これでも哀悼の辞

 読売巨人軍の木村というコーチが倒れたというのは知っていたが、やはり死んだ。
 不謹慎といわれるかもしれないが、うらやましいと思った。
 まず、バットを握ったまま倒れた、というのがいい。
 野球人として最高の死に方である。
 コーチになってからノック中、というタイミングもベストである。これが試合中ならいろいろとありそうだ。少なくともチームに迷惑をかける。現役の主力選手ならチームへの影響も大きい。主力でなくとも支配下選手枠を1つ使っている。
 というわけで、いい死に方という点では今年一番ではなかろうか。チームも奮起して勝ってくれたそうだし。

 更にいいのは、周囲が哀悼の意を表してくれたことである。同じように勤務中にクモ膜下出血で倒れて死んだとして、一般企業であれば、特にデスマーチ中のシステム開発プロジェクトであれば、少なくとも経営者はまずは「労災ではない」と主張し、死んでくれて迷惑だといわんばかりの不満を隠そうともしない。
 そんな理由を挙げられれば、木村コーチの死を「うらやましい」と評しても不謹慎とは言われまい。人間いつかは死ぬんだ。長寿だけが幸せではない。いい死に方が幸せという考え方もあるだろう。(特にこれからの時代を悲観的に考えますと。)
 これが僕なりの供養の仕方だ。あーゆー性格の人だ。笑って送ってあげたいじゃないか。

 まあ、スポーツ選手が競技近辺で死ぬというのは悪くはないな・・・と思ったところで例外を発見。水泳選手。
 心不全であっても、直接の死因は「溺死」となる。水泳選手がおぼれて死んだのでは格好が付かない。聞いたことはないがシニアの大会とかではあるのかな。

 改めて野球の選手寿命が長いことを実感。成人病が出るくらいの年齢までプロでもやれたりする。選手の交代がやりやすいのがいい。休ませながらできるし、フル出場は無理でも代打とかワンポイントリリーフとか、それなりに見せ場のあることがやれる。
 サッカーなんか選手をトータルで疲れさせるからなあ。交代ルール、野球みたいに変えられないものだろうか。

 一度見たかった。こっちはマリノスのほうだけど。
「ピンチフリーキッカー、木村!」。大歓声の横浜国立競技場。

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