決定力不足、と言われはするが

 居住地および、初代GMの奥寺さんが大昔自宅に一度来てくれた、という分かりやすい理由でジェフ=ユナイテッドのファンである私は、当然のことながらオシム監督のファンである。東京オリンピックで来日したオシム氏がサイクリングを楽しんでいたとき、梨をふるまった農家のおばさんに感謝している。その時の様子すら目に浮かぶようだ。
「おーい、そこの外人さん、でけー体して腹減ったろう、梨剥くから食ってきな」
「うめーか、よっしゃ、食べ盛りなんだから持ってきな(どさっ!)」
 言葉は通じなかったオシム氏だが、気持ちは通じて喜んで帰ったに違いない。(千葉は豊かな農業地域なので、一番良いものを自家消費分に置いておける。オシム氏にふるまったのはそういった梨だろう。一方、貧しい農村は良いものを市場に出して、自分たちは悪いもので我慢する。)

 オシム語録にもいちいち感心している。日本代表監督に就任するときに付け加えた付帯条件。ニョーボが今の家を気に入っている。引き続き住まわせてくれないか。というのも、家族共々日本に常駐して日本代表の面倒を見る、という意志表示、および、千葉は住みよいことを印象づけてジェフに恩返し、を言外に示している。もちろんジェフおよび協会に異論があるわけもない。見事なものである。
 その他、活躍したU-21代表から1名を追加招集したり、、もちろん試合に出ることは無かろう、しかしどれだけU-21のメンバーが盛り上がったことか、、オシム語録で「優勝?優勝しないといけないのか」というのも気が利いている。これを聞いたジェフ市原の連中はクラブハウスで話したと思うぞ。「そうだよな、降格争いの常連だった俺たちがいきなり優勝なんてな」「まったくだ。ここまで来ただけで大健闘だ。優勝なんかしなくたって」・・・「でも、優勝したくないか」「そりゃしたいよ」「おい、俺たちにも可能性は残っているんだ」「いっちょ狙ってみるか」「監督をびっくりさせてやろうぜ」。プレッシャーを感じつつ、それを乗り越えた理想的な精神状態で試合に臨める。

 なわけで、正直心酔しているのだが、これは違う「決定力不足は日本の持病だ」。
 そうか?確かに決められるところで決めていないように見える。しかし正確にはこうだろう「後半ロスタイムになるまで決定力がでないのは日本の持病だ」。ロスタイムとは言わないが、後半40分からの決定力は特筆すべきものだと思う。代表の試合では決定力不足と言われるFW陣も、Jリーグではそれなりに点を取っている。決定力はあるのだ。でもなぜそれが最後の最後まで出ないか、そこが問題なのだ。

 チームメイトへの信頼感かな、という気がする。最後の最後になれば、互いに「俺は精一杯つなぐ、後は頼んだ」「とにかくボールをくれ、後はなんとかするから」という気持ちで結ばれざるを得ない。「おれがクロスを上げれば、巻は必ず競り勝ってくれる」「俺が競り勝てば、我那覇がつっこんで来る」「巻さんがとにかく落としてくれれば、後は俺が絶対に押し込む」「我那覇が失敗した時は、おれが何とかする」、この気持ちがつながるかどうかである。互いに意気に感じて繋ぎ合い、目標であるゴールに突進する。
 「この土壇場でボールを俺にくれた!決めてやる!」気持ちでどうのというのはプロジェクト管理的にはどうか、なのだが、幸い失敗しても死ぬことはない。もう一度チャンスがくる可能性だって皆無ではない。
 いがみ合っていた桜木と流川も「自分が精一杯やれば、あとはあいつが何とかしてくれる」という信頼感で結ばれたとき、最強のコンビになった。そういう気持ちになったのは最後の最後になってのこと、というだけだ。

 じゃあ何で、信頼感で結ばれないのか。いいか、思い出せよ。決定力不足と殊更に言わるようになったのは、ここ8年程度の話じゃないか?つまり11番をカズが背負い、中山がボールにかじりついたままゴールに飛び込んでいた頃は、特に決定力不足を指摘されることはなかったぞ。
 要するに「ナカタ」的発想が根元だったのだ。誰もいないところにパスを出し、中山に「走れジジイ!」。確かに局面は打開できることもある。DFは振られる。しかし点にはならない。ナカタは、自分は前線にパスを出したから責任は果たしたと言うだろう。しかしFWは、あんなところにいきなり出されても追いつけないから自分の責任ではないと思うかもしれない。組織としての「点を取る」という目的への貢献ではなく、自分の責任がどうか、しか考えなくなってしまう。とれないパスを出されたのに「世界で通用するためには速いパスを」という言い訳で「決定力不足」と結論づけられ、それで納得していいか?せめて平塚でのチームメイトのロペスくらいには、本人の希望通り足元にパスを出してやるべきだろう。ロペス、カズなら相手が世界でも、自力でペナルティエリアにボールを持ち込めたんだから。
 もちろんナカタだって、気持ちが通じて、ゴール!というのはある、ジョホールバルの2点目。パス以前に城と心がつながった。ボールはその線上を正確に飛んできた。

 が、それ以来、「言い訳は完璧」なプレイしか見えないのだなあ。たしかにいいところにパスを出すが、ミドルシュートも打つが、それは「前半のこの時間はゴールキーパーの正面でも、攻める姿勢を見せるためのシュートが必要。だから打った。実際に点を取るのはそっちの責任」そんな風にしか見えないのだ。
 役割分担が決まり、役割を果たせば給料が決まるというプロ組織があれば、それでいいだろう。しかし、代表は、例え全員プロでも、気持ちはアマチュアである。注目度が高いから移籍市場にアピールは出来るが、第一義的には金のためにやっているわけではない。
 これに対してプロリーグでは、自分の責任を果たせたとしても、点が取れなくて負ければ当然自分の処遇にはねる。また自分の役割を自ら定義し、それをこなせば給与が上がる制度を導入したプロ組織でも、それだけを評価基準にすれば「成果主義」と言われて失敗してきたのは、、、ところで川崎フロンターレはどうなのだろう。

 そう、役割を決めて、自分はそこをやれば責任は果たした、後は他人の責任、となると組織としてはこまったことになる。例えば、情報漏洩対策「全部台帳に付けて、何も出すな」とパスを出す。出された現場は大変、とても回らない。でも「昨今の情勢に鑑みて、やるのは当たり前。回せない方が悪い」としたのでは、現場のやる気が減退したとしても仕方ない。

 さて、ナカタが役員をやっている東ハトはそういう組織になってしまったのだろうか。各部署が自分の責任を果たすために、パスを出し合い、現場が走り回されて挙げ句の果て「決定力不足」と言われるような組織に。
 官庁の方に目を移すと、縦割り行政の結果、各役所は別個に指示を出し、責任逃れに終始する、そういう組織になってしまった、とは言われてる。その結果、第一線(FW)が対応しきれなくなっているかもしれない。であれば、オシム監督の言うとおり「決定力不足は日本の持病」と言えそうだ。

 FWへの要求は大きい。90分間持たないと分かっていたからジョホールバルの岡田監督は対策として2トップを一度に替え、負担を減らした。MFの中田だって、最後はドリブルで相手DFの間に割り込み、シュートを放ったじゃないか。そして「中田は、GKの負傷した手の方を狙うはず、はじけ!少しでも!!俺の足なら間に合う!!!」と岡野がすべり込み、日本はワールドカップ初出場を決めたんだろ。

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