夏目漱石のこころです。自分の小説電子化プロジェクトの第一弾です。3年ほど前に丸写ししたものを今回公開することにしました。VZエディターとATOK6という組み合わせでしたが、はっきり言っていまの某M社製IMEよりよほど優れたFEPだと思っています。それほど入力そのものは快適でした。下手な解析アルゴリズムが働いているよりよほどシンプルに出来ていますので、ある程度変換結果が読めるというのがポイントです。
本題に入ります。まずは日本人の歴史観について問いたい。(いきなりまじめな話)みなさん歴史上の好きな人物は誰ですかときくと、絶対に織田信長とか入ってくると思う。理由を聞くと格好いいからとかというのが相場であろう。それ自体は別に何とも思わない。では、どれだけ織田信長について知っているかといえば天下統一を成し遂げたとかいうのが一般的な常識の範囲だと思う。いっぽう、太平洋戦争のことに関してはみなさん認識が薄いと思われる。織田信長というのは、天下統一という大きな大義名分をもって戦ったようにされている。(ここの戦を見てもそれぞれに大義名分というのはまがなりにもある)
それでは、太平洋戦争はどのような理由において始まったかという問いには多くの人がとまどうことと思われる。太平洋戦争で活躍した司令官の名前をどれだけ知っているのか。誰もが知っている真珠湾攻撃を発案したのは誰なのか。(山本五十六です)そもそも、学校等で歴史を習うのだがどうしても、このあたりは3学期のあわただしい中行われ、しかもあまり入試などにも出題されないことから軽視されているように感じる。
しかし、僕にはこの4年間にもわたる戦争は、現代日本において大きな損出とさらに大きな教訓・技術などを残していったように思えてならない。しかしながら現在の日本では太平洋戦争そのものについてタブー視されている傾向が見られる。中国等は今でも日本に謝罪をせまっているし、日本政府としても実際に謝罪している。別に謝罪することが悪いとはいっていないが、その前にもっと謝るべき国家が他にあるのではないかと考える。
そもそも日本が開戦をせざるを得なくなったのは、アメリカの圧力によるもの。もっと具体的にいえば、近代国家を支える血ともいうべき石油を止められたことが原因にある。(実際にはすでに日中戦争は始まっていた)つまり、一か八か対米戦争を仕掛けるかそのまま何もせずにアメリカに屈した形になるかのどちらかしか選択肢はなかったといえる。それでは、開戦を決意しなかった場合はどうなっていたのであろうか?おそらくは、アメリカになめられたままになっており、今の繁栄は得られなかったものと考える。一度、負けたからこそ、アメリカの良い部分そして悪い部分もさえ吸収することにより今の繁栄があったと考える。端的な例が自動車である。戦前、アメリカ車といえば安くしかも高性能というイメージがあった。しかし今はどうだろうか?日本車の方がやすく高性能しかも小型で取り扱いやすい。アメリカの車はどうも燃費も悪いし図体が大きいだけというイメージを持っている方が多いのではないだろうか?
日本にまったく力がなかったらアメリカに屈することになったろうが実際にはそうではなかった。十分にアメリカに渡り合えるだけの兵器はあったのである。1年くらいの間なら十分互角の戦いを演じることができるだけの自信があったのである。時の連合艦隊長官、山本五十六もそのように上奏していた。
開戦を決意させるもっとも大きな要因として零戦の存在があるといわれている。正式には零式艦上戦闘機という代物だ。その名の通り戦闘機である。三菱飛行機が開発した当時世界一の水準を行く戦闘機であった。
一般に戦闘機の性能要求としてあげられるのが、スピード、上昇力、軽快な運動性能、火力、長大な航続距離、防弾性能などである。これらは互いに矛盾しており、スピードを上げようと思えば翼の面積を少なくする必要があり、運動性能に支障を来す。航続距離だけを追い求めると燃料を大量に積む必要性があり運動性能、速力に支障を来す。このように、飛行機特に戦闘機の設計には互いに矛盾した事項をどうバランスをとるかというこの一点にかかっている。零戦はこれを防弾性能を無視することによって、軽快な運動性能、長大な航続距離、たぐいまれなる上昇力、そして圧倒的な火力を手に入れた。攻撃は最大の防御というが、まさにその言葉通りのものだった。
そんな名戦闘機があった故に、開戦する決断が出来たといわれている。どこまでそれが真実なのかはわからないが。大艦巨砲主義の人にとってはそれが大和であったとかないとか。
ちなみに大和とは当時(今でも)世界最強の主砲を搭載した戦艦である。戦艦というのはその設計思想上自艦の主砲弾に中距離において耐えうるだけの装甲を備えるものであったためその防御力も凄まじいものだった。史実では、大和は沖縄特攻作戦(菊水作戦)において、アメリカ軍の執拗なまでの、航空攻撃によって沈んでいる。最近になって、海底に沈んでいる大和の姿が確認された。余談だが、宇宙戦艦ヤマトはその大和を再利用して作ったものである。あんまりフネを宇宙船に再利用することはお薦めできないのだが……。
もう一つ日本が開戦に至るまでの説明として地政学的な説明がある。アメリカという国家は独立以来西漸運動を進めてきた。ところが、アメリカ西海岸に到達し見るべき陸地がなくなってしまった。そこで、目を付けたのが極東である。また、日本も第1次世界大戦後旧ドイツ植民地を国連からの委任統治ということで、太平洋地域を任されていた。その両者はいずれ太平洋の真ん中で衝突するのは目に見えているだろうということだ。
非常に乱暴な論理展開であるがいおうとしていることはわかると思います。ともかく日本は開戦してしまったわけで始めたものは終わらねばならないのだが日本にはアメリカを屈服させるだけの力はなかったわけで(一時はアメリカ太平洋艦隊をほぼ消滅させた時期もあったのだが)日本の無条件降伏という終わり方をする。
問題はここからだ。勝てば官軍よろしく、すべてアメリカのいうことが正しく格好よくというイメージを定着させてしまったのだ。
さらに、教育制度一つとってもアメリカと同じスタイルの6・3・3・4制というものに改められた。だいたいにしてアメリカという国は多様な人種がいて、しかもすべてが英語を読み書きできるわけではなく中にはスペイン語をしゃべる人やもっと他の言語をしゃべる人もいる。そんな多種多様な人たちを教育するために考えられたシステムである。対して、日本はほとんどすべての人が日本語を何ら不自由なしにしゃべる。これほど国民が違うのに同じ教育システムをとるのは不思議以外の何者でもない。悪くいう人にいわせるとこれは、愚民政策に他ならないという。ちなみに戦前の教育制度はドイツのそれをまねして作られたものだ。こちらの方が、現実に即していると言っていいであろう。
そのほか、思想もアメリカの都合のいいように変化していった。何でもアメリカのシステムを取り入れたがるのもこの一端に他ならないであろう。そんな状態だから、あの戦争は過ちだったとしている。もちろん戦争をやること自体に正義はないと思う。しかしながら、実質的に日本が戦争せざるを得ない状況を作り出したのは、アメリカをはじめとするABCDに違いない。しかしその戦争の中でいったい何が起こったのかということをまったく知らないまた知ろうとしない。ここが最大の問題点だと思う。つまりは、物事をきちんと理解することなく物事を判断してしまうことである。
倫理的なものにおいても触れなくてはなりません。戦争というのは、戦場で敵味方の命のやりとりをするいわば極限状態にあります。その極限状態で人はどのような行動をとることができるかそれも大きなテーマです。
史実を書き記した本がたくさんありますが、その中でも「大空のサムライ」は特に戦闘機による空戦について詳しく書いてあります。一瞬の判断が大きく戦局を左右することになるのが空戦です。毎日のように繰り広げられる空戦がある中で、どのようなことを考えながらどのような思いで戦っていたのかということがよくわかります。資料的な価値から見ても、毎日日記を残していったものをもとに書かれている本なので価値があります。ぜひ、正巻、続、戦話の全てを読んでみることをお薦めします。
先に、大きな教訓や技術を残していったと書いたが、どういうことなのかというと、たとえば戦艦大和(宇宙戦艦ではない)や、武蔵を造った技術というのは戦後の大型の船舶の建造に大変役立ったという。2000馬力級のエンジンを量産できなかった理由である、優秀な工作機械のなかったところも、戦後日本の工作機械メーカが、シェアーほぼ100パーセントになるまで成長している。また教訓というか日本人の特性というものもこの大和だとか先にでてきた零戦だとかというものにでている。どういうことなのか?日本人は、その世代の製品では最後には最高のものを作り上げるが、次世代に移るときに、決定的なものを作れずに終わってしまう。つまり失敗してしまうという点である。
大和は、巨艦同士が自ら搭載する砲を打ち合って雌雄を決する艦隊決戦においては、最高の性能を有していた。ところが、次の世代つまり時は空母の時代に移っていたのだ。これでは勝ち目はなかった。
また、零戦は1000馬力級の戦闘機としては究極ともいうべき性能を誇っていたが、次の2000馬力級の戦闘機はついにまともな活躍が出来なかった。わずかに紫電改が活躍の場を得られたくらいなものであろう。ところがアメリカでは、ヘルキャットを代表とする2000馬力級の戦闘機が次々と造られ零戦を追い込んでいったことはあまりにも好対照である。
戦後の社会においても同じ事が言える。80年代前半にはすでにISDNの技術は完成していた。そして、日本ではそれはそれなりに普及した。その当時、電話回線を利用したデータ通信はせいぜい300bps程度であった(モデムなどという代物ではなく音響カプラの時代だ)から、ISDN(64000bps)はそれに比べれば途方もない速さを誇っていた。
しかし、当時とあまり状況は変わっていないのは周知の通りだ。欧米ではすでに、ADSLとかCATVインターネットが主流になっていて、ISDNはほとんど使われていない。ふつうのアナログモデムも現在では下りが56000bpsとほとんどISDNと変わらない速さを誇っているためあまりISDNにする意味を見いだせなくなっているが、またフレッツISDNというものを売り出して定額料金を武器に浸透していってるように感じる。
しかし、ADSLなどと冷静にスピードを比較してみると、ISDNが64kbpsADSLが640kbps以上と10倍くらいまたはそれ以上のスピードがでる。それでいて料金はさほど変わらないのだからばからしい話である。いくら首相がIT革命を押し進めようとしたところで現状がそうなのだからあまり信用ならないといったところか。
とにかく、ISDNという過去の情報インフラとしては明らかに日本の方が勝っていたものをA(x)DSLで今のところ完敗を喫していると言える。
話は戻ります。今まで、零戦というものの写真でもプラモデルでも絵でも何でもいいから見たことがない人。一度見てください。そして、アメリカの当時の戦闘機、たとえばワイルドキャットあたりと比較してみて下さい。どちらが美しく、そしてどちらが醜く見えますか?零戦の方がきれいだという人の方が多いと思います。
純工学的に見てこの優れた製品を作り出すことの出来た日本をもっと誇るべきだと思います。戦争を行うための兵器とはいえ、今の日本があるのはこの零戦のおかげかもしれません。
戦前、多くのアメリカ人の持っているイメージというのは、たとえば中国は「眠れる獅子」というように一目置いていたようですが、日本はせいぜい「イエローモンキー」という言葉に象徴されるように、見下すべきものと見ていたようです。
それが証拠に、シェーン・ノートという人が、日中戦争で零戦がデビューしそれがかなりの高性能という情報をつかみそれをアメリカに報告していますが、とうのアメリカ政府では、援軍ほしさにでたらめな情報を送ってきたに違いないと思っていたようです。つまりは、日本にそんな戦闘機を造る技術はないと思っていたのです。そして、日本の戦闘機は紙と竹で出来ていると信じられていたようです。(嘘のような話ですが本当です)
同じく、イギリスでも状況は変わりません。もともと、航空技術を日本に教えた国の一つであるため、自国の戦闘機をしのぐようなものが開発されているなどということは思うべくもなく、航空では三流と思われていたようです。そのため、戦争が不可避だと察知すると極東地域に配備した戦力は戦艦二隻に航空では、アメリカからお払い箱となったF2Fバッファローにいまにも大英博物館入りしそうな、ソードフィッシュ雷撃機と設計意図不明のフルマーだとかいう爆撃機である。(違ったかな?)
F2Fは、まともな方だが性能はお世辞にもよくない。それでも、ソ連相手のフィンランドでは最高傑作機として使われていたようだが、ソ連の戦闘機搭乗員の質が劣悪だったためといわれている。ソードフィッシュというのは、複葉の当時の水準から行けば超鈍足機ともいおうか、とにかく魚雷をもった状態ではふらつきながら飛んでいるのがやっとという機である。イギリスはそれが優秀機と信じ込んでその後継機種を開発しようともしなかったのだからいったい何を考えていたのか不明である。さらに、フルマー爆撃機に至っては、どの性能をとっても中途半端な理解不能の機である。本当に設計意図不明である。
ともかく、どちらにしろなめきった戦力しか送ってよこさなかった。幸いといったところだろうが、日本軍はそれらを半月ほどで撃破することになる。特に、戦艦は当時最新鋭のものが含まれていた。それを、航空機で撃沈したことは特筆すべきであろう。
このように、大したことがないと思われていた日本の力を太平洋戦争冒頭で見せつけられては、アメリカやイギリスでも認めざるを得ない。ここに戦後の日本の原点があるのである。日本という国の優秀さを見せつけ、認めさせたのである。アメリカの軍事力の庇護で日本は高度成長を果たすことが出来たというのは揺るぎない事実である。また、アメリカにとってもそのことが十分すぎるメリットがあると思ったから、そうしたのだと思う。(もっとも冷戦中の前進基地としての価値も高かったが)