そいつを初めて見たのは、火星の下町の裏通りにある小さな賭場だった。
俺はチンケな賞金首を探してそこに潜り込んでいた。安い酒を頼み、ちびりちびり飲りながら、目立たないようにあたりを伺っていた時だった。
奥の方の騒ぎが徐々に大きくなってきた。見るとどうやらサイコロ賭博で盛り上がっているらしい。ゲームはいわゆる「大小」という昔ながらのやり方だ。一人勝ちしている客がいるようだった。台に近づいていくともじゃもじゃ頭の背の高い男がディーラーをひやかしているのが見えた。
「いやー、俺にもやっとつきがまわってきたよ。たまにはいいこともあるもんだねー。」
ディーラーは少し青ざめて男の前にチップの山を押しやっていた。かなりの額だ。この男は限度を知らないのか。俺は舌打ちをした。こんなことをしたら面倒なことが起こるのは時間の問題だった。ディーラーは黙って3つのサイコロを筒の中に放り込みシェイクして筒を伏せた。男は薄く笑って「大」の上にチップをすべて置いた。まわりの客がかたずを呑んで勝負を見ていた。伏せた筒の中からサイコロが覗く。
「3・3・3…」「親の総取りだ!」
客がささやく中で笑顔を取り戻したディーラーが男の置いたチップを引き寄せようとした。その時、男は信じられない素早さでディーラーの手首を掴んだ。
「な!なに…」
慌てるディーラーの手首をねじりサイコロを取ると、男はサイコロを噛んだ。
「鉛…ふーん、古典的だなあ。」
「き、貴様…」
店の中が一気に険悪ムードと化す中、男はよほどニブイのか更に能天気な声で
「いかさま、見破ったんだから俺の勝ちだよね。」
そういってチップを掻き集め始めた。と、奥の扉が開いて、たちの悪そうなちんぴらが5,6人出てきて男を囲んだ。予想通りだ。面倒な事になった。
「兄さん、いいがかりつけられると困るんだよね。こっちも商売だからさー。」
ちんぴらの一人がなれなれしい口調で男に話しかけた。
「俺だって真剣さ。もう三日ろくなものを食べてないんだ。これは俺のメシ代。」
男は楽しそうにそう言った。この男、よほど度胸があるのか、それとも…
「ちっと痛い目みないとわからないようだな!」
こっちが恥ずかしくなるような古典的なセリフを吐いてちんぴら数人は男に殴りかかった。その刹那、
(…?)
一瞬、男の方から冷たい風が吹いてきたような気がした…いや、あれは…
男の動きは速かった。流れるように体を沈め、ちんぴらの拳は宙をきった。そして舞うような動きで一人をあっというまに叩きのめした。
(すげえ…)
ここが開けた場所だったらそのまま男はなんの苦もなくやつらを叩きのめしていたに違いなかった。が、いかんせん場所が狭かった。勝負を見て熱くなっていた客の中にちんぴらが吹っ飛ばされ、そのまま乱闘が始まった。
ヤバイ。これはさすがにヤバイ状況だった。こんな騒ぎになれば警察かマフィアのどっちかが顔を出すに違いない。船を買ったばかりの俺はトラブルは避けたいところだった。トラブルは金がかかる。俺に今金銭的な余裕は無いに等しい。逃げようとしたとき、他の客より頭一つ高い、騒ぎの元凶の男が視界に入った。そいつはあいかわらず流れるような動きで相手かまわず吹っ飛ばしながら、やはり出口に向かっていた。その時、一人のちんぴらが銃を抜くのが見えた。標的はあの男だ。
「チッ!」
俺は銃を抜いてそいつの手をぶち抜いた。なんでそんな事をしてしまったかわからない。その男は俺が自分を助けたことに気づいたのか、驚いたようにこっちを見た。俺の腹は決まった。そして男の手を掴んで言った。
「来い。逃げるぞ。面倒なことになる。」
「待ってくれ。メシ代、チップ替えないと…」
「えーい、メシは奢ってやるからさっさと来い!」
「本当か?俺火星ダックが喰いたい。」
「先に逃げろって!」
「…火星ダック…」
「…」
「火星ダック」
「…」
「火星ダックー」
「うるさい!がたがた言わずに喰え!」
「ちきしょー、だまされた。あんたの手料理なんてサギだ。だいたいなんの料理
だこれ。」
「…チンジャオロースだ。」
「…俺には肉が見えないんだけど。」
「…」
「肉がなくてもチンジャオロースって言えるのか?」
「いらないならムリに喰わなくてもいいんだぜ。」
俺が手を伸ばした瞬間、そいつは皿を抱えてがつがつ食べ始めた。
「…まずい」
「黙って喰え」
言った俺の鼻先に皿が突き出された。
「…おかわり」
さすがの俺も頭に来て、それでもキッチンの方に歩きかけたとき
「…それとビール」
思わずどなってやろうとそいつの方を振り向いた瞬間、俺は醒めた。
そいつは、俺の顔を見ていた。何の感情も持たない顔で。そこに男は座っているのに、まるで物でも置いてあるようだった。気配も、生気も感じられなかった。俺はその時初めてそいつのブラウンの瞳の左右の色が違うことに気がついた。そのためさらに表情が窺えなかった。あまりに感情のないその瞳の奥に、ブラックホールが口を開けている気がした。
「…ビールはそこの冷蔵庫に入っているから、勝手に出して飲め。」
そう言ってキッチンに入った。皿に料理を盛りながら考えた。わけありなのは見ればわかる。しかし、こいつはまだ若く、しかも腕が立つ。俺の探している条件にも合う。そして俺はあまり選り好みできる状態ではなかった。
皿をもってリビングに戻ると男は片手でビールを飲み、片手で銃を俺に向けていた。
「何のマネだ?」
「どうして俺を連れてきた?」
普通の調子でそいつは言った。顔は笑っているが生気のなかった瞳に冷たい光が宿っている。俺はさっきの賭場での情景を思い出した。殺気だ。そいつは楽しそうに殺気を身にまとって闘っていた。まるで生きているのはその瞬間だけと言わんばかりだった。
「誰かに頼まれたのか?」
「誰にも頼まれてねえよ。まあ、そいつをしまえよ。」
あいかわらず薄笑いを浮かべたまま、そいつは銃を懐にしまった。
「俺はジェット・ブラック。賞金稼ぎさ。まだなりたてだがな。」
そいつは俺の目を見ながらチンジャオロースをがつがつ喰っていた。
「おまえ、名前は?」
「…スパイク」
「何やってる?」
「見りゃわかるだろう。食い詰めた流れ者さ。」
俺はソファーに座ってそいつと向かい合った。
「俺はな、この船を買ったばっかりだ。ボロの中古漁船だがな、これでも結構張り込んだんだ。あちこち手直しもしないといけなかったしな。そこでな、今金が要るんだ。もちろん賞金首を捕まえりゃいいんだが、一人では限界がある。大物に手を出すのも一人では考えもんだ。それで相棒を探していたんだ。」
一気に話した。こいつは受けねえだろう、そう考えていた。
「なーんだ、スカウトか。いいぜ、いっしょにやっても。」
予想に反してそいつはあっさりそう言った。俺は少し驚いて言った。
「い、いいのか。」
「ああ。こんな暮らしにも飽き飽きしていたからな。この船に乗せてもらえるのか?」
「あ、ああ、狭いが生活に支障は無い。どっかに荷物とか置いてるなら取りに行くか?」
「荷物は別にない。じゃあ、よろしく。スパイク・スピーゲル。」
そいつはフル・ネームを名乗って右手を差し出した。
「ああ、よろしく。ジェット・ブラックだ。」
改めて名乗り、握手を交わした。
「しかし、いいのかそんなにあっさり受けて。報酬の分配とか…」
あまりの順調な成り行きに俺の方が心配になって言うと、そいつは
「別にいいぜ、どうでも。喰えて、寝る場所があれば。できれば専用機が1機欲しいが…」
「そいつは考えよう。どうしても必要だからな。」
「なら、後は別に…じゃ、俺寝かせてもらうわ。ごっそさん。」
「奥にいくつか部屋があるからどれでも好きに使ってくれ。」
「わかった。」
奥に行きかけた奴の背中に、俺はもう一度言った。
「なんで受けた?」
奴は立ち止まった。その姿勢のまま少しかすれた声で答えた。
「俺は一度死んでるんだ。これからは覚めない夢を見てたい、それだけさ。」
そして俺の方を振り向いて言った。
「今よりわくわくさせてくれンだろ?」
「あんたは…」
「ん?」
「あんたはなんで俺に声をかけたんだ?」
次の朝、キャビンに行くと、奴はなんだか見たこともない体術のトレーニングをしていた。流れる水のような滑らかな動き。こいつとはやり合いたくねえ、そう思った。
しばらくして、奴が汗を拭きながら俺に話しかけてきた。
「ああ、俺にも俺なりの相棒探しの条件が合って、それをおまえが満たしていたからだ。」
「フーン。」
「つまりな、女でも子供でもない。腕が立つ。詮索好きじゃない、お人好しでもない、悪党でもない。現在無職。」
「悪党じゃない?」
「本当の悪党ならあんなチンケな賭場でいざこざおこして騒いだりしない。」
「なるほどな。」
「そういや、おまえギャンブル好きなのか?」
「いや、別に。腹が減ってたんだ。」
「じゃ、なんであんなに一人勝ちしてたんだ?イカサマか?」
奴はつぶれた煙草をくわえて火を付けた。
「目はいいんでね。」
紫煙を吐き出して奴は言った。
「あんた、警官だったのか?」
俺は驚いた。
「どうしてわかった?」
「詮索好きだからさ。結構おしゃべりなんだな。」
顔が赤くなるのがわかった。しばらく一人でいたせいだろうか。
「すまん、気を悪くしたか?」
「別に。」
奴はキャビンの窓に近寄って船の外見を眺めた。
「この船の名前は?」
「Bebop号だ。なかなかセンスあるだろう。やっと手に入れた、俺の船だ。」
「Bebopねぇ。Jam Sessonはこれからだろうに。」
奴が笑った。今までの笑い方より好感が持てた。
「朝メシをつくるから、こい。」
「ベーコンなしのベーコンエッグとか、やめてくれよ。」
「うるさい。文句があるなら喰わなくていいんだぜ。」
こうして俺はスパイク・スピーゲルをコンビを組んだ。
作/亜巳