2014年7月13日、ワールドカップ、ブラジル大会決勝、アルゼンチンvsイングランド。ロスタイムの劇的逆転ゴールにリオデジャネイロのワールドカップスタジアムはテレビを見ているこちらにさえアナウンサーの絶叫が聞えないほどの大歓声に包まれた。そして終了の笛。スポーツネタ、目次へ国旗を持って場内を一周するアルゼンチン選手。ところが国旗の中央に1枚の板が観客席から投げ入れられると、歓呼の声が次第に変わってきた。「マルビナスはわが領土」。
南米の熱狂的ファンを押さえられるわけはない。イングランド代表は会場を立ち去ることすら困難になった。アルゼンチン政府は間髪いれずマルビナス諸島の領有を宣言。早速地元チームとアルゼンチン代表の親善試合の予定が発表された。平和的なイベントの一方、アセンション島封鎖のためと見られる艦隊が大西洋を北上していることが確認された。
イングランドチームは地下通路からスタジアム脱出を果たしたが、そのまま市内ホテルに留め置かれ事実上の人質に。FIFAは全くの無力である。ロンドンオリンピックの韓国の選手が政治的プラカードを掲げて会場でアピールするというIOC協定違反をレッドカード一枚の処分で完了させてしまった前例を作ったからだ。更に悪いことに今回はプラカードに触れた選手はいないので、イエローカード相当の処分すらできない。また南米で開催された大会であることおよび、巻き込まれたのがロンドンオリンピックで不法行為を見逃したイングランドであったことより、代表選手を人質としたことに対しても国際世論は見て見ぬ振りをした。
これが最悪のシナリオである。FIFAおよびIOCはこの事態を静観するしかない。当然、予測しているだろう。自ら招いた責任がある。最低でも銅メダル剥奪/一年間の国際試合禁止程度の処分は必要だったわけだがそれを怠ったのだ。
当方の案を汲んで欲しかったな。サッカーの試合としては完敗だったので、繰上げ銅メダルは辞退したい。その代わり銅メダル決定戦を日本vsイギリス代表でウェンブレーを舞台に行うのだ。サッカーの母国と世界一のフェアプレーを自負する日本の若者が、これぞスポーツマンシップと言われるような好試合を行って、韓国のおかげで低下したサッカーの名誉を回復するのだ。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの人たちはそれぞれに思いがあって「イギリス代表」になじめないかもしれないが、でも試合が始まれば熱狂するよ。サッカーの聖地はウェンブレーだというのは誰もが認めているのだし。
どう考えても軽すぎるが、韓国のオリンピック憲章違反の処分は下ってしまった。だから艦隊までは出動しないとしても、上に書いたような事態は防ぎようがない。FIFAとIOCの責任である。が、そんなシーン見たくはない。どうすればいいか。考えた。
ようするに「政治的主張であるが違法行為ではない」ということにしてしまえばよい。そのままでは無理だから政治的主張で亡くせばいいのだ。国際的領土問題とみなしようがなくしてしまえばよい。かなり苦しいが解決策はある。つまり日本の一部「日本の一地域としての韓国」とすれば国内問題にすりかわる。竹島は日本領と韓国語で紹介しただけだ。
そうなると韓国のFIFA登録名/IOC登録名を変えざるをえないが仕方なかろう。台湾が不本意ながらチャイニーズ・タイペイと呼ばれているようなものだ。すると例えばジャパニーズ・コリアなんて名前になる。もちろんこれでは韓国の人たちは納得しがたいだろうが国内で「韓国」という分には問題ない。また得意の歴史的経緯を持ってきて「任那」の呼称を使うのはどうだろう。ジャパニーズ・ニマナである。これなら自国の一地域の名称を国際団体に便宜的に登録しているということになり心理的抵抗も少なかろう。
こうすると2002年の横車共催もジャパンでの開催ということですっきりする。歴史的八百長大会が日本大会という名前で語り継がれるんは極めて遺憾だが、冒頭に上げたような光景を見るよりはましだ。韓国の人たちもルール違反をしたのは間違いない事実なのだし、実はとったのだから心情的には如何であれ、反対する理由はない。こうしておけばアルゼンチン人の観客も「登録名を変えられるのはどうもなあ」ということがブレーキとなってプラカード一枚程度の挑発ならば冷静に受け止めてくれるだろう。まあ不本意な登録名に甘んじてもワールドカップに優勝して意地を見せた国もいたんだし。そんなに悪いことでもないと思うよ。第二次世界大戦に負けて連合国に征服されたアルメニアって国だ。きっちりとサッカーで強くなるところが正々堂々でいいじゃないか。
いやあ、このままだと、平昌オリンピックの聖火リレーが竹島に渡りかねないのよ。いまのままだと「その手があるなあ」と気がついたらいかに抗議されようとやりそうな国だ。そのときになって「オリンピック中止」って制裁はあまりにも影響が大きいからね。
だから象徴的であったとしても何らかの大きなペナルティは絶対に必要だということだ。(理屈はそうかもしれないがなんつー強引な意見だ、と読んでいる人は感じたかもしれないが、最後の一段落だけは「ありうる」と受け止めてくれると思う。)