読売の松井が大リーグ行きを宣言した。会見の内容を聞いていると、何度も何度も悩み、考えたのだろうなあということが分かり、素直に応援したくなる。いや、期待している。スポーツネタ、目次へ原監督の会見は「残念だ」というトーンだし、星野監督は「4番を引き抜かれる他球団の気持ちが分かるだろう」という上手な皮肉。ファンもだいたい寂しくなるというトーンかな。まあいずれにせよ大リーグに行くからには大リーグでの活躍を期待しているのだろう。が、私の言う期待はちょっとニュアンスが違う。
まず日本プロ野球の走塁がメジャーも通用することを高橋慶彦がオリオールズとの日米決戦で証明した。日本のエースはメジャーでもエースになれることを野茂が証明した。リリーフエースは佐々木が、一番打者はイチローが、外野守備はイチローと新庄が、日本のレベルがメジャーに通用することを証明した。
しかし、それでも「パワーの差はどうしようもない」と思われている。
ここで松井にはヤンキースで4番を打ってほしい。4番は無理としてもクリーンアップを。そして「日本の4番は、大リーグでも4番が務まる」ことを証明してほしいのだ。そうなれば、(内野守備とキャッチャーは抜けているが、ともかくも)日本プロ野球がメジャーに伍してやっていけると主張することができる。つまりプロ野球のワールドチャンピォンを決めるのに「日本を無視するわけにはいかないだろ」と言えるようになるわけだ。しかしながら日本シリーズの覇者と大リーグの覇者を戦わせることは現状不可能である。スター選手であればポストシーズンのスケジュールがさっさと詰まってしまうため、ワールドシリーズ終了後、改めて日米決戦のスケジュールを押さえるわけにはいかないからだ。
従って1984年の日米決戦は、前年ワールドチャンピォンを呼んでくるしかなかったのだ。
ならば、と考えた。日本シリーズを制覇したチームが、大リーグプレーオフに参加できるようにはできないだろうか。具体的には「ワイルドカードの枠を日本プロ野球に一つください」ということだ。日本プロ野球の日程は厳しくなるだろうが、日本シリーズの7試合を入れても大リーグの年間試合数よりは少ない。雨が多い気候といえどドーム球場も増えて日程消化も比較的順調に進むようになった。大リーグのプレーオフまでになんとか日本シリーズを終わらせることができるんじゃないか。
ただし、従来のシーズンオフの日米野球とはちがいプレーオフは真剣勝負である。いきなり参加させてくれ、といっても話にも乗ってくれない。だから実績が必要なのだ。日本人のスピードとテクニックは通用することが証明された。あとはパワーだ。これを松井が証明してくれれば、プレーオフに日本プロ球団を参加させてくれ、と申し入れれば、大リーグ側も耳を傾けざるを得なくなるのではないか。
ワールドシリーズ覇者と日本シリーズ覇者が真の世界一をかけて戦うという構図からは外れている。しかしいきなりそういう主張をするのは思い上がりといわれても仕方ないし、その必要もない。むしろプレーオフから戦ったほうが、相手は真剣勝負をしてくれるであろう。(ワールドシリーズを制してから、海の向こうで日本に負けたとしても、向こうは痛くも痒くもなかろうから)
これを実現するために、松井には大リーグで大活躍をしてほしい。これが巨人軍正力オーナーの悲願を達成することになろう。従って巨人軍関係者は「残念だ」などといわず、思いっきり応援して、松井を送り出すべきである。なお、プレーオフの際の日本球団のフランチャイズであるが「もし日本にワイルドカードでの出場権を提供しなければ、プレーオフに出られたはずの球団のホーム」を第一候補とすべきであろう。ワイルドカードの枠が削られるのは、大リーグ球団にとっても大問題であろうが、そういう条件であれば、あるいは承諾してくれるかもしれない。(地元のファンの感情は逆撫でしそうだが。)
たった1シーズンでいい。やってみてほしい。そのシーズンは充実しているぞ。ワールドシリーズに参加できるかもしれないのだ。これがどれほどまでに日本プロ野球を活性化させることか。
最近、少し日経新聞を見直した。サッカーの記事がよい。「ブラジルが10番を求めるように、ドイツはリベロを求めるようだ」(6/16)のくだりには感心した。
ただし、経済に関しては相変わらずだ。公定歩合という低い金利で銀行に貸し出すのを、銀行への補助金だ、などというコラムがあったりする。日銀当座預金に各銀行が積んだ分を公定歩合で貸し出し、その差が日銀の収益の基本となっているということを知らないらしい。日経に限らず、マスコミ各社、報道の仕方がよく分かっているようで、口をそろえてトルシエをおだてている。次期フランス代表監督か?などという憶測まで出している。これでトルシエ君、組み合わせにも恵まれているし、何とか日本をベスト4まで、なんて考えてくれるかもしれん。よいことだ。ひょっとしてひょっとするかも。なんてったってここまで番狂わせが起こっているんだ。
でも、よく考えるとワールドカップはもはや世界最高峰の大会ではない。最高峰と思えるとすればそれはナショナルチームがクラブチームより強かった時代の名残だ。いまや世界で最もレベルの高いサッカー大会は欧州チャンピョンズリーグである(ナショナルチームでのレギュラーが控えに回るのがむしろ普通だ)。日本でさえクラブチームの方がナショナルチームより強かったかもしれない。なぜ4年前フランスW杯代表にヴェルディの選手が一人も選ばれなかったことにナベツネが腹を立てて「日本代表凱旋試合をヴェルディ川崎とやろう」と提案しなかったかいまだに疑問である。確実にヴェルディが勝ったろうに。少なくとも「カズを選べ」と思ったファン(私もその一人だ)の腹いせにはなったろう。
確かに母国のナショナルチームの代表に選ばれるのは名誉なことであるし、サポーターの声援も桁違いなのだろう。しかし、プロとして考えた場合、ワールドカップで身をすり減らすのは決して割の合う仕事ではない。そんなわけで既に名声を確立し、高給を得ている選手はワールドカップを避けたい/流したいという要因が構造的に働くのではなかろうか。だってけがをしたら損じゃないか。ケガをしてクラブチームの試合に出られなくなった場合の損害はばかにならない。
しかもその損の額は、元となる年棒が高騰するにつれ、大きくなってゆく。確かにナショナルチームで活躍するのは名誉だけども・・・だからといって無理をするのもどうかなあ・・・という計算がそろそろ臨界点に達してきたのが今回の大会ではなかろうか。
そうなるとワールドカップで活躍する誘引として「注目の集まる大会で活躍し、名門クラブチームに高給で招聘されたい」が相対的に大きくなってくる。
とするとワールドカップで活躍する国はなかなか日のあたらないアフリカやアジアのサッカー第三勢力となるかも。ショパンコンクールがアジアのピアニストの登竜門の気を帯びてきたのを髣髴させるなあ。
あるいは、売出し中の若い選手とベテラン選手の思い出のための大会になるんじゃないかなあ、図らずもオリンピックの選手構成を成してきた。
とはいっても開催国のナショナルチームは別。モチベーションが強い。というわけで、2006年の優勝国は開催国であるドイツ、と予想を出しておこう。ドイツはブラジルと並んで今回もモチベーションが高いぞ、予選落ちか?と言われたおかげで、わが国は弱くない、ということを証明しなければならないから。以上、強引な論理のようだが、ナショナルチームがうざったいというのはあるだろう、クライフは代表を辞退したしなあ。各選手が金のことを考えて、国のために戦う意識が薄い、というのもあるだろう、アルゼンチンの代表監督を只で引き受けてもいいというマラドーナもそれを指摘している。
このナショナルチームより個人の収入を考えるという傾向、FIFAの体質の転換と無縁ではあるまい。テレビ放映権料や商標使用料で儲ける。幹部はチケット印刷会社とつるんで私服を肥やしているらしいし。。。その中で選手にだけ純真なプレイを要求してもそれは無理というものだろう。
後になって、2002年のワールドカップが転機だったかな?と言われるようになるかもしれない。しかしそのときに「Korea-Japanワールドカップが転機になった」と国名付きで呼ばれたくはないなあ。
しかたないねえ、まけちゃいましたねえ。韓国にはがんばってほしいねえ。スポーツネタ、目次へ
誰がトルシエを監督として選んだか。いや、選んだのはいい。なんで今まで給料払ってまでやらせているのだろう。スポーツネタ、目次へ
最初のアジアカップの時に首にすべきだった。なにしろ決勝トーナメント1回戦で敗退した時の言い訳が「ベスト4というのが、高すぎる目標なのだったら誰か私に言ってほしい。」
なんという恥知らず、責任転嫁。直前にワールドカップアジア予選を勝ち抜いたチームの目標であればベスト4でも低いくらいだ。ここでトルシエを切るべきであった。私だったら袴摺り料で代表監督やらせてもらうがなあ。最初にやることは、ジュビロのFW鈴木を呼んできて代表チームで左サイドバックを守らせる、、、だろう。
あの足の速さ、密着マークのしつこさ、こいつがいてくれれば日本代表は「都波の穴がやっと埋まる」。
そうすると左サイドがなんとかなるかな。通常日本は左サイドが人材豊富といわれているそうだが、私はそうは思っていない。左もできる右の人間が多いだけだ。だから気が付くと右のコーナーキックを左足で蹴れる人間が、日本代表にいなくなっていた。名波と中村がいないからね。フリーキックならアレックスでもいいが、フル出場するわけでもなさそうだ。例え中田が蹴ったとしても、右足で蹴る限りコーナーからダイレクトでゴールを狙われる可能性はない。相手キーパーはずいぶんと楽であろう。(ホンジュラス戦の中村のコーナーキック直接ゴールは大きな意味があったのだ。)
名波の代表落ちは理由が分からなくはない。フランス大会アルゼンチン戦ではトラップミスのボールをバティストゥータに決められたし、クロアチア戦もシュートを最後に止められなかった。つまり「縁起が悪い」。これはこれで立派な理由だ。もっとも得点シーン=ディフェンスラインを破られた時に最終のディフェンスをやっていた人間の重要性を無視しての判断ではある。
代表監督、誰がよかったかねえ。私が推したのは「ジーコ」、審判も遠慮して笛が吹けないぞ。横浜フリューゲルスにいたエドゥーも適任かもしれん。あのフォーメーション、よくできていたと思うんだわ。
少なくともフランスW杯までの日本代表ディフェンスは世界レベルに達していたと思う。Jリーグ発足当時、人気獲得のため各チームは攻撃型の選手を海外から集めてきた。彼らを抑えているうちに日本のDFは世界で通用するようになった。なんてったって、リネカーをマークし、リトバルスキーを相手にし、アルシンドを追っかけ、ディアスを抑えてきたのだ。
それだけの日本DF陣に対し「日本人は劣るから組織と数で対処する」とフラットスリーを持ち込んだ、そういう先入観でフォーメーションを組む監督が私は許せないし、その説明で納得できるほど反骨精神に欠けるプロ選手に、少なくとも私は最終ラインを任せる気にはならない。そんな連中にぶつかってでも止める、という気概があるだろうか。(秋田!頼んだ!)というわけでがんばれ市川。日本は10年右サイドの心配をしなくていいと言われた逸材ながら、オリンピックでは「右がうまいんだから左もできるだろう」と左に回され、で中田が合流すると、中村に追い出され、さぞ悔しかっただろうが、それでも迎合することなく、わざわざ反転して右足でセンタリングをあげていたあんたの根性が好きだ。
そうやって堂々勝ちとった右サイド、思い切り駆け上がって、アシスト・ゴールを決めてほしい。
キャプテン翼の得意技オーバーヘッドキックは、例えばヒールパスのようにフェイント技の一種と見なされているような気がする。スポーツネタ、目次へ
まあ確かにそうなんだろうけども、かといってオーバーヘッドキックの持つ特性を忘れてはならない。あれは背の低いストライカーがマークを外すのに極めて有効な手法なのだ。
つまりオーバーヘッドで蹴るとき、打点は極めて高くなる。通常のヘディングの高さすら超える。従って、背の低いストライカーが周りを長身ディフェンダーに囲まれたとしてもオーバーヘッドキックであればその上を超えてシュートできるのだ。残念ながら上の説を唱えている人は私以外にいるかどうか分からないが、説明すれば一応分かってはくれる。
なお、ゾーンプレスの元祖は、1990年のワールドカップイタリア大会で西ドイツが行ったマラドーナサンドイッチだと思っている。マテウスがマークにつき、もう一人がマラドーナを挟む。どんなドリブラーも2方向から同時にプレッシャーをかければそうそう動けるものではない。これを組織的に行ったのがゾーンプレスなのかな?と考えている次第。
但しこれについては説明しても分かってもらえない。
1984年のロサンゼルスオリンピック以来、オリンピックは商業化の一途を辿り、おかげで黒字が見込めるようになったらしい。テレビ放映権料がでかいが、公式スポンサーが出してくれるお金も侮りがたい。スポーツネタ、目次へ
しかし、テレビ放映権は、開催地が決定する前に売約済みだからいいとして、北京オリンピックについては公式スポンサーはどうなるのだろう。中華人民共和国は一応共産主義だぞ。いざというときになって約束が反故になる可能性も決して無視できない。その辺の「カントリーリスク」を計算の上、各企業は公式スポンサーへの名乗りをあげる必要があろう。
でもまあ、公式スポンサーはまだよい。オリンピックのシンボルマークを世界各国で使う分には特に問題はなかろう。
もっともハズレを引く可能性が高いのは、施設を作るスポンサーである。企業名を付したプールや体育館。これを作ったはよいが最後の最後になって「外資による商業設備は、我が国にふさわしくない。ついては商業的部分を撤去の上、寄付するように」と言い放たれる可能性がゼロではない。そこまでゆかずとも設計や看板の位置に作り始めてから文句をつけられる可能性はきわめて高い。なにしろあの誇り高きディズニーですら、中国政府が要求した映画に対する編集権を承諾させられたわけだから。そんなわけでアチラではディズニーのキャラクタが中国政府万歳を叫んどるといううわさなんだが、本当なんだろうか。1980年モスクワは国の威信をかけてオリンピックを開催した。それ以来、商業主義の外でオリンピックは行われていない。1976年モントリオールは大赤字だったのだ。民主化・資本主義化が進む中国でいったいどのような収支勘定の元、オリンピックが行われるか、興味深さを通り越して不安である。
ディズニーは中国上陸に際して譲歩に譲歩を重ねたが、そのおかげで香港ディズニーランドの建設にこぎつけた。なんとか元は取れそうだ。そうでもして元を取れるという見込みがないと、北京オリンピックには各企業がなかなか金を出してくれないのではないだろうか。
セントラルリーグ、ついにヤクルトが公式に首位になったらしい。スポーツネタ、目次へ
今シーズンからセントラルリーグでは、順位を勝ち数によって決定することになっているそうなので、勝率で上回っても勝ち数が少ないと首位ということにはならなかったようだ。確かに引き分けが多いと勝ち数が下回っていても順位は上、ということがあると変な感じだがする、というのも分かる。それを改善すべく「引き分けをなくする」といった対策をとって、運用上問題があると反省した上での、勝ち数で順位決定という改善の結果であるのは理解している。しかしながら順位そのものが随分と分かりにくくなったなあ、というのが多くの人が持つ感想であろう。
もしこの「勝ち数」というものが定着して「ゲーム差」が死語になってしまうと、興行的に困ったことがおこるかもしれない。かの「メイクドラマ」11.5ゲーム差をひっくり返した劇的優勝!という表現が使えなくなってしまうのだ。勝ち星差11をひっくり返した劇的優勝!と言ったとしても「試合の消化数が10ゲームくらい違うことはあるしなあ」とやや白け気味に突っ込まれてしまうだろう。
また、マジックナンバーの計算ってどうなるのかなあ?もちろんマジックナンバーは出るのであろうが、勝ち数で優勝が決まるとなると終盤の盛り上がりに欠けるかもしれない。
マジックナンバーはよく「マジック対象チームが、残り試合全部勝っても、あと○試合、勝か引き分けるかすれば、優勝する」という説明をされるが、ようするに「2位以下のチームに自力優勝の可能性が無くなった」ということである。
勝率による優勝ではマジックナンバーの計算が複雑で、引き分けてもマジックは減る、という分かりにくいところがあったから結構盛り上がるのであって、勝ち星では単純すぎてありがたみに欠けてしまう。どんな風に報道されるのか、今から心配である。なお、メイクドラマの11.5ゲーム差逆転。いまだにわだかまりがあるんだわ。
その年、ヤクルトの野村監督はオールスターゲームでイチローがピッチャーをやったとき、それに反対して松井に代打を出した。反対するのは分かる。但し理由が判然としない。「オールスターのマウンドを夢見て果たせなかったピッチャーがたくさんいる。いくらお祭りだからといってそんな人たちを差し置いて外野手が投げるというのは失礼だ」とか正論を吐いてほしい。
更に「打てなかったらかわいそうだから」と投手を代打に出すのは逆にバッターに対して失礼である。
いや、それも百歩譲ろう。ならば同じ年の終盤、オーナーが巨人ファンとかで賭の対象にすらならなかった試合、巨人×ヤクルト戦、斉藤、槙原連続完封の試合、せめて最後の打者に投手を代打として出すべきだった。だって本職の打者に「打たせてやれないのはかわいそう」だろう。
日本球界の至宝、イチローはマリナーズが交渉権を獲得した。スポーツネタ、目次へ
しかし「マリナーズのイチロー」は誕生しないのではなかろうか。
イチローがマリナーズに入団しないという意味ではない。
登録名がオリックス入団当時と同じ「スズキ」になるのではないかと言っているわけである。彼らに最もなじみのある日本名はひょっとしたら「鈴木」である。あるいは「本田」ないし「松田」かもしれない。もちろん世界に冠たる日本の自動車産業のおかげである。本名が「鈴木」なのだからこれを利用しない手はない。うまくすると自動車のスズキがあるていど球団にお金を出してくれるかもしれない。
確かに仰木魔術の象徴ともいえる「イチロー」の名は、あまりにもなじみが深く、変更するなんてとても考えられないかもしれない。しかし似たような例はあるのだ。サッカーのカズがイタリアのセリエAに行ったとき、登録名はなじみのある「カズ」ではなく「ミウラ」だった。確かにヨーロッパ人にとっては「カズ」より「ミウラ」の方がサッカー選手として連想しやすい名前だろう。ワールドカップ最高得点記録保持者、「重爆撃機」ゲルト=ミューラーの「ミューラー」に音韻が似ているという単純な理由であるが。さすがは三浦知良、現地に溶け込もうという国際感覚が見て取れる。そういえば、ブラジル代表選手にも「ミューラー」にあやかって登録名を「ミューレル」とした選手がいた。「ミウラ」は世界的に通用する名前かもしれない。
「三浦」という名前の人にこの話をしたら「それはミウラといえばランボルギーニ=ミウラでしょう」という反応。なるほど「ミウラ」は闘牛用の牛の品種名。私は深読みしすぎでした。とはいうものの、やはり「イチロー」のままにしたい人もいるだろう。筆頭オーナーが日本人というのが大きい。トレードマネーを日本向けの放映権料でまかなうことも考えているとすれば「イチロー」のほうが望ましかろう。
それにこれもまた前例がある。ニンテンドーがポケモンを合衆国に輸出するとき、ポケモンの名前を現地人に発音しやすいようにアレンジすることをしなかったそうだ。それとも「郷に入っては郷に従え」という意味での国際感覚は時代遅れのものなのかなあ?言うまでもなくポケモンは大ヒットしたのだから。ちなみに、イチローの独創とされる振り子打法、やっていた人は多いのではなかろうか。実は私もそうである。軸がぶれやすかったので、最小限の動きでボールを叩くことを考えて編み出した。しかし、致命的欠点があった。飛ばなかったのだ。外野の頭を超えるのは至難の技だった。だからイチローがいかにすごいか、私なりによくわかる。
格闘技の目的は、相手の戦意を奪うこと、あるいは戦闘能力そのものを奪うことである。スポーツネタ、目次へ
しかしながらそのままでは、あとあとまで心理的にも肉体的にも尾を引くので、競技として行われる際には、戦闘能力を奪うところまでゆかずとも決着がつくように、勝敗の判断基準が制定され、皆がそれに従うようになった。
それが最もはっきりしているのは相撲かもしれない。土俵の外に出るか、土が付けば負け。技をかけたかどうかは第一義的な意味を持たない。
逆にもっとも格闘技の原型に近いのはボクシングのように思われる。そのかわりボクサーは結構健康が破壊される。あしたのジョーも真っ白な灰になってしまったし。そんなわけでポイント制が導入され「パンチがあたったらポイント」という分かりやすいルールになってきた。レスリングもポイント制、このポイントも基準がはっきりしている。テレビの解説と実際の採点がずれることすら滅多にない。ところが、柔道の疑惑の判定を見ると、悩みますね。言うまでもなくシドニーオリンピック男子100kg超級、決勝戦、内股をすかしたのが見えなかった審判のことです。
確かにポイント制とはいえ柔道の技は見えにくい。その理由としては技が多種多様なのもあるでしょうがもう一つ気がつきました。柔道では「相手の戦闘能力を奪わない」ように技が作られているということです。相手が受け身を取りやすいように投げるのです。背負いで投げた後は、ちゃんと腕を引いて相手が頭を打たないようにしてあげるのです。
そんなわけで、投げた後は「技が見えないのです」。もしいくらあほな審判といえ、投げられた方が頭を押さえてうずくまっていれば、それは技を返されたのだと分かるでしょう。ところが柔道の技は相手を保護するようにできているということは、案外と知られていなかったようです。例えば、猪木の異種格闘義戦の相手、柔道世界一のルスカ。投げても投げても猪木は立ち上がってきました。ルスカはKOできないことにとまどったようです。そうこうしているうちに、猪木の「両足を揃えた」バックドロップで敗れました。バックドロップ自体は柔道の「裏投げ」や「捨て身」のようなものだから、ルスカも未経験ではないでしょう。しかし、猪木は投げること自体を目的としたわけではなく、相手の戦闘能力を奪うことを目的として投げたわけです。
もちろん、相手の戦闘能力を奪うことを目的として投げることは、柔道家にも可能で、事実チョチョシビリは裏投げで猪木をKOしました。恐ろしいのは、今後、審判が技を見てくれないのなら、戦闘能力を奪おうと選手が判断しはじめることです。受け身のとれないように投げる。背中から落とさずに頭から落とす。いままでは、自分のプライド(相手に対する礼儀)と審判に対する信頼がそれを防いでいましたが、その前提がひょっとして壊れたかもしれない。
それを100キロ以上の人間が行うのです。どんなアクシデントがあっても不思議ではありません。いままでは審判がいるからということで、柔道は競技の枠内にとどまっていましたが、今後はどうなるか分かりません。審判の技術は格闘技を競技の枠のうちにとどめておくのに必要だから重要なのです。だからそこまで考えて、技術向上を図らなければならないのです。
産業革命以降、地球の酸素はどんどん減っているはずなのに、最大酸素摂取量がポイントとなるはずのスポーツの記録は伸びている。これは人間の体が次第次第に酸素を必要としない向きに進化してきたためではないか、と考えることもできよう。要するに全人類が高地トレーニングをしてきたようなものだ。スポーツネタ、目次へ
そんなわけで最近は800メートル走ですら短距離扱いになって息を止めて走るそうだ。やはり人間の体は酸素を必要としなくなってきたのだろう。
人間の体がこういう風に変わってくると、いままでのスポーツ界で常識となっていたこともどんどん疑ってかかることも必要となるかもしれない。例えば、先日のNHKスペシャルで取り上げていたが、従来の100メートル走では常識であった「体を立ててはしる」のではなく、はじめの20メートルは加速のため「思いっきり前傾する」というのが好記録のためのトレンドとなってきたらしい。おっと、これは酸素とは関係ないか。でも、筋肉の疲労を抑える目処が立ったことには関連するな。こんな傾向が進むと、常識が文字通り180度転換し「100メートルは後ろ向きに走った方が速い」というふうになるかもしれない。少なくとも1メートル走なら、確実に後ろ向きの方が速い。垂直方向になら2メートル走でも後ろ向きの方が速いだろう。(高飛びのことをイメージしている。ジャンプの速度が速いから高く飛べるのだ。)
最初に背面飛びを発案した人は「何を考えとるんじゃ」と変人扱いされたに違いない。しかし、力をかけるだけなら後ろ向きの方が有利なことは誰もが知っているはずである。綱引きは後ろ向きに引っ張るでしょう。相手に背を向けて、前に押したりはしないですよね(高校時代やったチームがあったが、惨敗した)。ということは、ひょっとして「後ろ向きに走った方が速いのではなかろうか」。少なくともDASHは。
ちなみに、綱引きで最も強いと言われている戦法は、開始の合図で綱から手を放し、相手が尻餅をついたところで思いっきり引っ張るというものらしい。しかし、100メートル走、下を向いたまま加速するのが速いのであれば、スタートのフォームも変わってくるのではなかろうか。流行のクラウチングスタートは、どう考えても両足をスタートラインより後ろに引きすぎる。相撲の立ち会いの格好でダッシュする方が無駄な距離を走らないので記録は伸びるかもしれない。事実、ダッシュだけなら千代の富士の速度はカール=ルイスを超えているという話もある。
数年のうちに立ち会いスタイルがスタンダードなスタート方になると、大阪オリンピック(ホントにやるのか)では、スターターが行司の格好をしてオリエンタルムードを醸し出す演出が使われるかもしれない。長野オリンピックでは土俵入りまで詰め込まれたんだから現実になっても不思議はない。4年に一度、この時期になると思うことがひとつ。
棒高跳びの「鳥人」ブブカは本当は、何メートル飛べたのだろう。
世界記録を1センチごとにあげてボーナスで稼いだはいいが、自己のベストを公式記録に残せなかったというのを、実は本人淋しく思っているのではなかろうか。しかし、オーストラリアの由美かおる、オリビア=ニュートン=ジョンは若かったねえ。(姓が名前のようなところも似ている)
美容技術は確実に進歩しているようだ。
日本が長野オリンピックでメダルを取ったからかどうかは知らないが、スキーのジャンプ競技、板の長さ制限が変わったそうだ。身長と相関関係を持たせたらしい。おかげで日の丸飛行隊はワールドカップで好成績を上げるのが難しくなった。スポーツネタ、目次へ
これが公平なんだそうだ。たしかに体格の違うものを同じルールで、とすると場合によっては不公平なのかもしれない。オリンピックという大舞台で、そういう解釈がなりたったというのは、それはそれでエポックメイキングなことだろう。しかし不満なのは、なぜこれがスキーのジャンプ競技に限られたことなのだろうか、ということである。どうして陸上100メートル走は対象にならないのだ。それに水泳。最後のコンマ何秒の差は身長が大きくものをいうぞ。
だから、スキーで身長がハンデとならないようにというのなら、とうぜん他の競技も対象とすべきだろう。なのに検討された形跡もない。もし実現すれば、体格に劣る日本人もこれらの競技でどんどんメダルがとれるに違いない。たしかに、100メートル走は100メートル走るから100メートル走なのだ、と言われると文句がつけにくい。確かにスキーのジャンプも助走の距離は身長に関係なく同じである。道具が違うだけである。
ならば、砲丸投げや槍投げはどうだろう。体重が軽いものに対しては、軽い砲丸を使わせるというのが筋だと思うのだが、いかがなものだろうか。投げるときにはみ出てはいけない円の大きさはもちろん同じ。この大きさがスキーのジャンプ競技での助走距離に相当するといえるだろう。そして記録はジャンプと同じく距離で測られる。理論としては突っ込みようがないと思うのだがどうかなあ。これで日本もメダルの可能性が増してくるというものだ。水泳にしたって、飛び込み台の高さは頭が一線に揃うように変えてもいいんじゃないかなあ。(いまは、足を一線に揃えている。)陸上競技でも「100メートル」や「1万メートル」は、競技名に距離が入っているからどうしようもないかもしれないが、「マラソン」なら体格に応じて距離を変える余地があるはずだ。選手によって折り返し点の位置を変えて調整すればよいわけだから技術的困難も少なかろう。
え、マラソンはオリンピックの象徴でそんな勝手に距離を変えるわけにはいかない?
でも、変えたでしょ。第4回ロンドン大会で。40キロだったコースが王女様の「スタートが見たい」という要望に添って2.195キロ伸ばされたと聞いたことがございます。なら、体格に劣るものはオリジナルの40キロでもいいということにいたしませんか?
少なくとも王族のわがままで距離を変えられたままでは、一刻も早く勝利を伝えたいと、命と引き替えに走り抜いたマラトンの無名兵士が浮かばれないでしょう。
仕事をしているように見せるには、何かを変えることが最も楽な方法である。
同じことをずっとやっていたのでは、多少の改良をしていても全然目立たない。そんなわけで、ピッチングコーチという人種は、まず新人投手のフォーム改造に手をつける。何か仕事をしているみたいでしょう。だいたいの場合新人投手は調子を崩してつぶれるんだろうなあ。(^^;
でも当のコーチはスカウトがろくな選手を捜してこない、と文句を言ったり、この選手はやはりプロでは通用しなかったんだ、と残念そうな顔をしていれば格好が付く。新日鉄の新発見、野茂投手がこの傾向に風穴を開けた。「フォームをいじりません」という一筆を近鉄を始め各球団が入れたらしい。人によっては野茂のフォームを合理的と評すこともある。能力のある人間がそれで成功しているんだから、変に枠にはめないこと。これが大事である。
野茂が球団と喧嘩して、大リーグに去ったが、これは野茂の夢を球団が受容しないがゆえに後味の悪いものとなった。難しいのはこの問題、だれも悪くないということだ。球団としてはエースに抜けられるのは困る。野茂はオリンピックで対戦した相手が大リーグで活躍しているのを見て、是非自分もやってみたいと夢を追う。結果として野茂は球団がうんと言えない条件を出し、日本球界と絶縁する代わりに大リーグに渡ることができた。
でも近鉄球団としても、野茂の決心が揺るぎがたいことを知ったところで、寛大な処置をとっていてくれればな、そうすればいつか野茂が日本球界に帰ってきて大リーグ仕込みの投球をすることにより、日本球界が底上げされたかもな。
でも、子どもを留学させるのとは訳が違う、大人の契約だしなあ。。。と結論が出ないのでありました。野茂はどっちかというと応援しているが、同じく大リーグに渡ったとはいえ伊良部には個人的にも腹が立っている。不本意なピッチングをしたあとのインタビュー。何を問われても「普通です」を繰り返す。プロ野球とはサービス業ということを分かっていない。私が記者だったら「では、伊良部さんが何とおっしゃったかと現地の記者に問われたら、今のお答えをそのままお伝えしてよいですか?」と伺いますね。多分「どうぞ」でしょう。すると、普通に英訳すれば
「私は平凡な投手だ。あれが私の通常のピッチングだ」 と合衆国の記者には伝わるでしょう。伊良部君も自国の記者には気を許してついつい本音をしゃべっちゃったかな、ととられてもおかしくないですね。まあ、そのまま首になるとは申しませんが、かなりやばい立場に追い込まれることは確実。お口直しになぞなぞ
「アメリカに大リーグ球団はいくつあるか?」
難しいです。答えは一つに決まりません。モントリオール=エクスポスはアメリカ大陸ではあるがアメリカ合衆国にはない。(私が必ず「合衆国」と表記し、決して「アメリカ」といわないのはここに理由がある。)
本論とは関係ないですが、Symantecがラブウィルスと同じカテゴリー4の危険度とみなしたStagesウィルス。例によってウィルスバスターのデフォルト設定では発見できません。スポーツネタ、目次へ
サッカーハッサン二世杯。日本代表は世界王者フランスとの対戦。惜しくも負けはしたが、おかげで前回ワールドカップ雪辱のジャマイカ戦。それなりに視聴率は稼げそうなのだが日本では生中継というものがないようだ。おかげで中田が出ていたのかどうかも私は知らない。
なんでかなあ、と考えてみた。そういえばモロッコはなぜ日本を招待してくれたのだろうかという疑問も解けないままであった。
2つ併せて考えると「日本がお金を持っているから」という結論が出た。旧宗主国でワールドカップ前回優勝のフランスは外せないとして、あとお金を持っていそうなのはヨーロッパ、しかし欧州選手権があるからフランスは対戦をいやがるだろう。しかし南米はあまりお金を払ってくれそうもない。そんなわけで日本。うん納得。
しかし招待しますからお金を持ってきてください。では招待になっていない。そんなわけで日本企業の広告やテレビ放映権料を当てにするわな。そんなわけで今回モロッコが提示したテレビ放映権料は相当なものだったのだろう。普通ならば払ってしまえ、となるのだろうが今回はそうはいかない理由が思い当たる。2002年ワールドカップの放映権料を言い値で払うか、という問題と絡みそうなのだ。フランス大会の20倍(いまだに信じられないのだがホンマか)といわれる放映権料をできれば払いたくない。まずは「言い値では払わないぞ」という決意をどこかで見せなければならなかったはずだ。さらに、放映権料を払わないとなると、多分24時間遅れの録画放送ということになる。それで視聴者が納得できることを日本のテレビ局は証明しなければならない。
今回のハッサン二世杯はそれを証明する機会としてとらえられたのだろう。テレビの放映権料がどうのというのは当事者同士できめられるもので別に関係はなかろうとも思うしテレビ局はテレビで非難されないのをいいことに好き勝手しているのだから適当にやってくれ、という気がしなくもないが、自国開催だし日本人は言い値を払うだろうとFIFAかどっかに馬鹿にされるのはもっと嫌なので、今回の「生中継なし」、全然気にしていないことにしようと思っている。
東京ドームができて変わったことといえば。思い出すと後楽園球場はたしか両翼80m。以前は90と書かれていたが、いずれのおおんときか数字が消されたのは、このことがばれてしまったかららしい。そんなわけでギネスブックでは王貞治の記録は参考扱いになっている。そりゃそうだろうなあ。もっともベーブルースの記録も疑問が残りはする。当時はエンタイトルツーベースがなく「フェンスを越えれば全部ホームラン」だったそうな。スタジアムも左打者有利だし。
- 日本の球場が広くなった。
- いつの間にか西武球場がパシフックリーグで一番狭くなってしまった。このおかげで一番がっかりしているのは熊本市民であろう。それまでは熊本の藤崎台球場が日本で一番広く、唯一大リーグ規格を満たす球場であったために、大リーグチームの来日時には必ずそこで一試合は組まれたわけだ。しかし東京ドームができてからは、熊本市民はさぞや残念なことであろう。
- 度量衡の単位の統一が進んだ。
- 以前、面積は甲子園球場いくつ分という単位と後楽園球場いくつ分という単位が混在していた。容積は丸ビル何杯分という単位と霞ヶ関ビル何杯分という単位が主に使われていた。東京ドームが出来てからは面積も容積も東京ドームいくつ分、に統一された。
その代わり、サヨナラホームランというのも滅多になく、たとえフェンスを越えた打球で勝負が決まっても決勝点のランナーがホームインしたところで試合終了となったらしい。つまり同点の9回裏、ランナー1塁でフェンス越えの打球を打っても、1塁ランナーがホームインしたところで勝負は決するから、ルース自身の記録は3塁打にとどまったらしい。伝説のルースの予告ホームラン。写真を見つけた。バットを高々とあげてスタンドを指していると想像していたがそうでもない。興味のある方はブルックスの「人月の神話」をどうぞ。
先週の野球クイズの答え。スポーツネタ、目次へ
先頭打者 3塁打、但しホームを欲張ってタッチアウト。
2番打者 同上
- (ここで2死走者なし)
3番打者 2塁打
- (2死2塁)
3番打者、盗塁
- (2死3塁)
4番打者 四球
- (2死1,3塁)
4番打者、盗塁
- (2死2,3塁)
5番打者 四球
- (2死満塁)
6番打者の打球がランナーに当たる。
当然盗塁のタイミングでバリエーションは作れるが基本的にはこのパターン。- ランナーは守備妨害でアウト。但し、打者にはヒットが記録される。
- そんなわけで無得点。
ということは首位打者を狙っているチームメートの打球を蹴飛ばせばヒットになるから打率は上がるのだが今のところこのパターンを見たことはございません。
実際プロ野球で5連続安打無得点というのはあったらしい。守りきったのは「金鯱」とかいうチームだったかな?しかし、ショムニのオープニング今ひとつでしたね。本編のカメラワークはこってるだけにね。やはり前が良すぎると自分でも越えるのが大変かな?
でもエキストラは増えていた。有名番組ということで、出演ドラマの実績に名を連ねたい芸能プロダクションがロハで役者を派遣したか?単に予算が増えたのか?
そういえばこういった「ピッチャーひたすらストレート」「バッターひたすらフルスイング」という高校生らしいプレーがプロ野球であったそうな。かの江夏のオールスター9連続三振がこうだったらしい。全球ストレート。だから打者は思いきり振ってくれたのだろう。江川の連続三振が8で止まったのは、最後にカーブを投げたからというのは定説になっているが、江夏のことを考えれば当てにいった大石を非難することはできないであろう。(大石自身、ストレートだったら見えなかった、と言っているし)
もっともこれは勝敗がとりあえず関係ないオールスターだから行えたこととも判断できる。勝つことを追求するのであれば、みんなでバスターというのも選択肢。バスターというのも高校生らしいかな?「江川の球は打てないから」と謙虚にコツコツ当ててゆくというのも美談といえば美談かもしれない。
でも松井を押さえられないからと謙虚に認め、全打席敬遠するというのはどうも。
この辺が割り切れず悩んでいたのだが、何とか説明をつけることができた。「相手のプレーする権利を奪うかどうか」という観点で見れば筋は通る。松井の全打席敬遠は松井の打つ権利を奪うから悪いのである。そんなわけで投げる権利を奪われることのない投手に対する評価はどうしても辛くなる。
そんなわけで、冒頭の「同点の9回裏、一死三塁、打者4番」の場面も何とはなーしに2人敬遠すると悪いことをしたように見える。では、こんなのはどうだろう。スクイズを警戒して2者連続、全球ウェストボール。これならだれも文句は言わないはずだ。
プレイする権利がどうの、というのはあまり日本人になじみのある用語法ではないが、象徴的な例が一度あったなあ。残り試合全部勝てば優勝の近鉄。最後のダブルヘッダー、そして第二試合。しかし、時間切れ引き分けが決まってしまった。もう優勝はない。それでも守備に向かう(最後まで阿波野に投げてほしかったなあ。)
それにしても、なんでロッテの有藤監督は審判の判定を不服として12分も抗議をしたんだよお。あれは近鉄の時間いっぱいゲームを続ける権利を侵害したから悪く言われると考えてよかろう。
あれさえなければ、突き放すロッテ、必死で追いすがる近鉄、史上最高の試合だったのに。
元々オリンピックへの参加はアマチュアに限定されていましたが、これは以下のような理由によるものと聞いております。所詮は銭のためにやっているプロよりも、好きでやっているアマチュアの方が実力者であ〜る。スポーツネタ、目次へ
たしかに、長野オリンピック、骨折覚悟で135メートル飛んだ原田を見ているとそうかな、という気がしなくもありません。プロならあんな無茶はしないでしょう。
しかし、オリンピックが生まれた時代を考えてみると。ギリシャ時代、この時代の「プロ」というのは奴隷のことではなかったのかい。そう考えるとオリンピックは自由人のための大会であって、奴隷を閉め出す口実としてアマチュアリズムが持ち出されたのでは無かろうか。
たしかに、アマチュアのための世界的な大会があればいいなとは思うけど、オリンピックでのアマチュアリズムの出来がもしこうであるならば、人権の面から考えて、オリンピックをプロに無制限開放すべきではないかなと思う次第。
(1999.08.10更新)スポーツネタ、目次へ
逆にマツダ(なぜ徳大寺有恒がマズダと発音しないか謎。メルセデスをメルチェデスと発音するんだから、当然mazdaは・・・)がルノーの資本を仰いでいたら。
当然、広島東洋カープは野球に何の関心も持たないフランスの自動車会社の命令で売却されていただろうし。横浜マリノスは合衆国資本によって廃止の憂き目にあっていただろう。
プロ野球はまだ売れるとしても、今Jリーグチームを買い取ろうなどというところはあるまいからね。上のような話をしたところ、ほとんど賛同を得られませんでした。ありそうなことなんですけど。まあ、あまり資本参加には影響がないということなのでしょうか。
逆のことも考えられるかも知れません。広島カープがあったから、フォードは資本提携してくれたと。合衆国ではプロ野球球団のオーナーというのは男の最高の道楽として尊敬を集めるのだそうです。でも、フォードくらいなら大リーグのどこかのチームに出資していそうなもの。よく球団名に会社の名前を入れずにやっていけるものだなあ。
たまに、日本の球団も社名を出さずに地域と密着すべきだという案が出ます。Jリーグは(読売以外は)そうしたんだよな。
プロ野球も「Bリーグ」とか名前を変える際にやってみてもいいかも知れない。とはいうものの、むしろファンがいやがりそうだ。「西宮タイガース」はいいとしても、東京都民の球団「東京ファイターズ」というのは、逆に都民から反発が出るだろう。
中学生の頃だが、私はサッカー日本代表14番のユニフォームを着ていた。レギュラーというわけではないが、何度かヨーロッパで試合をしたこともある。大火傷をしなければ、ひょっとしてJリーグ創設時にはプロとしてフィールドを走っていたかと思うとちょっと残念でもある。スポーツネタ、目次へ
今回は趣向を変えて、そういった過去の栄光の話。とにかく驚いたのは、あちらの連中はとてつもなくサッカーがうまいということ。こっちは立っていることさえ出来なかった。ほとんどあそばれたという感覚で、どうしてもボールにさわりたければ、外にポーンと蹴られて、誰も取りに行かないようなボールに思いっきり駆け込むくらいしかなかった。
日本の学校教育中心のサッカーでは、それなりにうまくボールが扱える才能が有れば、すぐにヒーローになれる。そしてとてつもなくうまい奴がいるなどということは当分知らないままに慢心できるわけだ。そして、そうなればやはりかっこいいプレイをしてきゃーきゃー言われたくなるもんだ。
ところが、うまいやつと一緒にサッカーをすると、かっこいいプレイなんてとても出来るものではない。ボールに触れたければ転びながらでも、追いかけるしかない。でも、これを経験したおかげでサッカーというのが分かったような気がした。三浦知良のブラジル時代のビデオを見ていると、そのとき覚えた、とにかくボールにさわりたい、という感覚を思い出す。どんなにかっこわるくても頭の先がボールに当たって、たまたまそれがゴールに転がり込めばこっちの勝ちなわけだ。ヨーロッパでは、現地のチームに混じってプレイしたこともある。当然、サッカー弱小国の子どもになどボールを渡してくれるわけがない。(これはアヤックスの練習生だったときの岡野も感じたことらしい。)では、どうやってパスしてもらうか。敵に囲まれて、にっちもさっちもいかなくなった味方を助けに走る。そうすれば、パスをくれる。言葉は通じないけど、なんとなくともだちにもなれる。今度は自分のほしいときにパスをくれる。(だいたい失望させたが。)
なのに、なぜ日本サッカーは味方が囲まれていても、だれもパスの出せるコースに走らないのだろう。あ、後ろからボールをもらいに走っている、それだよ、と思うと、やはり三浦知良だった。彼もブラジルで同じような経験をしているんだなあ、うん。以上、書いたことは全部本当だけど、わざと誤解を招くような書き方をしたところもある。残念ながら、日本代表のユニフォームは物理的に着ただけで、ジュニアの代表だったわけではない。
では、なんでそんなものを持っていたかというと、日本代表がドイツに遠征してきたとき、余ったユニフォームをもらったから。ユニフォーム交換のために余分を持ってきていたんだけれど、あまりにも弱かったせいか対戦相手が交換に応じてくれなかったんだそうだ。もうわかるとおり、当時私は西ドイツ在住だった。だからヨーロッパで試合をしたというのは本当。感じたこともその通り。
で、日本代表のユニフォームをもらえた理由にもそれなりのものがある。日本人プロ第1号、奥寺選手はわが家に(身重の奥さんと一緒に)来たこともあったりする。
ずいぶんむかしのことだけれども、いまだに日本サッカーに感じることは当時とあまり変わらない。まあ、上の文から何かを感じてくれた人もいるでしょう。そういう人のためのおまけ、同じ海外帰国子女と話をしていて感心したこと。〜彼はブラジル在住だった〜
私が「ドリブルというのは、全てのフィールドプレーヤーの中で自分が最初に追いつける状態を保ち続けることだ」(こう考えただけで、ドリブルがとても上手くなります)、というと、彼が返して「ドリブルというのは、フェイントをかけて抜いていくのがおもしろいんです」。
組織プレーのヨーロッパ、個人技の南米、というのがどういうことかどういうことかよく分かりますね。(^^)