柳田理科雄の空想科学読本、実は非科学的だとか読者を馬鹿にしているとか言われているが、私は嫌いではない。少なくとも柳田氏、文章はうまい。が、これだけはゆるせんことがあった。アストロ球団宇野球一の三段ドロップの解説である。あまりにもいい加減な解説だし、文章も下手だ。
だから正しい三段ドロップの変化を説明する。柳田氏は姫野さんの流体力学を基にした変化球理論を読みかじって、ボールの面による空気抵抗の差で変化が起こると述べている。しかし、これはあんまりだ。そのように変化するためにはボールの回転が止まっていなければならない。しかし回転が止まるとどういう影響があるかに注意を払っていない。ボールの回転が止まれば、ボールの後方に空気の渦ができて急激にスピードが落ち、ボール自体が落ちてしまうのだ(フォークと同じ)、またボールの縫い目が空気抵抗を受けて回転を始める(ナックルやパームと同じ)。これは姫野さん自身が書いていることだ。
柳田氏によれば球速が202kmで三段ドロップの変化をする計算になるそうだが、宇野球一はともかく、三段ドロップはシュウロでも投げている。超人でもないシュウロに202kmのボールが投げられるわけがない。ならば202kmという速度は不要でなければならない。
実は私も三段ドロップを投げたことがある。ただしゴムボールで。しかし確かに三段に変化するように打者からは見えるかも、なるほどと納得した。実際に投げたボールは、打者の頭に向かってゆき、そこからインコースぎりぎりに落ちる大きなカーブである。しかしこれが打者から見ると三段の変化になるのだ。
これは三段ドロップの元祖が戦前の沢村栄治であることに関係している。当時の沢村のボールは速球、変化球とも間違いなく世界第一級であったはずである。大リーグ選抜を1点に押さえ込んだのがその証拠だ。それほどの変化球が、当時の決してレベルの高いとはいえない日本人の打者にはどう映ったかを想像すれば、「三段の変化に見えた」理由も推測できる。
ボールが大きく曲がりながら頭に向かってくる。この変化だけで当時の打者はびびったであろう。で、頭の方向に向きを変えたのを「一段目の変化」と捉えてしまったに違いない。
打者の次の反応は「思わず頭をよける」ということであろう。このとき打者からは、ボールの方が動いたように見える。「二段目の変化」は打者が反射的に頭を動かしたことによる変化だったのだ。
で、打者が気がつくとボールはドーンと落ちてストライクゾーンへ。これが「三段目の変化」である。何のことはない。一つの大きな変化が、打者が頭を動かすことにより、打者にとっては三段の変化に分かれて見えていたわけだ。だから、日本では「三段ドロップ」と呼ばれていても、ベーブルースは「ドロップ」としか呼ばなかった。でNHK「その時、歴史が動いた」によると、ルースは草薙球場で「ドロップの曲がりっぱなを叩け」と指示したそうである。ボールが変化してストライクゾーンにかかったところを叩け!と言ったわけである。ボールの変化が途中で変わったとすればそんなことは言わない。
柳田氏も参考にしている姫野さんによる流体力学を応用したコンピュータシミュレーションによる変化球理論。聞いてちょっと残念になった。もっと早く発表されていたら、私は自信を持って「妙なフォークボール」を投げ込んで、野球部で活躍していたかもしれん。(悲願の地区予選一回戦突破!)
当方、中学の時からフォークボールだけは投げられた。面白いほどの落差だった。しかし他人の言うフォークの投げ方とは違うのだ。物の本によるとフォークはボールを挟んだ指の間から「ぬく」ように投げる。ところがそれではコントロールがつかないし、体重もかからないので、当方「指の付け根でボールを押し出す」ように投げていた。ボールの回転は殆ど停止する。
後で知った話だが、同じような投げ方をしている人が1名だけいた。フォークの元祖、杉下である。この人の指は120度くらい開く。そして指の付け根で押し出すんだそうな。姫野さんは、杉下のフォークを「パームボールだったのだろう」と言っている。で、殆ど回転の止まったボールは、縫い目が風圧を受けて回り出し、様々な方向に変化するようなのだ。つまり、ボールを握る位置によって、全く同じように放った球が、別の変化をするということだ。なんだ、最強じゃん。(杉下自身も失投でないフォークを打たれたのは長島だけだ、と言っているらしい。)これを知っていれば七色の変化球投手として・・・。
もっとも私、キャッチボールさえ苦手だから野球部なんて無理無理かな。最近、苦手なのは父親のせいであったことが判明した。父親は子ども(つまり私)とキャッチボールするとき、面白がってカーブやパームボールを投げていたらしい。言うまでもなくノーサインで。もちろん当方は受け損なう。かくして不要なコンプレックスが貯まってしまったのだ。(いいわけ、いいわけ)
私が物理が苦手だったのも同じ原因に違いない。素直な放物線を、私はイメージできないのだ。(さらにはげしいいいわけ)なわけで、当方、娘とキャッチボールするときにはボールに妙な回転をつけないように注意している。さらにはきれいな投球フォームを覚えてほしいから、はしょらず大きなモーションで投げている。ただし、それだと球速がつきすぎて娘が受け取れないので、チェンジアップを投げるようにしている。
そのせいで娘はきれいなバックスイングをし、腕が頭の横を通るときには肘が先に出てくる。コントロールも上下はともかく左右にはぶれない。球速もなかなか、教育の成果だ。
が、つい最近、私と同じようにチェンジアップを投げるようになった。普通の速球が投げられなくなったら、ど、どうしよう。
魔法が物理法則に従ったものではないことは自明であるが、魔法を起こすための何らかの原理はあると想定される。これが何か考えてみた。スポーツネタ、目次へ
参考となるのは「大切なシャツの思い出」。この話の中で魔女問屋デラは「魔女界ではお金でも物でも持ち主の思い入れが強いほど価値がある」と述べている。魔女にとっての価値は魔法玉で表され、かつ魔法玉がペペルトポロンで起こす魔法の源泉となることから、魔法力は思い入れ(以下「思念」と表記)の力が形を変えたものと見て良かろう。これは、心を込めて作り育てた魔法グッズや草花に魔法力が備わるというMAHO堂における商品価値の付加原理と矛盾しない。(おジャ魔女のミュージカルの設定「音楽界では、心のこもった歌が価値を持つ」とも一致する。)
つまり、魔法力は思念が源泉となっていると想定できるわけだ。これにより以下の3つの設定が説明できる。
なお、ハナちゃん(赤ん坊の時)がとてつもない魔力を発揮できたのは、生まれの良さもさることながら、人間界で育てられたために、大量の思念を吸収できたためと考えても不都合ではあるまい。尤も思念の大部分は「欲」と思われる。赤ん坊に「欲の思念」を吸収させて大丈夫なのか?という教育的問題はあるかもしれない。
- 人の心を変える魔法は禁じられている
- 自己言及が矛盾を生み出すことを防ぐため。つまり思念が魔法力の源泉である以上、魔法が思念(つまり人の気持ち)を変えると矛盾が発生する恐れがある。これを防止するため。(魔法で人の心を変えること自体はできることに注意・・・おんぷが何度もやっている。しかし、禁止されているわけだから、禁止に値する合理的な理由があるはず。)
- 魔女界と人間界は交流が絶たれているが、MAHO堂という例外がある
- 魔法に必要な思念の力は魔女界だけでは足りない。従って人間界から持ち込む必要がある。この窓口として長崎の出島よろしくMAHO堂がある。(MAHO堂は、金銭に込められた思念を人間界から吸い上げ、魔女界に持ってくる役目がある。マジョリリカのペンションも似たような役目があるのかな。)
このとき、思念と共に魔女界に持ち込まれた貨幣はどうなっているかという疑問が生ずるが「どうやらそのままで還流されていない」ということでいいんじゃないでしょうか。山形浩夫氏の訳したクルーグマンの講演によると、世界全体の輸出額輸入額を合計して比較すると1000億ドルの赤字となるそうだ。クルーグマンはこれを宇宙との貿易によるものと推察しているが、実際には、このうちいくらかが魔女界に流れていると見るのが妥当であろう(cashとmoneyを区別せずに論じているのは見逃して)。まてよ、人間界で買い物をしているのかな?例えば魔女ガエル村の日本建築の素材とか。
- 魔女界の女王様が人間界との交流を確立しようとしている
- 魔法が便利すぎるため、次第に魔女が怠惰になり魔女が生み出す思念が減少してきた。従って魔女界の維持のためには、より多くの思念を人間界から持ち込む必要に迫られている。
このアイディアは気に入った。魔女界に戻っているハナちゃんの魔法力がえらく弱くなったような気がして仕方なかったのだ。これは魔女界に住んでいる時は人間界に常駐しているときに比べ、吸収する思念が少ないため、魔法力が弱いのに違いない。でも、ケガや病気を治す魔法が禁じられている理由はまだ解釈できてません。
ただし、どれみの言い方を借りると「けがや病気を治すような運命を変える魔法は禁じられている」そうなので、ケガや病気を直すのは「人の運命を変えるから」禁止。人の運命を魔法で変えるのが禁止されることは自明、という解釈でいいような気はしている。
本編でははっきりと言及されていないもう一つの禁止魔法もこの「運命を変える魔法」の部分集合と解釈することが可能。それは「死んだ魔女に、その死を知っているものが会いにゆく」という魔法。これは第一回目のパティシエ試験で、「マジョカーラに会ったのか」とマジョミラーその他が驚いたことより推測。しかし、どれみたちは200年前のロンドンで魔女カーラに会えた。これはマジョカーラの死を知らなかったため、本人に死期を悟られる可能性がなかったから会えたのだと解釈するのが妥当であろう。
ちなみにももこがマジョモンローに二度と会えない理由も、本人の死期を知っているからということで説明がつく。
運命を変える魔法が禁止されているとすると、ハナちゃんが魔法で6年生になったとき水晶玉が割れた理由も説明できる。運命を変える魔法を使ったために割れたのだ。(まあ、最後女王様の魔法で6年生になったのは「一時的に化けただけだからセーフ」ということで納得してください。)
それにしても、第一回目のパティシエ試験。「ザ・シェフ」がアニメ化されたらあんな感じなんでしょうねえ。