ビバップに人が増えた、と聞いたとき、ジェットはにやりと笑ったが目は笑っていなかった。人が増えると言うことは金が減るということに比例するからだ。結局、喜んだのは遊び相手が増えたと思っているエドだけであった。
増えた人、というのはゼロ・ブロウニングという少年である。これも本名かどうかは不明。年齢も不詳だが、ビバップ号の中では背丈はエドより上、という程度であった。髪の色は紫、左眼に眼鏡をかけているが、顔はまだ幼さを残している。
「なんてこった…」
ゼロの細胞を入手したジェットは驚きを隠せなかった。周囲にはフェイとスパイクがいる。エドはパソコンで顕微鏡の画面を拡大していた。スパイクがパソコンの画面を見る。
「なんだってんだ?」
「…こいつの細胞は、普通と違うんだな」
「どう違うのよ?」
フェイも言った。ジェットは頭を掻きながら、
「いや…何か、別の物があるんだよ。人間の細胞には普通存在しない物が…」
「だから、その存在しない物ってのは何なのよ」
「そうせかすなよ。エド、やってくれ」
「あ〜い」
エドがゆったりとパソコンを動かした。細胞が拡大される。
「こいつだ」
ジェットが細胞を指差した。ミトコンドリアの隣に、似たような形の物質が見える。しかも、ミトコンドリアより素早く動いていた。
「これはどうやら外部から直接放射された…つまり、外部の何かから細胞の1つ1つに入った、ってことだな。そして、この物質は、細胞を活性化させる能力を持っている…えーと、ま、体力の増強、疲労が少なくなる。しかし、1日に1回の割合で激痛を伴う…と」
ジェットが説明をしている間、スパイクは蜜柑を剥いて食べていた。フェイも温めた牛乳を飲んでいる。どちらも、まじめに聞いている風には見えない。
「おいおい、真面目に聞いてんのか?」
「まあな。改造されたってことだな」
「まあ、そうなんだが…。で、どうするんだ?」
「ま、気がつくのを待つさ」
数分が経った。フェイはくつろぎながら温めた牛乳を読んでいたが、ふと少年が気になり顔を見てみる。少年は目を開けていた。フェイはジェットを呼ぶ。ジェットとスパイクが来ていた時には、少年は目をこすりながら起き上がっていた。
「ここは…刑務所か?」
「残念ながらそうじゃねえな」
スパイクが煙草を吸いながら言った。
「賞金は取り消されたよ」
「軍だな?」
スパイクは無言で頷いた。少年はくすくすと笑う。
「あんたの名前を教えてくれ」
今度はジェットが言った。少年はしばらく笑っていたが、不意に
「ゼロ・ブロウニングだよ」
「いや、それは軍の記録に残ってる名前だ。恐らくコードネームのな」
少年はジェットを睨みつけた。
「…軍に侵入したな?」
「ま、賞金稼ぎもやくざな商売だからな。賞金首を探すためには、何でもやるさ」
「…ゼロ・ブロウニングっていうのは、確かにコードネームだよ。タナトスにいた時のな」
「タナトス…軍の特殊部隊だったな」
少年は左手を見せる。黒いドラゴンと、「02」と書いてある刺青。黒いドラゴンは陸軍特殊部隊タナトスの紋章である。
「02ってのは…2番目に改造されたってことか」
スパイクはすかさず言った。少年は何も言わずに頷く。
「タナトスでは…改造されたものたちは感情の無い機械になることを強制された。命令に背いたり失敗したものはすぐに射殺された。記憶だって消された。俺が覚えてるのはタナトスにいた記憶だけだよ…」
「…同じ、か」
フェイが小さく呟いた。ジェットは怪訝な表情になる。
「じゃあ、名前は…」
「…エイジ・クロフォード」
「日系人か…?」
頷いてエイジは立ち上がった。そして、3人を不信そうに見つめる。
「俺をこれからどうする?」
「さぁな。どうにでもなっていいぜ」
スパイクが煙草に火をつけながら言った。たまらずフェイが笑い出す。スパイクはフェイを一瞬見てから、
「それとも…賞金稼ぎにでもなるかい?俺たちと同じに」
そう本題を切り出した。しかしエイジは眼をつむっているだけだ。
「…いや、一日考えさせてくれ。一旦火星に降ろしてくれないか?」
「ああ。解ったよ」
エイジは置いてあった煙草を1本取ってゆっくりと歩いていく。途中で振り向いた。
「軍が介入するかもしれないぞ…」
「ま、なるようになるさ。なんとかね」
スパイクはにやりと笑った。エイジは笑って出て行った。
「まったく、お前って奴は…」
少しした後、ジェットが苦笑いした。スパイクは煙草を灰皿にこすりつけて、ゆっくりとソファに腰掛ける。
「ま、うちらは賞金首を探そうや。獲物は?」
「…まったく。ほら、こいつなんかどうだ?」
コンピュータのディスプレイに映ったのは、くせのありそうな弁髪の中国人だった。
「ジェット、中国人か?」
「そうだよ。名前はクー・ロウフェン。組織の下っ端だ。900万ウーロン」
「下っ端の癖に結構な額じゃないか」
「カンフーの使い手でな。火星のチャイナ・ストリートがあるだろう。奴はそこの数件の店を組織に無断で租借し、金を貪っていたらしい。それが組織にばれて逃げ出した。今はどこか知らんが、未確認情報によれば何処か別の組織と接触を図ってるそうだ」
「今回はあたし休んでるわ〜。パス」
フェイがソファでぐったりとしながら言った。少し前の格闘で疲れたようだ。
「カンフーの使い手ねぇ。ま、俺がいってくるわ」
スパイクは立ち上がり、煙草の袋をポケットに入れた。ジェットも、やれやれという感じで立ち上がる。スパイクの足にエドがくっついて、
「エドもいく〜」
「お前はフェイフェイとお留守番な」
「ちょっと!フェイフェイって呼ばないでよ!」
ソファで寝ていたはずのフェイが起き上がって怒鳴った。
そこは白い空間だった。火星の都市の1つにある少し小さな病院である。エイジはそこにいた。周囲は試験管やフラスコで一杯で、研究者も何人もいた。
「待たせてすまなかったな」
前から1人の男が現れた。白髪頭を擦りながらコーンパイプを吸い、眼鏡をかけている。男はエイジにコーヒーを渡した。
「わざわざ屋台を作っていただいてありがとうございます…ドクター・ミハイル」
「体の具合はどうだね?」
「ま、多少はね」
ドクター・ミハイル、65歳。元軍の博士であり、機械化工学と遺伝子学に長けていた男である。そして、エイジの改造にも末席に加えられていた。今は軍を辞め、火星でひっそりと病院をやっている。
「例のものは作ってある」
ミハイルはポケットから拳銃とナイフを取り出した。
「こいつはグロッグの改造版で12発詰だ。連射可能でお前の体力に充分対応するように作っておいたよ。あと、このナイフもそうだ。合金の特別製だ」
「ありがたくいただいとくよ」
エイジは拳銃を腰のホルダにいれ、ナイフをポケットに入れた。ミハイルはポケットをごそごそと探って、何か紐のようなものを取り出した。
「これは?」
「ワイヤだよ。これは金属の粉がついてる。いろんなことに使える」
「どうも…」
ミハイルはパイプから輪の形の煙をはいて見せた。
「これからどうするんだ?」
「賞金稼ぎでも…やろうかと」
ミハイルは立ち上がり、指で付いてくるように示した。
病院のエレベータに入るとミハイルは壁に触れる。するとキィボードがいくつも出現した。ミハイルはそこのキィボードを叩く。するとB1の下にもう1つボタンが現れた。ミハイルはそのボタンを押す。エレベータが下がっていった。
着いた場所は巨大な倉庫のようなところだった。エイジは天井を見上げる。暗くてどこまでが天井なのか解らなかった。油の臭いがする。ミハイルは電気をつけた。
「これは…」
そこにあったのは、ソードフィッシュUと同じくらいの大きさの黒いマシンだった。両脇に巨大なハサミがあり、カブトガニのような形をしている。
「スティンガーという名前でな。軍のマシンを改造したものだ」
「使えというのか?」
「だって、君のために軍が作ったんだからね。まあ、危険な装置は排除してある」
エイジはスティンガーに乗り込んでみた。マシンの操縦の仕方はもう訓練等で覚えている。初めて触ったのに、肌になじんだような変な気分がした。
「もう来ないからね」
「当たり前だ」
エイジは変な挨拶をし、出ていった。
スパイクの乗るソードフィッシュUと、ジェットの乗るハンマーヘッドはチャイナ・ストリートの駐車場に停車していた。チャイナ・ストリートは、チャイナ・タウンの中心に位置している大きな通りである。飲食店や薬局、その他諸々の大きな店が並んでいる。火星は中国系が多いだけに、チャイナ・タウンの人口は多い。
「ベンハツってのは…ポニーテールみたいな奴だよな。それで白い服ねぇ…」
「ま…厳密には違うがな。似たようなもんだ」
「あいつじゃねーか?」
スパイクは首で近く人を示した。ジェットはその男を見上げる。確かに弁髪で白い服を着ている(中国人の服だった)。手には鉄扇を持ち、近くの食品店で品定めをしていた。ジェットは目につけている多機能型サングラスで相手を確認する。
「間違いねぇ。クーだ。じゃ、どう声をかけ…」
「肉まん下さい」
ジェットの話を聞かずスパイクは立ち上がると、その食品店の店員にそう言う。金を払って肉まんをもらった後、スパイクは男の背中に拳銃を突きつけた。
「クー・ロウフェンだな。賞金もらったぜ」
スパイクは肉まんを食べながらそう言う。クーはにやりと笑った。
「手を挙げて、頭の後ろに組むんだ」
そう言ったのはクーだった。スパイクとジェットの背中に冷たい物が走る。2人はすっかり集団にかこまれていた。みんな拳銃を持っている。2人は仕方なく手を挙げた。
「賞金稼ぎか…。おい、連れ出せ」
集団が歩き出す。拳銃を突きつけられているので、スパイクとジェットはそのまま歩くしかない。しばらく歩いて、人気の無い通りに出た。
「煙草吸って良いかな」
肉まんを食べ終えたスパイクはそう言う。集団の一人が頷いた。スパイクは煙草をポケットから取り出し、口にくわえ、ライターで火を点ける。
「おい、本当に賞金稼ぎなんだな」
手下の一人が確認するように言った。スパイクもジェットも無言である。
「おい、聞いてんのか!」
そう言った瞬間、スパイクは加えていた煙草を吐き出した。それがちょうど、正面にいた男の顔に当たる。男は顔を覆った。スパイクとジェットは集団の中から飛び出す。
「おいスパイク!どうやってビバップ号まで行くんだよ!」
「ま、なるようになるさ」
集団に追いかけられたまま、2人はチャイニーズ・ストリートを突っ走る。もう5分くらい走っただろうか。もう2人とも疲れが出始めていた。
「おい、何だありゃ!」
ジェットが叫んだ。前から黒いマシンが突っ込んできたのだ。コックピットが見える。
「アイツだ」
スパイクが言う。黒いマシンはスパイクとジェットの前に割り込んで、クーの集団が入れないようにした。スパイクとジェットは黒いマシンにしがみつく。マシンは浮び上がり、ゆっくりと駐車場まで飛んでいった。
「ようやく煙草が吸える」
スパイクとジェットはソファに座って煙草を口にくわえる。くわえた瞬間、ああ、生きている、という実感が多少は湧いた。エイジは煙草に火を点けてやる。
「気が変わったのか」
スパイクはエイジを見ながら言った。エイジは口から空気を吐き出す。
「ま、そんなところさ」
「たかだか900万でしょう?そんなにムキにならなくていいじゃない」
フェイが笑いながら揶揄した。スパイクは煙を吐く。
「エド、何か解ったのか」
さっきからキィボードを叩いているエドにジェットは言った。ゴーグルをつけているエドは、ジェットの方を見てにやりと笑った。
「あのね〜、クーが接触しようとしてる組織が解ったんだよ〜」
「何!?良くやった。どこだ?」
「レッド・ドラゴン〜」
スパイクは目を大きく見開いた。エイジは思わず後ずさりする。
「…行ってくるぜ」
スパイクは一言言って出て行った。エイジは不思議そうにジェットを見て、
「どうしたんだ…あれ」
「ま、過去のことは聞くもんじゃない」
ジェットは静かに言った。
もう町は夜の帳が下りていた。スパイクは夜の町を歩いていく。
「なんでついてきた」
スパイクは後ろを見ずに言った。エイジは言われた瞬間、スパイクの隣まで走った。
「あんたが心配だったんだ。クーはお前を恨んでるから…」
「あぁ?」
「殺し損ねたんだ。今度は確実に殺される」
「俺は一度死んだ…もう怖くねぇよ」
スパイクの鋭い目つきに、エイジは少し驚いた。
「接触は不可能だと?」
ディスプレイに映る白髪の男に、クーは言う。白髪の男は無表情だった。
「…我々も厄介事は巻き込みたくない」
「信用できないのか?」
「信じて良いことなど、何一つ無い」
通信は一方的に切られた。クーはパソコンを蹴り飛ばす。
足音が聞こえた。クーの体から冷や汗が出る。しかし、自分が潜伏している雑居ビルには仲間の他には誰もいないはずだ。クーはゆっくりとマシンガンを持った。目の前のドアが開く。仲間に煙草を吐きつけた男が姿を現した。しかし、両手を挙げている。
「何の真似だ!」
クーは激高した。スパイクはにやりと笑って、
「あんた、カンフーの使い手なんだって?俺と勝負しないか。俺が負けたら殺していい」
クーはマシンガンを降ろし、変わりに殴りかかった。スパイクはゆったりと交わしてキックを入れるが、クーは受け流した。そして飛び上がると、スパイクにつかみかかる。スパイクはクーを蹴り飛ばした。両者互角の格闘が数分間続く。痺れを切らしたクーはマシンガンをつかんでスパイクに向けた。
「…なんだよ、降参か?」
スパイクは息を切らせながら言う。クーは何も言わなかった。スパイクはいきなり身体を小さくする。クーの延長線上には拳銃を持ったエイジが立っていた。エイジは顔色を変えずに銃弾を撃つ。それがクーのマシンガンにあたり、クーはマシンガンを落とした。スパイクが起き上がり、クーの後頭部にキックを決める。クーはどう、と倒れた。
「なんで解った?」
エイジはスパイクに言う。スパイクはにやにやと笑っただけだった。
「ま、銃はあまり使わない方がいいな。賞金首を殺しちゃもらえない」
スパイクにそう言われると、エイジは目を細めた。そして、指で目のあたりを触る。コンタクトをはずしているのだ。コンタクトをはずしたエイジの瞳は、金色だった。
「これ、改造されてこうなったらしんだけどさ…もうコンタクトはやめとくよ」
そう言ってエイジは笑った。スパイクは煙草を加える。
「なんで?」
「かっこ悪い」
作/デルタ