奴に初めて出会ったのは、火星の下町の裏通りにあるチンケな賭場だった。
普段賭博はやらない俺だが、背に腹は代えられない時ってなあるもんさ。その時の俺は3日間ろくなものを食べていなかったんだ。金になるならなんでもよかった。俺はサイコロゲームを選んだ。よーく見える瞳とツキでもって、俺は大勝ちしてたってわけさ。ざっと100万ウーロンは勝ってたと思う。
「いやー、俺にもやっとツキがまわってきたよ。たまにはいいこともあるもんだねー。」
和ませるために言ったつもりだったが、逆効果だったらしい。ディーラーは目元をピクつかせながら黙りこくってサイコロを筒に放り込んだ。
そう、俺は引き時を間違えたんだ。小さい賭場の相場を知らなかったせいもある。次のゲームで俺は負けた。そんなわけはないのに。なぜって?見えてたからさ。ころがり出たサイコロの動きも不自然だった。
「3・3・3…」「親の総取りだ!」
客がざわめいていた。親の総取り?出来過ぎだろ、そんなの。にやけた笑顔でサイコロを回収したディーラーの手首を俺は素早く掴んだ。
「な!なに…」
慌てるディーラーの手首をねじりサイコロを取り上げ、俺はサイコロを噛んだ。
鈍く光る金属が見えた。
「鉛…ふーん、古典的だなあ。」
「き、貴様…」
やっと稼いだ俺のメシ代をケチなイカサマで持っていかれちゃたまらない。
「いかさま、見破ったんだから俺の勝ちだよね。」
俺はそういって自分のチップを回収した。と、奥の扉が開いて、いかにもなちんぴらが5人出てきた。なるほどね。
「兄さん、いいがかりつけられると困るんだよね。こっちも商売だからさー。」
ちんぴらの一人が俺に言った。この後の展開は大体予想がついた。いいか、どうせ退屈してるんだし。空腹じゃなきゃもっと楽しめたんだろうけど。
「俺だって真剣さ。もう三日ろくなものを食べてないんだ。これは俺のメシ代。」
言いながら俺は値踏みをしていた。3人は武器を持っているがいずれもたいした訓練は受けてなさそうだ。軽く片づく、そう踏んだ。
「ちっと痛い目みないとわからないようだな!」
めったに聞けない古典的なセリフを吐いてそいつらは殴りかかってきた。動きはスローモーションのように遅かった。俺は一瞬、体の血が熱くなったように感じた。久しぶりに気分が昂揚している。悪くない。
俺は体を沈め、一人のちんぴらの拳をやり過ごした。その後は何も考えず体が動くのにまかせた。2人ほど気持ち良く吹っ飛ばしたが場所が狭く、すぐにやじ馬を巻き込んでの乱闘になった。気分良く体を動かしていたのにスペースがなくなってしまった。
あきらめてチップを抱えて逃げようと俺は出口の方へ向かった。肝心なのはメシを喰うことだ。その時、喧騒の中で銃の音がした。
音のしたほうを見ると中年のヒゲ男が俺の背後に銃を向けていた。振り返るとちんぴらの一人が右手をかばってうずくまっていた。どうやら助けられたらしい。しかし理由がわからない。俺はもう一度そいつの方を向いた。
驚いたことにそいつは俺の方に近づいてきて俺の腕を掴んで言った。
「来い。逃げるぞ。面倒なことになる。」
見知らぬ奴からこう言われて、俺はなんか愉快な気分になった。しかし大問題が残っている。
「待ってくれ。メシ代、チップ替えないと…」
「えーい、メシは奢ってやるからさっさと来い!」
「本当か?俺火星ダックが喰いたい。」
「先に逃げろって!」
ラッキー。メシを喰わしてくれるなら、悪魔にだってついていくさ!
俺は情けない顔をして皿をのぞき込んだ。
「…火星ダック…」
「…」
「火星ダック」
「…」
「火星ダックー」
「うるさい!がたがた言わずに喰え!」
「ちきしょー、だまされた。あんたの手料理なんてサギだ。だいたいなんの料理
だこれ。」
「…チンジャオロースだ。」
「…俺には肉が見えないんだけど。」
「…」
「肉がなくてもチンジャオロースって言えるのか?」
「いらないならムリに喰わなくてもいいんだぜ。」
空腹に耐えかねた。しょうがない、とりあえず何でもいいから喰わないと動けない。俺はその肉無しチンジャオロースを口に運んだ。
「…まずい」
「黙って喰え」
黙って喰って、そいつに皿を突きだした。
「…おかわり」
そういえばのども渇いていた。
「…それとビール」
男は少し怒っているみたいだった。なんでだろう。勝手に連れてきたくせに。俺はそんなことを考えながらそいつの顔を見ていた。男は結局あきらめたように
「…ビールはそこの冷蔵庫に入っているから、勝手に出して飲め。」
そう言って奥に入った。
俺はこの事態をどう動かすべきか考えていた。罠かもしれない。それでも別に構わない。何があったって退屈よりはましだ。最悪なくなるのも俺の命だけだ。俺は冷蔵庫からビールを取りだしプルトップを開けて口をつけた。その缶を左手で持ち、右手に銃を構えながら男を待った。男がどう反応するか、興味があった。
皿を持って帰ってきた男は俺の銃を見ても動きを止めたりしなかった。銃から目を離さずに俺の前に皿を置いて、言った。
「何のマネだ?」
なるほど。修羅場はくぐってきてるということか。さっきのちんぴらなんかよりよほど手強い相手なのは間違いなかった。
「どうして俺を連れてきた?」
俺はそう聞いた。返答次第では闘いになる。
「誰かに頼まれたのか?」
「誰にも頼まれてねえよ。まあ、そいつをしまえよ。」
銃を目にしているにもかかわらず落ち着いた態度だった。まるで年期の入った警官が犯人を宥めるような口調だ。俺は銃をしまった。こいつが隙を見て俺を殺るようなら俺に見る目がなかったってことだ。
「俺はジェット・ブラック。賞金稼ぎさ。まだなりたてだがな。」
俺は黙っておかわりのチンジャオロースを喰った。さっきよりうまいように思った。
「おまえ、名前は?」
「…スパイク」
「何やってる?」
「見りゃわかるだろう。食い詰めた流れ者さ。」
男は俺の前のソファーに座り、俺の目を見てこう言った。
「俺はな、この船を買ったばっかりだ。ボロの中古漁船だがな、これでも結構張り込んだんだ。あちこち手直しもしないといけなかったしな。そこでな、今金が要るんだ。もちろん賞金首を捕まえりゃいいんだが、一人では限界がある。大物に手を出すのも一人では考えもんだ。それで相棒を探していたんだ。」
スカウト?俺を?物好きな奴もいるもんだ。にわかには信じにくかったが、別に嘘でも構わなかった。退屈がしのげればそれでいい。申し出は渡りに船だ。
「なーんだ、スカウトか。いいぜ、いっしょにやっても。」
俺はそう言った。相手は少し驚いたようだった。
「い、いいのか。」
「ああ。こんな暮らしにも飽き飽きしていたからな。この船に乗せてもらえるのか?」
「あ、ああ、狭いが生活に支障は無い。どっかに荷物とか置いてるなら取りに行くか?」
「荷物は別にない。じゃあ、よろしく。スパイク・スピーゲル。」
こういう成り行きは嫌いじゃない。俺はフル・ネームを名乗って右手を差し出した。
「ああ、よろしく。ジェット・ブラックだ。」
男が改めて名乗り、俺達は握手を交わした。
「しかし、いいのかそんなにあっさり受けて。報酬の分配とか…」
スカウトした方が順調な成り行きに心配になったようだった。割と神経質な奴かもしれない。そんなことどうでもいいんだが。俺は基本的に深く考えない方だ。
「別にいいぜ、どうでも。喰えて、寝る場所があれば。できれば専用機が1機欲しいが…」
「そいつは考えよう。どうしても必要だからな。」
「なら、後は別に…じゃ、俺寝かせてもらうわ。ごっそさん。」
「奥にいくつか部屋があるからどれでも好きに使ってくれ。」
「わかった。」
俺が奥に行きかけたとき、そいつが俺の背後からこう問い掛けた。
「なんで受けた?」
なんで?別に理由はない。俺が今までやってきたことに理由なんてほとんどない。
その時一瞬視界を長い金髪が横切り、薔薇が微かに薫った。ジュリア、俺を殺した女。
眩暈がした。
「俺は一度死んでるんだ。これからは覚めない夢を見てたい、それだけさ。」
俺はかすれた声で答えた。喋ったとたんに幻覚は遠のいた。
やっと顔にひきつった薄笑いを浮かべて俺は男の方を振り返った。
「今よりわくわくさせてくれンだろ?」
「あんたは…」
「ん?」
「あんたはなんで俺に声をかけたんだ?」
あれから適当に船室のドアを開け、簡易ベットに横になって2-3分と起きてなかった。久しぶりに熟睡した気分だった。起きて船内を歩いていてブリッジに手ごろなスペースを見つけた。奴が俺の腕を見込んでスカウトしたんだったら、俺も錆び付きかけたジークンドーを思い出す必要がある。
しばらくして奴がやって来た。しばらく興味深そうに俺のトレーニングを眺めていた。一段落ついたところで、汗を拭きながら俺は奴に話しかけた。
「ああ、俺にも俺なりの相棒探しの条件が合って、それをおまえが満たしていたからだ。」
「フーン。」
「つまりな、女でも子供でもない。腕が立つ。詮索好きじゃない、お人好しでもない、悪党でもない。現在無職。」
「悪党じゃない?」
「本当の悪党ならあんなチンケな賭場でいざこざおこして騒いだりしない。」
「なるほどな。」
「そういや、おまえギャンブル好きなのか?」
「いや、別に。腹が減ってたんだ。」
「じゃ、なんであんなに一人勝ちしてたんだ?イカサマか?」
俺ははつぶれた煙草をくわえて火を付けた。奴がスモーカーで助かった。
「目はいいんでね。」
それから俺は昨日からの疑問を口にした。
「あんた、警官だったのか?」
奴は驚いたようだった。ビンゴ。
「どうしてわかった?」
そりゃーわかるさ、喋り方も態度も尋問の仕方も警官以外の何者でもない、とは言わず、
「詮索好きだからさ。結構おしゃべりなんだな。」
とだけ言っといた。俺にも心遣いってものはある。
奴が少し顔を赤らめた。おっさんの照れ顔は気持ちが悪い。
「すまん、気を悪くしたか?」
「別に。」
俺はキャビンの窓に近寄って古い中古船の外見を眺めた。
「この船の名前は?」
「Bebop号だ。なかなかセンスあるだろう。やっと手に入れた、俺の船だ。」
嬉しそうだ。よほどこの船に愛着があるらしい。一人で乗っててBebopとは泣かせる。
「Bebopねぇ。Jam Sessonはこれからだろうに。」
俺はそういった。奴が笑った。うまくやっていけそうだ、そう思った。
「朝メシをつくるから、こい。」
「ベーコンなしのベーコンエッグとか、やめてくれよ。」
「うるさい。文句があるなら喰わなくていいんだぜ。」
こうして俺はジェット・ブラックとコンビを組んだ。
作/亜巳