「セントルイス」という地名に聞き覚えがあるとすれば、「翼よ、あれがパリの灯だ」という言葉とセットで思い出すのが一般的だと思う。つまり、その程度の知名度しかないのだ。一方フィラデルフィアは染色体の名前になったり、オカルト界では有名な実験の舞台であったり、更にはヨハネの黙示録に出てくるほど世界的に有名な街である。社会問題ネタ、目次へ新型コロナ(武漢肺炎)のおかげで、この飛行機製作に融資した銀行があるだけの町と、世界的に有名な大都会が並べて記述されることが多くなった。スペイン風邪の対処が遅れた大都会と、すぐにロックダウンに突入した田舎町を比較するのはなーんか違和感がある。
そもそも、一都市だけ死亡率が飛び抜けたフィラデルフィアと逆に極端に少ないセントルイスを取り上げて「ロックダウンの時期」だけを比較するのに悪意が感じられる。
こちらのグラフによると、流行開始からロックダウンの対策がフィラデルフィアと同じくらい遅れたバーミンガムやデンバーは流行が押さえられている部類だ。ミシガン州グランドラピッズは流行開始からロックダウンまでの時間がフィラデルフィアの倍かかっているが、人口あたりの超過死亡数はセントルイスよりも低い。一方対策が早いのはニューヨークである。流行開始より10日以上前にロックダウンを開始している。
引用したのはフォーブスの作ったグラフであるが、元データもらえないかなあ。ロックダウン(正確には介入開始)と超過死亡者数の相関を調べると「多分フィラデルフィアを外したほうが係数がが高くなる」のを算出したい。それが導ければ「フィラデルフィアとセントルイスを比較するのは、「例外データを取り出した不適当な例である」と断言することができる。(ついでにセントルイスを除いたほうがおそらく相関は高くなる。)つまり、スペイン風邪という前例から学ぶべきことはむしろ「フィラデルフィアは特に対策が遅れたというわけではないにも関わらず、なぜここまで流行したのか」「セントルイスは特に早かったわけでもないのに、なぜ抑えることに成功したか」であろう。ミネソタ州の州都であるセントポールはさらに対策が遅れてるんだけどなあ。
フィラデルフィアとセントルイスという極端な例を比較したがゆえに、この辺の要因追求に日が当たらなくなったとすれば、それは悪意を通り越してもはや害悪である。そもそもセントルイスがロックダウンを実施したのはフィラデルフィアで流行があらかた収まってからなのだ。ちなみにだなあ、流行開始からピークまでの日数と流行開始から介入開始までの日数を加算するとフィラデルフィアもセントルイスもほとんど変わりない(全米各都市並べてもそうである)。どーゆーことだろ。
ロックダウンは山を潰すことしか役に立たなかったってことか?つまり、セントルイスが褒められるとするならば「ロックダウンを施行して時間を稼いでいる間に医療体制を充実させた」ことにあるんじゃなかろうか。
振り返って日本の事情を鑑みるとみなさんこの教訓を全然生かさず、ただロックダウンがやりたかっただけどいうことか。ようするにサボりたかったのね。誰が、とは名指ししないけど。今回見て思ったのは、人の移動が今より遥かに少なかったはずの1918年において、流行開始からピークまでが10日前後であったこと。なんつー感染力だ。新型コロナなんて甘い甘い。ついでにいうとインフルエンザ(スペイン風邪はこちら)の方が新型コロナよりも変異は速いらしい。すごい!よく打ち勝ったなあ。翌年の夏ならオリンピック開いても問題なかったんちゃうか、と思うくらいに。