以下の条項を承諾する事を条件に、皆様に、私の『お賽銭ウェア』の使用を
許可します。
(PalmGZipの場合、元のgzipはGPLに従いますので、正確には、
下記条件に従うか、従わないかに関わらず、使うだけなら、
それは皆さんの自由です。)
基本的には、フリーウェアと同じものですが、第3項以降が (一般的に日本で言われている)フリーウェアとは明確に違いますので、 御注意下さい。
単にダウンロードして使うだけならフリーウェアと同じですが、 使った後に、ソフトについて作者(私)に何らかのアクションを起こそうと する場合には、シェアウェア以上に厳しい制約が課されると 御理解下さい。
『フリーウェアの神髄』
〜 欧米に見るフリーウェア文化への考察 〜
『シェアウェアとは?』
〜 シェアウェアに対する欧米人と
日本人の態度の違い 〜
わしがこの業界に手を染めた20年ほど前とは隔世の感を覚える(^_^)
・・・しかし、日本では、インターネットでも、意識あるフリー作家が
逆境にいて、逆に、俄かシェアウェア作家が台頭している所は、
10年前のNifty/PC-VAN時代から、あまり進歩しとらんなぁ。
まぁ、後者は捨て置くとして、前者は大変困った事だ。
昔フリーウェア作家だった、ある『翁』は思いました:
昨今はインターネットも広まり、多くのフリーウェアや
シェアウェアが流通しているのは喜ばしい事じゃ♪(^_^)
随分と誤解されておるのぅ。皆には、この2つは同じに見えるかのぅ?(^^;
元々、フリーウェアとは、プログラムが殆ど未整備だった 神代の昔、 プログラムを『作る事を趣味とする人』が、 『自分用に作ったものをおすそ分けする』 所から始まったものじゃ。
よって、公開の動機は『見せびらかせたい、皆に誉めて貰いたい(^_^;)』で、 使う人も、同じレベルでソースをいじれる、同じような『作れる人達』ばかり じゃった。 そのような人しかネットに参加しておらんかったからな(^^;
当然、作者には金銭目的もなければ、それによって義務が生じるなどとも 夢にも思っておらぬ。使ってる人は、文句があったら、自分で直す 人達だったからじゃ。ソース公開が原則の時代でもあった。
使う事ではなく『作る事を喜びとした時代』の話じゃ。
様子が変わり出したのは、『10年前のパソコン通信時代』 からじゃ。
この時、多数の人間がネットに参加し出した。そこにはプログラミングが 出来ない人達、コンピュータに不慣れな人達が多く混じっておった。
そのような人達がネットに参加する事そのものは問題ではない。 じゃが、そのような人達が、フリーウェアを目にした時に感じた事は、 『タダでソフトが手に入る♪ラッキー!!』じゃった。 ここからフリーウェアの曲解が始まった。 まぁ、ただ勘違いするだけならまだ良しとしよう。その次が問題じゃ。 当然、プロがプロの為に作ったものだ、素人にとって使いやすいものではない。 一歩使い方を誤れば、システムごと破壊するような危険な機能も多かった。
だが、彼等は自分では直せない。勢い、作者に「是非直してください!」という 『要望』という名の『非難』が浴びせられる事に なる。
『要望』を『非難』と言うを極端と御思いか?
まぁ考えてみてくだされ。例えばあなたが「ここにバグが出ましたから
直してください。」という、簡単なメールを作者にしたとしような。
あなたから見れば、あなたと作者、1対1のコミュニケーション、 些細なメールに見えるじゃろうな。
じゃがな、作者からすれば、数千、下手したら数万人から 色々言われたように感じるのじゃ。
毎日見知らぬ人から、数百通もメールが来て
『直せ!直せ!』と言われる姿を想像してみて下され。
これはもう『ネットによる言葉の暴力』
と言えば、言い過ぎなのかのうぅ?
日本人がメンタル的に、更にタチが悪かったのは、参加ユーザは 通信費と電話代を払っている為、 「フリーウェアを参加費の当然の代償」と 受け止める傾向が強かった事じゃ。 「何で高い参加費払ってるのに 直してくれないのよ!?」式の、相当タチの 悪い言いがかりを付けてくるユーザも、少数だが実際に存在しておった。
作家からすれば、ふざけるな!じゃ。 何故なら作家自身も同じ参加費を払っているのである。「同じ参加費を 払いながら、かたやタダでソフトを貰っといて文句ガタガタ言い、何で 俺はタダでソフト配ってるのに、文句まで言われなきゃならない?」という 気分の悪さが作家達の間で広まっていった。
かく言うわし自身が、当時のとある国産機種パソコンでフリー作家活動しており、 この手の気分の悪さには、日々、うんざりしていた一人であった。
ソフトがタダだからといって、それを修正する『サービス』までタダだと思うのは、 少々、虫が良過ぎではないかえ?
そんな訳で、日本のフリー作家は、
悪貨は良貨を駆逐し、そして、貨幣の信頼を失墜させる事によって 悪貨自身、自ら滅ぼされたそう感じるのじゃ。
先の例で例えるなら、もし、あなたのバグ報告メールに 「良いプログラムを提供してくれて本当にありがとう(^^) バグは直して欲しいけど、無理しないで下さいね」と ただ一言でも付け加えてあったとしたら、作者は数千人から 褒めちぎられ、労って貰った事になって、さぞ、 「頑張ろう!」と張り切る事になったじゃろうな。
もし、「小銭ですけど、お礼です。何かに役立てて下さい」と たった100円でも送ったとしたら、何と作者は 数十万の収入を得る事になるのじゃ。下手な月給も ビックリじゃわい(^^;)
現実の歴史がこうならなかったのは悲しい事じゃな。
かく言うわしも、『今の日本ではフリー作家では生きていけない』 と思って、7年前にこの世界を去った一人じゃ。当時、多くの 作家がわしと同じようにこの世界を去ったのじゃ。
今のNiftyやPC-VANは、そういうコンピュータ的な要望ではなく、 同じ趣味を持った仲間が集う同好会サークルの集合体となって、 細々ながらも安定したな、とわしは思う。
これはこれで良かったのかもしれんな。
じゃが、フリーウェアの文化としては、未だ日本に定着してないのは 悲しい事じゃ。
今、インターネットブームによって、再び、ネット世界は 活況を呈しているが、さて、フリーウェア作家は、この国で 育つのであろうか?それとも 「歴史は繰り返される」のじゃろうか?
作家であるStallmanやLinusさんは、フリーで公開しながらも、 フリーウェアによって大きな収入を得て、 フリー活動だけで 生計を立てている時期もあったそうな。 フリーなのに、何故収入があったか?
それはdonation(寄付)依る所が大きい。 元々、欧米人は、コスト意識が ハッキリしており、通信費をフリーウェア代と勘違いする事はなかった。 更に、元々、欧米には『チップの文化』があり、 「良質なサービスを受けた場合には、自発的に、それに対する謝意を 金銭で表現する」事が日常的に行われている。それがフリー作家に寄付が 集まる文化的背景だったように、わしは感じるのじゃ。
海外旅行した事ある人なら分かるじゃろうが、日本人は、 このチップというものをどうしたら良いか分からなかったり、 「金=汚い」という伝統的価値観に未だ縛られているせいか、 チップに対する生理的抵抗感を感じる人も少なくないようじゃのぅ。
先の『フリーウェア=タダソフト』という誤解と相まって、 こういう文化的差異が、日本でフリーウェア作家が育たぬ 背景ではないじゃろうか?
勿論、これは仮説に過ぎぬ。実際にどの程度、作家存立に影響しているかは、 今の所、何の確証もないが、少なくても、日本でフリーウェア文化/作家を 育てるには、チップの代わりに、何か、日本人に適した形での 寄付・募金の形態が必要じゃないじゃろうか? それがわしの素朴な疑問じゃ。
「作家が窮しているなら、シェアウェアにすれば良いじゃないか?」 そう思うのは自然じゃな(^^)
じゃがな、本家欧米では、フリーウェアとシェアウェアとの間では、 それ程大きな違いを感じておらぬ様じゃが、 日本人は、この両者で態度が全く違っている ように、わしには見えるのじゃ。
『(敢えて誤解させたまま書き続けるが)タダのフリーウェア』で、傲慢な 要望を突きつけてくる人は、さすがに少数じゃがな、これが シェアウェアとなると途端に 「俺は金を払って買ったんだ!」 「不具合を直すのは当然だろう!?」式の態度を取る人が 急に増えよる。
日本人は、生産者のうちは卑屈なまでに低姿勢なのに、
消費者となると途端に横柄な態度を取る人が多くなるのぅ。
『お客様は神様です!』思想の現れかのぅ(^^;
本当は、多くの成人が誰もが生産者であると同時に消費者で、 同じ『人間』である事には変わりないのに、立場が変わると、これほど 態度が豹変する民族も珍しいじゃろうなぁ(^_^;)
更に言えば、まぁ敢えて手厳しく書くがのぅ、日本人は 「平和と水とサービス(情報)はタダだと思っている」 世界でもたぐい稀なる民族じゃ。バグフィックスなどの 『サービス』が有償である事を、それだけで悪と見なす傾向が強い。
結果、店に文句言えば、何かとタダで譲歩を得られると思う 「言ったモン勝ち」式の一部の人の横柄が、 企業だけでなく、年配から主婦まで、個人レベルでもはびこり、 そのコストのツケを、他の多くの善良な消費者が商品の 高コストとして背負わされる事になるのじゃ。
10年ほど前の古い話で恐縮じゃが、当時、家電製品を定価で販売する大手量販店と、 安値で売るディスカウント店が並立していた時代、わしの知り合いに、 大手量販店のフロア長を務める人がおってのうぅ、その人に、この価格差の理由を 聞いた事があった。
実は量販店と言えども、本当は標準小売価格の0.7〜0.75倍の価格でやっていける のじゃが、色々な『問題対策』の費用として残りを計上しているので、 実態としては定価でも苦しいのじゃそうな。
具体的には、例えば、パソコンを購入した人が、説明書を守らず、電源入れたまま
ボードの抜き差しをして壊したとしような。
こんなものはやったユーザが悪い、ユーザの自己責任の話じゃが、
これを『初めからボードが壊れていたので動かない』と店に文句言ってくる人が
結構居るのじゃ。(実際、当時のサウンドボードの不良品返品は大抵これだったようじゃ)
プロが見れば、ユーザが壊したのはすぐに分かるのじゃが、ここで『お客様、
御自分で壊されたのでは?』とでも言うてみぃ、途端に『あの店は対応が
悪い!』と悪評を立てられて、売り上げがガタ落ちじゃ。
店は全てを承知の上で『大変申し訳ございません。では新品にお取り 替え致します』と新品を無償で差し出すのじゃ。
当然、店側もメーカに責任が無いのは承知なので、壊されたボードの代金は 店がかぶるのじゃ。そして、この費用が標準価格に転嫁されて 消費者全員でかぶる事になるのじゃ。
ディスカウント店は、こういう場合、突っぱねる事が多い。
よって、当時は、
今では、この長い不況が幸い(?)して、日本人にも随分と「自己責任」という概念が 行き渡り、雑誌を見れば、所謂「勝ち組」「負け組」が話題にのぼったり、 パソコンも自分で組み立てて、壊した時は買い直すという、ある種の自己責任が 行き渡り、それが遠因か、価格破壊も随分と進行したのは幸いな事じゃが、 まだまだ『言いがかり』は健在のようじゃな、モノの値段を見ておると。
自己責任による低価格と希望小売価格の維持の 二極分化が見られるわい(^^;
まぁ、そんな訳で、こういう民族性を持つ日本で、『定価を付けて販売する』
シェアウェアを出すと、
この手のトラブルでエラい目に遭う事が多いのじゃ。
シェアウェアの値段には、当然、そんな『言いがかり対策費』など組み込まれて
おらんのでのうぅ、後で後悔する事になるじゃろな(^^;
結果、多くの賢い作家達は 「小銭の為に酷い目に遭うのは馬鹿らしい」と シェアウェアを出す事を嫌うという訳じゃ。
本来、シェアウェアとは、寄付を強く推奨されるフリーウェア と解釈するのが本筋じゃと、わしは思うのじゃが、日本では完全に 低価格/個人商店による『ソフト販売』となっておるのぅ。
日本発のシェアウェア(特にWindows世界のもの)の多くが、 しょーもないサンプルレベルのソフトか、 妙に値段の高い、企業ベースの製品の試供版に偏っているのは、 こういう事情からじゃろうな。
企業は販路の一つとしか見ておらぬだろうし、しょーもないソフトは 使われもせぬから文句も出ぬわな(^^;
そういう意味じゃ、御神体(Palm)の世界は、日本にしては珍しく、
シェアウェアがちゃんと機能しておるのぅ(^^)
元が米国製のせいか、OSまでフリーウェアという徹底ぶりの御陰か(^^;
じゃがな、これは今の御神体のユーザが神代の時代のユーザ層に近いせいで、
一般まで普及しだしたら状況が変るかもしれん、とわしは危惧するのじゃ。
御神体が一般にまで普及したら今のWindows世界と同じく、作家達に災難が起きて
また日本人作家が消えてしまうかも・・・と危惧するのじゃ。
単なるわしの取り越し苦労じゃろうかのぅ?
まぁ、今までの話をまとめると、(あくまでわしの私的見解じゃが) フリーウェア文化/作家を支えているのは、
・・・今回、久々にフリーウェアを作って、イザ、配布しようとした時、
わしが悩んだのはここじゃ。今の状態のまま、フリーウェア公開したら
また10年前の繰り返し、公開した事を後悔しそうでのぅ・・・。
(別にシャレではないぞぇ(^^;))
実はつい最近も、会社の業務用ソフトの試供版をフリー&低価格ソフトとして
出した所、やっぱり同じ目に遭ってのうぅ(^^;日本の状況は昔と変わっとらんと
痛感したばかりなんじゃ。
しかも、往年の暇な学生身分だったらまだ対応しようもあるが、
今じゃわしも責任ある身ゆえ、フリーウェアという個人事で仕事を曲げる訳にもいかぬ。
実際、仕事の方では、フリー公開停止/低価格ソフトの新規開発凍結という事に
なってしもうたわ。
まぁ、順当に考えたら、今回も公開を取り止めるのが一番なんじゃが、 今のわしがあるのは、往年のフリーウェアや、その作家達に世話になった御陰じゃ。 何か、この世界へ御恩返ししたいという気持ちが強くてのぅ。 取り止めるのは、そんなわしからすれば、最悪の選択肢じゃな。
さてさて、では、日本で「チップ」みたいな、何か寄付を可能にする文化はないかのぅ?
悩んだ挙げ句、少々強引じゃが(^^;わしが考え付いたのが
「賽銭(さいせん)」だったという訳じゃ。
わしが考える、最も近い日本文化はな。
皆さん、考えて見てくだされ。別に、願いが叶うと決まってる訳でもないのに、
皆、自分で額を適当に決めて投げ込んでおるのう。
合理的実利主義から考えたら、無駄以外のなにものでもないのにな(^_^;)
「対価」が約束されていないのに、「自発的に」入れている。 やってる事は、チップじゃな(^^)
じゃが、チップと賽銭では 「意識」と「順序」が決定的に違う所が問題じゃ。
更には、『神や賽銭(御布施)の解釈』については、物が『心の信仰』の問題だけに
多様な解釈があってよく、わしの解釈には異論を唱える方も多いじゃろう。
中には「神は神聖だ!」として(例え冗談にせよ)神を騙る事に反感を持つ人も
居るじゃろうな。
じゃが、わしがお賽銭を持ち出したのは、別に宗教論争する為ではない。
あくまで、フリーウェア作家としての自己防衛であり、
フリー世界への恩返しをする為じゃ。物的にも、世間への問題提起という
意味でもな。
もし(特に「神」や「賽銭」に反発しての)反論があるなら、代案を持って 反論されよ。代案は拝聴させて頂くぞえ。
わしは賽銭にも神にも拘らぬ。もし、もっと具体的に効果が上がる方法が あるなら、是非、取り入れさせて貰いたいと願っておる。
まぁ、『意識』の問題に関しては、当面、良い代案が見つかるまでは、わしは このまま『神を騙る』罰当たりをさせて貰う事としよう。
もっとも、本当に「神」と言ってしまうのは、さすがに傲慢にも程があるじゃろう(^^;)
さしずめ『仙人』、「翁」とでもさせて貰おうかのぅ(^^;
もう一つの問題の『順番』じゃが、これは
以上を具現化したものが、最初に示した「お賽銭ウェアに関する使用許諾条件」であり、 トップページにある「五箇条の御聖文」立札じゃ(^^;
お賽銭ウェアの趣旨、フリーウェアやシェアウェアとの違い、 ご理解頂けたかのぅ(^^)
もし、この文に賛同してくださる方がおられれば、自分の出来る範囲で
「お賽銭ウェア」という概念を紹介して頂ければ幸いじゃ。
また、あなたがフリーウェア/シェアウェア作家で、この考えに御賛同
頂けるなら、あなたも自分のソフトを「お賽銭ウェア」として
公開してくださるなら、至上の喜びじゃて(^^)。その際は、この文章や
このホームページへのリンクは任意に行って頂いて結構じゃぞ(^^)
勿論、この考えへの反対意見の表明も構わんが、わしは議論は
それ程好きではないし、少なくても元が「フリー世界への恩返し」と
「自己防衛」の為に始めたものじゃ。特に宗教論争は本意ではない。
申し訳ないが、そういう系統の反論は黙って無視させて貰うでのぅ。
あんまりにもそういう系統が酷いようなら、このホームページそのものを
破棄して、再度フリー作家活動は停止させてもらう事としよう。
建設的な「ここはもっとこうした方がいいよ」とか「そこ、
書いてる事が事実と違うよ」というような意見であれば、喜んで、
この文章に随時反映させて頂こうぞ(^^)
特に話の中で出た良い代案は御拝聴させて頂きたいと思うて
おるので、そういう考えが御ありの方は、是非、御表明下され(^^)
では、最後に、こんな長い文章を最後まで読んでくれた事に 心からの謝意を表し、お賽銭ウェアの説明は終りとさせて頂こう(^^)。
ありがとうございました。(^_^)
『翁』にゃま