学校で教えるわけにはいけない遺伝の法則

 皆さん難しいというが、私について言えば生物の「遺伝」は楽勝な分野であった。
なにしろメンデルが「遠藤豆」を使ったからなあ。

 メンデルの遺伝の法則、習うんだが「例外が多すぎる」。彼はなんと幸運だったのだろうか。着目した7つの遺伝的要素が、たった7対しかない染色体の組に分かれて乗っていたのだよ。だからそんなもの教えなくてもいいんじゃない?という気はしている。「禿は遺伝します。」あまり知りたくもない。仕方ないこととはいえ、親子仲は悪化するかもしれないじゃないか。正しいのは「優性の法則」だけだ。きちんとそう教えるべきだろう。

 遺伝の例として取り上げられたのは、J.S.バッハの家系図であった。音楽家が続くというもの。でもね、家業として同じ職業が続く中世なのだから音楽家が続くのは当たり前じゃないの?多少なりとも気が利く生徒なら当然心の中で突っ込んだろう。「それを言うならうちの先祖は、戦前まで代々農家だったぞ。」
 音楽家でいうならモーツァルト父子を取り上げたほうが教育上望ましいかもしれない。有名なのは息子のアマデウスだが、「おもちゃの交響曲」の作曲者でもある父のレオポルドもなかなかのものだ。父親が著したバイオリンの教則本、邦訳もされているがこれがまたよろしい。無茶苦茶細かい。とにかく懇切丁寧。アマデウスは疑うべくもない天才だが、レオポルドもまちがいなく素晴らしい教育者だ。学校で教えるならバッハ父子よりもモーツァルト父子の方が教育的効果はすぐれていると言えよう。

 しかしメンデルの「優性の法則」ですら「細胞質遺伝」によって旗色が悪くなる。見方によってはDNAによる遺伝よりも大きな影響を及ぼすものかもしれない。ミトコンドリアの性能は100%母親から受け継がれるということだからだ。
 ここから先は私の仮説、というか勝手に言っていることなのだが、ミトコンドリアってあれだよね。酸素を取り込んでエネルギーに変えるっての。これの性能がいいといわゆる「最大酸素摂取量」が上がって、その最大酸素摂取量というのはスポーツで特に長距離走なんかで記録を決定的に左右するもので、つまり母親が名ランナーだと子供は長距離を走って少なくとも疲れにくい、ということだ。
 これが運動の分野にとどまってくれればよかったのだが、さて人体の臓器で最も酸素を消費するのは何でしょう。もちろん4割の酸素を消費する脳です。そして筋肉の細胞であろうが脳細胞であろうが、ようするに酸素を消費する細胞です。したがってミトコンドリアは共通。つまり筋肉が酸素を効率よく使える人間は脳も酸素を効率よく・・・遠慮せずに言おう。「運動ができる奴は頭もよい。」文武両道、ってのは訓練の時間がとれるか、訓練時間をどう配分するか、という問題であって、例外はあるが文ができれば武もできる。武ができる人はその気になれば文もできる、ということだ。
 両方ともできない人間には絶望的なことだが、たぶん私のこの思い付きは正しいと思う。「天は二物を与えず」というではないか、と思われる人がいるかもしれない。それは正しいかもしれないが、一つのものしか与えらてなくとも、それは二つ以上の分野に効果をもたらすということだ。(ちなみに「ことわざを使って短文を作れ」で一番難しいお題は「天は二物を与えず」だと思っている。だってこのことわざ、否定の文脈で使われることのほうが多い。)

 学校で教えられないね、こんな遺伝の法則。でもハイスペックな家系ってあるのはみなさん見たことあると思う。なんであの家は・・・それは母系が優秀なのですよ。多分。

 子どもの顔立ちはDNAの仕業、だから生まれてくるまで分からない。が、ミトコンドリアの力は100%母親由来で、これが文武での優秀性を決めるとすると、母体としての配偶者の選別は、かなりシビアなものとなりそうだ。

 きついのは「腹違いの子」。種違いの子よりもその差は大きいだろう。
 でもこれはいい。父親の生殖能力(意志)のある時期に生まれたのだから年齢の差はそれほどでもないのが普通だ。一緒に育ち、だから似ている部分もあるし、助け合う習慣もあるだろう。
 絶望的なのは「母親の連れ子」。これで前妻のミトコンドリアだけが妙に優秀だったりすると、連れ子はどうすればいいのよ。それでもその後妻の配偶者がソコソコ高性能で前妻の子と仲良く話せたりすればよいが。。。

 血のつながってないかわいい妹が急にできることを夢見ているオタクの皆さん。どっちが高性能かは置いといて、あなたの希望は家庭内の不協和音を生み出さずに済ませようとする、とてもよい衝動なのです。

スポーツネタ、目次
ホーム