがあるが、頭の悪い人はエレベーターのボタンの押し方からして思慮の浅さがにじみ出ている。親切のつもりで降りるときに「閉じる」ボタンを押す人がいるが、2とおりのバカがいる。一つは「これから乗る人を無視していること」もう一つは「閉じるボタンから手を離すのが早すぎて(完全に開くまでに押してもあと全然変わらない)」ただの自己満足と宣伝していることである。

 妙に社会的権力のある人が思いつきを押し付けたときの弊害は社会の各地で見られる通り。

 考える力のない人間は考えてはいけない。折角考えたことがすごい発見のような気がして、他人に押し付けたくなるからだ。マスク警察、からしてそうだ。「マスクをしよう」というのを自分が考えたことにような気がして押し付ける。  たしかにWHOも厚生労働省も最初はスルーしていた対策だから、というのはあるが。  長々と書いてきたが、ようするに京アニ事件への怒りが収まらないのだ。
 「商店街で安い魚を買う」という場面を自分を基準に稀有なひらめきにより作られたものと解釈し、「自分の投稿からの盗作だ」と主張して放火した奴。もし「自分にはクリエイティブな能力がない」とわかっていればそんなことはしなかったろう。もっともあんな馬鹿だから認めたくても認めそうもない。だから能力の有無、を判断してレッテルを貼れればどんなにいいか。確実に再発防止策になる。しかし、それをやっちゃーおしまいのような気がしてですねえ。

 キャラデザの名工、池田さんと彩色の魔術師、石田さんの穴はあまりに大きい。だからとりあえずは「二期」しか作れないのかと思っている。「小林さんちのメイドラゴン」、新キャラをせいぜい応援させてもらうけど。

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