完全試合の勧め

 大リーグ、完全試合。27人目の内野ゴロ、誤審で内野安打に。大記録は幻と終わった。
 誤審を認めた審判に、投手は「完全な人間はいない」と言ったそうだ。気が遠くなるような皮肉である。あなたがきちんとジャッジをすれば、私は完全だったから、と言うことだから。
 ここまで超絶的であれば、皮肉と通じないようで日本のメディアは寛容な心の顕れたる美談として扱っていたらしい。合衆国でもそうなのかな。審判もやめてないようだし。まあ美談としたほうが人気は上がる。

 惜しい完全試合といえば記憶に新しいのが、日本シリーズ完全試合まで、あと1イニングに迫った中日、山井。ところが9回、ピッチャー岩瀬。プロ野球は勝つ試合を見せる前に夢を売るものなんだろうが、が、が、これは完全試合なのだ。
 つまり、ノーヒットノーランならピッチャーの記録であるが、完全試合は「チーム」の記録。エラーをひとつもしなかったもんね。それに、完全試合、どこかで超ファインプレーがあったりするものだ。また、昔の大リーグ基準によるとファールフライエラーがあると27人で終わっても完全試合にはならなかったらしい。それではあまりにも、ということで変わったらしいが。

 というわけで提案。これからは完全試合を審判も含めた記録としてはどうだろう。エラーと同じように誤審で完全試合がフイになることが実例としてあった。ならば、というわけだ。記録に名を連ねたい審判が投手に有利な判定を下すということは職業意識としてあってはならないはずだし。

 なんのこたあない。完全試合の名誉の代わりに、記録の判定基準が変わったきっかけの試合、という名誉を投手に与えたいだけだ。似たような例、なくはないよ。
 「生涯最も美しいゴールは東京、しかしオフサイドだった」のプラティニのゴールが、サッカーのルールを変えた。最も美しい1点の代わりに、世界のサッカーのルールを変えた伝説のプレーヤーの称号を得たわけだ。

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