愛は憎しみを貫く

 日は傾き始めるのあっけなく沈んだ。新月の夜である。辺りは一面の闇になるはずであった。
 奇襲であった。長徳寺側の軍勢が夜を照らし、妙遠寺に攻め入った。駆り出された民は各々武器を持ち、殺し合った。男も女も、そんな区別は忘れられた。刃物が人間に突き刺さり、血が舞い上がった。松明(たいまつ)だけが、人間同士の殺し合いを照らしていた。

 弥太郎は慣れぬ手つきで槍を振っていた。父の言葉を思い出した。
「家族全員で寺を守るのだ。向かって来る刃には刃で応えるのが道理であろう。自分の身は自分で守るのだ」
 だが、向かって来るのは、もともと「心優しい人間」なのではないか。弥太郎は懐疑した。懐疑しながら、向かって来る人間を、肉体の感触を確かめるように刺し殺した。暗い。殺した人間の顔は分からなかった。誰でも良かった。生き残って、篠と共に村を出る…。望みといえば、それしか無かった。
 人は次第に減っていった。逃げ出す者もいた。しかし多くは死んだ。時折家を焼き払う炎が夜を照らし、やがて朝焼けが荒廃した村を照らし出した。何代続いたか知れぬ村は、一夜にして姿を消した。

 夜が明けても、人々の憎しみは消えなかった。煙りの立ち昇る廃墟で家族の死骸を目の当たりにした人々が、誰でも良い人間を殺していた。疲弊していた。憎しみだけで、彼らは動いている。
 弥太郎は生き残った。家族は皆死んだ。かつて家だった場所には何も無かった。空虚を埋めてくれるのは篠しかいない。弥太郎は村はずれ、言い交わしたあの場所で待った。太陽は真上に上り、傾き始めた。篠は来ない。
「篠は……」
 フッと頭をかすめたものを、弥太郎は振り払った。

 俺は迎えに行くと言った…待っているのかもしれない、と、弥太郎は何も無くなった村を歩いていた。死体がごろごろ転がっていた。弥太郎には見えていなかった。歩いているのかさえ分からぬ程、弥太郎の精神は遊離していた。
「篠……」
 まだ槍を持っているのに気付いた。捨てた。

 篠の家も、他と同様焼け落ちていた。篠の姿は無く、黒焦げの、大きな死骸が一つ、小さな死骸がいくつも転がっていた。家の裏は妙遠寺だった。焼け落ちている。宗派など関係なく、焼け落ちた本尊にすがった。生きていてほしい----何度もくり返し祈っていた。

 弥太郎は目を開けた。髪を乱した女性が横たわっていた。胸を突き刺され、血が噴き出している。弥太郎は倒れかかるように、その女の躰(からだ)を抱いた。
 人間は悲しみに暮れると、涙を流すことしか出来ない。弥太郎は誇りも意地も捨てて、ひたすらに泣いた。涙は涸れなかった。憎らしいほど、夕焼けの美しい日であった。桜の花弁が、静かに落ちる。

 辺りは薄暗くなった。
「一緒に村を出ようと…言ったではないか…。先に行ってしまうな…篠。某も、今行くぞ」
 弥太郎は、近くにあった短剣で腹を切った。二人は抱き合うようにして、寺の境内で息絶えた。敵同士であった二人は、最期まで愛し合った。

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