ストライク/ボールの判定に抗議して退場処分。侍であれば何一つやましいことがないと証明するためにハラキリをするだろう。スポーツネタ、目次へ
不言実行どころか、言うだけ言って打てない。内野ゴロでランナーを進めるか、自分がランナーで入れ替わってお茶を濁す。勝負が決まったあたりでヒットを打って成績のつじつまは合わせる。人のふんどしで相撲をとった上におぼれた犬を叩くようなところなどおよそ日本人の美学に反する。そういえばこの二人アメリカで仕事しているのだった。なるほど侍の心を忘れるはずだ。原監督が大リーガーを下位打線に置く理由が分かった。侍ジャパンの名にふさわしくないからだ。
それでもダルビッシュを先発で使う気持ちは分からない。彼に侍の心があるのであれば、甲子園史上最大の逆転サヨナラ。平成16年春の準々決勝。せめて2死から連打されたところでマウンドに歩み寄り「ナイスピッチング、あとは投げさせてくれ」「おい、肩は大丈夫なのか」「あと一人だ、なんとでもなる、、監督!お願いします」くらい言っているだろう。
背中が痛い、肩が痛いと最後まで登板を避けた奴に日本代表のマウンドを任せるその神経が理解できない。
あのとき代わりに完投した真壁くん。是非東北楽天に入団して投げてもらいたい。実力的に敗戦処理がやっとかもしれないが、敗戦処理だからこそおばさんのハートわしづかみで、人気は出ると思う。それにしてもイチロー、他が打ちあぐねる投手を打って、打たなくとも転がして塁に出て、揺さぶりをかけるからお前は一番においてもらってるんだろう。転がせなくともファールで粘って球数を投げさせろ、とまでは言わないから。
でも少しは彼らを弁護してみよう。彼らこそが侍だと。
サムライという言葉自体は平安時代にできたそうだが、農民と軍隊を分離させたのは織田信長だから、安定的な地位として確立したのは安土桃山以降、はっきりしたのは江戸時代だろう。
で、江戸自体のサムライとはなんだったかと言うと、既得権として高禄をもらうことに安住しつづけて時代の変化についていけなくなった寄生階級だったわけだ。
なるほど「田植えをしている人が安心して仕事ができるように体を張る」のではなく「既得権に胡坐をかいて庶民感覚からかけ離れた禄をもらう」のが侍だとしたら、彼らこそ侍ジャパンの名にふさわしいかもしれない。がんばれサムライジャパン!
ぼろくそに言っているが1つだけ土産を持って帰ってほしい。アメリカリーグの頂上対決を「ワールドシリーズ」と呼ぶのは不適切だと堂々と論証できる実績を作ること。ア・リーグ優勝とナ・リーグ優勝の対決は「アメリカシリーズ」に変えさせる。「ワールドシリーズ」の呼称は日本が持ち帰るのだ。そして今年から日本シリーズはワールドシリーズと改称する。ひょっとして日本一と韓国一の決戦のほうが「ワールドシリーズ」にふさわしいかもしれないが、そうすれば韓国の連中も賛成してくれるだろうが、日韓戦はもう飽きた。しかしWBCといいながら試合の半分以上が韓国戦というマンネリ感も「これも日韓戦をワールドシリーズをいう名称にするためだったんだ」と思えば納得できなくもない。心中白けているだけに、態度も複雑。心中を聞いてみたい人が一人。甲子園で投げ合った田中くんがWBCで好投している。思い切り差をつけられたともいえるハンカチ王子である。