「医学」必修化の提案

 高校で「情報」を必修にするくらいなら、「医学」を必修にすべきではないだろうか。別に生徒にメスの使い方を教えなくてもいいが、身体の構造と、けがや疾病の症状とその予兆は教えておくべきだろう。
 高齢化が進む中、成人病の予防と早期発見が国民の健康と医療費の削減のためには重要となる。こ一ゆ一食生活してたらこんな病気になる可能性があるよ、その予兆として出るのは・・・とかを教えておくと国民の健康状態は確実によくなる。
 実用的でない教科が学校で履修必須というのは気に入らない、と(それを不得意とする人が)不満を漏らすのはよくあるが、医学ならだれもがお世話になるわけだし、必修としても文句はあがるまい。

 必修とするのはいかがなものか?と思われる科目は確かにあるが、歴史は観光旅行の満足感を高めてくれるし、地理は効率的な移動ルートを導いてくれる。漢文は中国人と仕事をするときに共通の話題ができるというメリットがある。(中国人の同僚に「日本では高校で誰もが杜甫や李白を学ぶんですよ」と教科書を見せたら感動のあまりか手が震えていた。)
 これに対して一番使わない教科は物理かな?異論があるなら自慢の「宇宙のすべてを表す数式」を使って国語の問題を一つでいいから解いてからにしてほしい。数学も危うい。こないだ「東京医科歯科大学と東京工業大学が統合した名前、最小公倍数の東京工業医科歯科大学になるかと思ったら、最大公約数になりましたね」と話題にしたらその大学の人にも通用しなかった。名前を素因数分解する発想は理系の人にもなかったらしい。

 「情報」よりも「医学」が必修化しやすいのは、教師を集めやすい、ということもある。これは学問としての歴史の問題だろうが医学を教える人はたとえ「(医学部というより)医学専門学校卒」と言った方がふさわしいレベルの人間であってもそこそこ存在するからかき集めてこれるだろう。
 これに対して「情報」を教えられる人間は極めて限られる。(実用にならない)プログラミングを教えることはできても、実用的なプログラムとはどういうものか、どういうところに着眼して作ればいいかを教えることができる人間はほとんどいないからだ。

 医学の場合は「どうやら腸に異常が出ているらしい」まで分かれば専門医に相談、するというルートがあるが、「情報」の場合、どういうとき何をすればいいか?(専門家に相談するとしても具体的にどこに?)が何もないから「必修として」学習すべき範囲が定まらないのだろう。「わからないことがあった時、どうやって解決するか」を教え込むことができればいいのだが、そこまでゆくときっと「必修」の範囲を超えている。それができれば「問題解決型」の学習をさせるもっとも手近な方法になるんだけどな。

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