…歌声が聞こえる。女の声だ。
前に一度経験したことがある、デ・ジャ・ヴ。
目を開けるとそこには、そう、俺の金髪の女神…
「あら、目、覚めたの?」
ハミングが途切れ、ハスキーな声が響いた。スパイクは目を開け、隣の女を見る。
浅黒い肌、切れ長の黒い目、流れる黒いストレート・ヘア。
煙草をくゆらせながら女はスパイクの方を向き、自嘲気味に微笑んで、言う。
「たとえ、酔った勢いだったとしても、おまえ誰?って聞くのは辞めてね。あんまり惨めになるから。」
スパイクは薄く微笑んで言った。
「ゆうべは久しぶりにあったかいベッドで眠れてラッキーだった、マリア。」
今度は本当に嬉しそうに微笑んで、マリアは自分の煙草をスパイクにくわえさせる。
「コーヒー、煎れようか?」
スパイクがうなずくと、見事な裸体にバスローブをひっかけて、女はキッチンに消える。
煙草をくゆらせてスパイクは夕べのことを思い出した。
組織に見つからないよう地下に潜り、気まぐれに入った火星の裏通りのバーで、久しぶりにスモーキーなバーボンを味わっていた。
そこで聞いた、"LEFT ALONE"。古いが有名なBlues。
薄暗いバーの中で、黒のシンプルなドレスを着たエキゾチックな女性がピアノをバックに歌っていた。
(あなたは永遠にいってしまった…わたしをたった一人で残して)
その歌詞はスパイクにはかなりこたえる。ハスキーな声と哀切なメロディーが胸をえぐる。
ロックグラスを額に押し付け、沸き上がる過去のイメージに体をあずけた。
「お客さん、そろそろ閉店だけど。」
バーテンの声で目を覚ました。
「あ、悪い。金、ここに置くから…。」
いいながら立ち上がった。その時奥から出てきた女と目が合った。
「ハーイ、今夜は楽しんで頂けたかしら?」
「ああ、思いがけず、うまい酒だったぜ。それに、いい声だった。」
「あら、ありがと。歌しか取り柄ないのよ。褒めてもらえて嬉しいわ。」
女に軽く微笑み、小銭をテーブルに置いてスパイクは外にでた。
「雨…か。」
コートの襟をかきあわせ、走り出そうとしたその時、後ろから傘がさしかけられた。
「送るわ。」
「悪いがホテルはとってないんだ。どこかで適当に寝るんで、気にしなくていいさ。」
女はスパイクの顔を見て、言った。
「ここで私がアパートに招待したら、軽い女だと思われるんでしょうね。」
雨、そしてBlues。あたたかいベッドが恋しかった。
「そして、招待を受けたら、俺も軽い男と思われるのかな。」
女の肩に手をまわす。女はスパイクを見上げて、微笑んだ。
ベッドでコーヒーをすすりながら、女は言った。
「あなた、何してる人?」
「別に。何も。」
「どこに行くの?」
「決めてないな。」
「そう…。」
スパイクはベッドをおりて服を着始める。
「もう行くの?」
「コーヒーごちそうさん。いろいろありがとう。」
スパイクは女の方を振り向いた。女は寂しそうに微笑んだ。
「こんなの日常茶飯事なのよね。なのに毎回寂しいのは何故かしら?」
女の瞳が揺れる。誰かの瞳を思い出した。
スパイクは少しの間、その瞳を見つめた。そして向きを変えると、振り返らずにアパートを出た。
「お、これなんかどうだスパイク。賞金はかなり低いが簡単そうだ。」
ジェットが賞金首の情報を見ながら話しかけてきた。
例によって金欠はシャレにならない状態まできていた。
ソファーに寝転んでいたスパイクは体を起こした。
「ほらこれ。80万ウーロン。自分の情夫を殺っちまった女だそうだ。ちっと年増
だが結構な美人だぜ。」
「…」
画面の中には見たことのある女が映っていた。浅黒い肌、切れ長の黒い目、流れる黒髪。
スパイクは頭を振った。かすかにBluesが聞こえた気がした。
「気が乗らないな。俺は降りるぜ。女は嫌いなんだ。」
「おまえこの現状がわかって言ってんのか?金がねーんだ、金が。」
「とにかく今回俺は降りる。やりたきゃ女と一緒にやったらどうだ?」
「おい、スパイク…」
話しかけるジェットを無視して自室に引っ込む。
ベッドの上で煙草をくゆらせながら、スパイクはマリアの事をかすかに思い出す。
「昔のことさ…」
外からはジェットとフェイとエドのにぎやかな声が聞こえていた。
作/亜巳