三章 「満州国」アヘン専売開始

第3節 アヘン獲得に奔走する「満州国」

  1 「『満州国』内のアヘンの統制」


 「満州国」のアヘンが入手ルートは大きく分けて二つある。一つ目は関東庁のように外国に頼ることと、もうひとつは中国で調達することである。しかし、実際は専売に十分な量が調達ができなかったためアヘンの専売開始が計画に狂いが生じた。アヘンの購入をすすめるため、あらゆる方面から入手しようとさまざまな対策が講じられたが、満州という特殊な場所でのアヘン収買は、ペルシャアヘンを企業から買って売り下げるだけの関東庁方式しか行わなかった関東庁出身の役人には荷が重かった。しかしどの方法とろうにも軍閥の影響や国際関係上の問題、さらに関東庁との確執で入手までには困難を伴った。

●フリーマーケットからアヘンの入手をはかる

 まず「満州国」は、アヘンを巷にあふれるフリーマーケットに求めた。もし密売商人を取り締まってフリーマーケットからアヘンを手に入れることができたならば、アヘンの入手はもちろん、密売商人を政府側に取り込んでそれを政府側の小売人として組織し、専売機構の整備もすることができるという一挙両得の成果を挙げることができるはずだった。
 個人や業者からのアヘン収買を目指して、1932年の10月に「暫行阿片収買法」が公布された。その法律はアヘン所持者は県長や指定する商人に自己申告で売ればよいというシステムで、餌として収買に応じた者には刑法及び禁煙法の適用を免除するということで、業者からの穏便なアヘンの収買を目指した。決して安くない収買金額を設定したにもかかわらず、効果は今ひとつ上がらなかった。というのも、既に「満州国」の警察や役人が、アヘン業者から営業税を徴収して業者を保護し、なかば公認しているため、わざわざこの法律に従うメリットが見出せなかったのだ。

●進まぬ「暫行阿片収買法」

 その上、フリーマーケットの業者のほとんどが営業者を日本・朝鮮人としているか、あるいは中国人が営業者でも日本人名義を借りているか、日本人を用心棒として雇っていたため、「満州国」警察では手が出せない状況であった。当然といえば当然だが、収買の成果を十分にあげることができずに、50日以内で収買の終わる予定が11月6日に「暫行阿片収買法中改正の件」の公布で更に50日延長した。しかし、根本的な問題を解決しないまま日にちだけ伸ばしても、フリーマーケットからのアヘンの収買は進まなかった。
 進まないフリーマーケットからのアヘン買い集めに対して、機構づくりをはじめた。11月18日に収買と売り下げを業務とする「専売公署」設置を決めた。官制が決まっても、なんとか収買量を増やそうとして熱河アヘンの流入地の錦県と、吉林省奥地の梨樹鎮、アヘン産地の三江地方の富錦に、収買人を軍の護衛で派遣して直接収買に従事させたが、まだアヘンが足りないという入手ルートの貧弱さを示す状況であった。

●アヘンの強制押収へ

 進まぬ取締りを打開するために、とうとう「満州国」は強硬手段に出ることになった。警察や役人が商人と共生して役に立たないならと、「満州国」は1932年12月20日、「阿片緝私法」を制定し、専売公署員に警察権を与えて武器を携帯させて独自の緝私員を組織し、アヘン法違反者を摘発、密売アヘンを強制没収する体制を作ろうとした。これは11月30日に公布した阿片法の違反者を「満州国」の専売官員が逮捕して、阿片を押収するときなどに、警察官吏と緝私隊と軍隊が互いに協力することができるというものだった 。
 それだけではなく「満州国」は関東庁の警察に倣って「査獲私土奨励規則」という奨励金制度も同時に公布して、取り締まりに従事した官員や密告者に報奨金を与えた。関東庁とも警察とも関係を持たない専売機関専属の取締り隊ができて大きな期待がもたれたが、ただひとつ問題があった。「阿片緝私法」は阿片法に基づいて行われるため、阿片法の施行が行われてはじめて緝私法も施行されるので、取り締まりの開始は今しばらく待たねばならなかった。

●期待外れの効果

 待ちに待った阿片法が施行され。緝私隊による押収が始まっても、成績は予想に反して空振りとなった。理由は至って簡単である。事前に取締りが始まるという情報がどこからか密売業者に漏れて、「満州国」警察の手の届かない満州鉄道付属地にアヘンを避難させてしまったからだ。満州鉄道付属地は関東庁警察が管轄するため、「満州国」の法律は適用されず押収することはできなかった。
 また、「満州国」の警察も協力を渋った。繰り返しになるがそもそも警察が取り締まりに非協力的なのは、彼らの活動を維持する財源が不十分で、財源をアヘン密売業者に頼っていることからきていることだった。そこで警察を管理する民政部は、アヘン専売の利益の一部を財源として譲渡することを協力の条件としたが、考えれば至極当然のことだった。
 そのような状況なので、阿片法施行前の1月と2月はまだ緝私隊ができていないので憲兵隊だけが取締りをし、3月になってようやく専売公署が関東庁の退職警察官から緝私隊を結成して取締りを開始した。民政部もその流れの中で折れて、3月に一斉取締り令を警察に出して取り締まりに協力した。
 それにもかかわらず、情報漏えいがきいたのか、入手量は目標としていた30万両のわずか6割の184,815両にとどまった。またしても満州鉄道付属地と治外法権という壁が立ちはだかったことになる。

●満州傘下に入ろうとしない業者たち

 業者が「満州国」の保護を得られて公然として商売できるというのに、わざわざ取り締まりを避けたのは何故だろうか。それは阿片法によって小売人の指定を受けた業者はフリーマーケット時代よりも劣悪な条件に陥るからである。
 指定業者になるデメリットを列挙しよう。「満州国」の専売アヘンの方が密売業者のアヘンより高かったこと、保証金として「満州国」に500円おさめること、臨検として警察が調査にやってくること、出店が制限され路地裏に移動することなどが嫌われた。もちろん、これを守れば業者は違法と取り締まられる心配はなくなったが「仕入れ値の増加」「取り締まりの強化」「立地条件の悪化」「余計な支出の増加」を招き、みかじめ料を払っていた時代よりも商売環境の悪化は否めなかった 。この条件の悪さでは、まだまだ好んで「満州国」の影響力が小さい時期に属そうという業者は出なかったことだろう。まだまだ黎明期で国づくり真っ最中の「満州国」にとってフリーマーケットをすぐに完全に取り締まり、アヘンの収買はハードルが高かった。



  前へ 戻る 次へ