ゲームにおけるシナリオは、前述「2.背景世界の設定」で述べたような厳密な世界設定が成されていないと、どんなに素晴らしい場面を用意してもプレイヤーは世界に入り込むことができずに白けてしまいます。
例えば、冒険の旅先で情報を与えてくれる人がいたとしましょう。その人は、なぜPC*の欲しい情報を知っているのか、そして、なぜその場所にいるのか?、などのプレイヤーの疑問に対して明確な答えがなかった場合、その情報源がシナリオの進行のためだけに存在していることになってしまい、プレイヤーがそう感じた時点でプレイヤーは現実の世界に引き戻されてしまいます。
コンピュータゲームによくある他の例としては「街の外にモンスターがいるのに何の対策もしていない街」「シナリオの進行(PCのレベル)と共に強くなる敵」「世界の危機に際してPCより強いのに何もしないNPC*(1LVのPCより強い人は何人でもいるはず)」など、いくらでもあります。
これらのことに共通して言えるのは「シナリオを元に世界設定をしている」ということです。実際には、まず世界が在り、そこで起こる出来事としてシナリオが存在するはずです。
コンテンツ1〜4までを通して私が言いたいのは「必然性」が重要である、ということです。最近のコンピュータゲームは、グラフィックや奇抜なシステムばかりが重視される傾向が強いように感じます。実際には、グラフィックも音楽もゲームを盛り上げるための一要素に過ぎません。最も重要なのはシナリオであり、さらにその舞台となる世界設定ではないでしょうか?。
最近のRPGのシナリオは主人公が冒険に出る動機(必然性)すら薄いものもあるようです。なぜ主人公は冒険に出なければならないのか?、なぜ主人公でなければならないのか?、ということに対して明確な説明が成される必要があるはずです。
さらに、前項4-1で述べた「シナリオを元に世界設定をしている」と感じさせるのは、たとえ「主人公が死んだとしても世界は存在し続ける」と思えるような世界設定が感じられないことです。PCが死んだ時点でシナリオは存在意義を失うかもしれませんが、ゲーム世界は存在し続けるはずです。そしてPCが死んだ後、悪の勢力によって世界が征服される、別な誰かが世界のために立ち上がる、などの動きがあるはずです。実際にはPCが死んだ時点でゲームが終了してしまうので、その後が語られることはないのですが、詳細な設定のある世界ならば(PCを中心に世界が回っていなければ)、それまでの冒険から、その後の世界を感じ取ることが可能になるはずです。これには、PC・敵・その他のNPC・それらを内包する世界、の全てが必然性を持って設定されている必要があります。