kr_ryo 徒然日誌 <2002年11月24日分>

三國志製作記6〜この時代ってどんなんなの〜

来週から師走ですねえ〜別に月日がそこで終わるわけではないのに、どうも気分が落ち着かなくなる月です。実際私は妙に忙しくなるので、好きじゃないんですよね〜いっそのこと12月、13月、14月…と続いてくれたらいいのに、と思ったりします(^^;

そんなこんなで、あんまり進んでいない三國志製作ですが、今週は先週来のシミュレートすべき内容、後漢三国の時代の資料調べ&分析です。これが意外とよく分かってなかったりします(^^ゞ

一応私はシミュレーションゲームを、できる限り現実に忠実に再現することによって、小説やドラマの主人公などの体験を追体験できるゲームと考えています。単なる陣取りゲームもそれはそれでおもしろいんですけど、下手すると三國志と私のSpace War Gameの違いがマップだけってことにもなりかねませんので(^^;できるだけ、後漢三国時代の時代背景、当時の人の思考などを再現しようと考えています。

これにより特にコマンドやパラメータが時代に左右されます。官位や職名などは当然左右されますね。いただいた三國志アンケートでは、実際の職名がよいという方や、いや現代用語でないとわからないという方、それぞれ半分くらいです。私的にはヘルプを充実させて、実際の用語を使いたいと考えていますが…資料がよくわからない(T-T)

色々な三國志関係の参考書や、もちろん現物の三國志の物語も読みましたが、三公や九卿、四方将軍などの有名な官位はだいたいわかるものの、現場の職名や官署の名称が具体的にはわかりません。有名どころの官職名も実際のところ正しいのかどうか、怪しいかもしれません。

まず、後漢末三国の時代が、各地の群雄が勝手に官位を名乗ったり、部下に官位を授けたりしています。これは本来朝廷しかできないんですが、黄巾の乱、董卓の乱以後、朝廷の権威と能力が急速に悪化、 各地の群雄が自立しはじめて勝手に振る舞ったことによります。三国の時代になると、箔付けのために将軍号が乱発され、足りなくなって新名称の将軍号が山ほど現れてきます。職務を表す職名も、後漢の統治制度を超えて新しくつくらねばならなくなったため、これまた新職務・新名称が山ほど現れます。乱世ですねえ〜

基本的な職務名をコマンド&実際のゲーム上名称に用いようと考えていたんですが、これでは何が基本かよく分からなくなってきました。また、実務を担う下位の職名は、人物も下位なので下位の段階では物語に現れてきません!あらら…。また、三國志演義では、隋唐など後代の職名や官職を誤って名乗らせてしまったりしていることが結構多いので(たとえば荀ケは行軍司馬(唐代のもの)ではなく単なる司馬に任じられていた)余計に訳がわからなくなります。

普通に物語を読んでいた時も、地名が後世の地名を用いたりすることが多いので、これまたわけがわからなくなる原因となったりしてました。物語から、そのまま官職一覧や進軍ルートなどを作ろうとすると、「?」と思うことが多かったのもわかる気がします。そのままの形では資料にはしづらいのです。

そういえば、koei版三國志1では、吉川版三國志に出ていた「許収(正しくは許攸)」という誤った人名を元に、そういう武将が登場していました。また、三國志7では、そんなに重要な役職でない「中郎将(将軍より下)」がやたら重要な役職として登場していましたね。資料のミスリーディングや資料自体が誤っているということはあのkoeiでもあるので、kr_ryoが間違うくらい…いやいや(^^;;;

純粋現代用語を使ったり、現代で考えられる制度をあてはめてもいいのですが、それだと三國志という感じがなくなってきます。特に制度が問題ですね。これでコマンドが変わりますが、やっぱりよくわかりません(^^;いつの間にかその官位についている武将に君主が普通に命じるだけ、というシーンばかりで、現代の小説のような組織の説明なんかありません。いったいどうやって農作業やら税の取り立てをしていたのか?これはやっぱり現代風にしないといけないか?

やっぱりプログラムで表現する以上、あまりに各種多様な制度や官職名を用意しづらいものがあります。基本的なものでいきたいですが、下位の職名は逆に官職名が現代風という状態になってしまいそうですが、なんとかそれらしいものを、と、現在苦慮中でございます。

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