ジャイロボーラー水原勇気

 ヤクルトの高津が大リーグ行きを決めた。この人シンカーを決め球とするらしいが、実は「ジャイロボール」という特殊な変化球も投げているという説がある。これはボールの飛ぶ方向とを軸にボールが回転するというものである。つまり進行方向に対し常に同じ面を向けている。それがどうしたと思うのだが、球の受ける空気抵抗に影響があるらしい。最も空気抵抗の大きい面を打者に正対させて投げる場合と最も空気抵抗の小さい面を正対させて投げた場合で空気抵抗が倍も違うというのだ。これが全く同じ投球フォームから投げ出される。打者にとっては相当タイミングが取りづらいはずだ。

 このジャイロボールを紹介した本「魔球の正体」で著者の手塚一志さんは、うれしがってしまってか「(空気抵抗の最も大きなジャイロボールと最も小さなジャイロボールの)2種類の魔球を操ることができれば、女性のプロ野球投手が現れる日がやってくるのかもしれない。
 もしかして、水原勇気ってジャイロボーラーだったんですか、水島新司先生?」と書いている。
 何でもかんでも自分の発見にくっつけてしまうのはよくないぞ>手塚さん。特に江夏の9連続三振の球がジャイロボールだったかもしれないと書いているのにはあまりいい印象が持てない。しかし水原勇気はほぼ間違いなくジャイロボーラーである。折角なんだから堂々と論証しようよ>手塚さん。

投球フォーム
 水原勇気は、きわめて珍しい「左のアンダースロー」である。ジャイロボールは、ボールを放すときに小指から抜いてゆくので、手のひらにボールを乗せるイメージになるサイドスローやアンダースローの方が投げやすい。(手首の返し方は「体温計を振る」イメージ。あの動かし方が実は人間の体のつくりからいって無理がないらしい。)
球道
 そんな水原勇気も高校時代の大会では当然のようにオーバースローで投げていた。多分練習につきあわせている応援団長と話をしているうち「左のアンダースローってのもおもしろいかもね」と試しに投げてみたのだろう。ジャイロボールはそのとき偶然に産まれた。ジャイロボールは前述の通りキリモミ式に飛んでゆくので、球筋は通常のストレートと違ってくるらしい(実際には落ちているのだが、ホップしているように見えるそうな)。そんなわけで目測を誤った団長くんはボールを右腕に当てて骨折してしまったのであろう。
ストレート変化球
 野村克也と対戦した時、ノムさんは紛れもないストレートが落ちた、と証言している。ジャイロボールは細かく変化する。回転軸が進行方向と同一の間はまっすぐ飛んでゆくが、ボールが落ち始めると回転軸と進行方向の間に角度がついて通常の変化球と同じようにコリオリ力が働き変化するそうだ。つまりストレートがいきなり落ちたというのは、この性質によるものと思われる。
ボールの握り方
 この野村克也と対戦したときは最後のボールがストレート変化球だった。この時、水原ははっきりと左手親指を曲げてボールを握っている。ジャイロ回転をかけるときは親指を曲げた方がやりやすい。(阪神の川尻もジャイロボールを投げるときには親指を曲げている。)では、水原の場合ストレート変化球のみがジャイロボールでそれ以外は普通のストレートかとも考えられるが、おそらく通常は普通にジャイロボールを投げ(フィニッシュの左手首の返し方がジャイロっぽい)、意識的に変化させるときのみ左手親指を曲げていたものと推測することもできる。
 なわけで、状況証拠ながら水原勇気はジャイロボールを投げていたと推測することは十分すぎるほど可能である。しかし、あくまで偶然の産物。どんなボールを投げていたのかはさすがの岩田鉄五郎も理解できなかったのだろう。ジャイロボール本来の特徴である全く同じフォーム・全く同じ初速なのに空気抵抗の差で終速に10kmの差がつくという性質を有効に活用すれば水原の将来もまた変わったかと思うと非常に残念である。身長172センチ、かつアンダースローで140kmの球が投げられる強靱な体をしているのだ。球の切れは桑田をも超えるはずだ。

 ひょっとして水島新治自身ジャイロボールの使い手かもしれない。BOTSという草野球チームを作って、サイドスローで投げていたしなあ。。。水原勇気についての状況証拠が揃いすぎているのだ。意識して書いていたとしても不思議でないくらいに。

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