kr_ryo 徒然日誌 <2003年2月9日分>

三國志製作記13〜人間臭いコンピュータ武将?〜

1月は急ぐだったか?覚えてないですが、確か2月は逃げると言われています。早い!そろそろ年度末に向けて忙しくなってきたのに、突然研修の発表があたってしまいました(x_x)おとといに資料をもらってレポート作成締切が17日で10日しかありません。予想してたりひと月位あればともかく、10日では実質日曜2日しか時間がない!しかも読むだけで眠気をそそられる資料で、他に必要な資料をこれから探さないといけないときた(T-T)

ということで、大慌てしてます。せっかく明日明後日と小旅行を入れてたのに楽しめんじゃないか!という今日この頃、愚痴はこの辺にして(^^;さらに前フリを一つ。

C++のフリーのプログラム製作環境であるWideStudioというソフトの紹介をみて、試しに『プログラミングWideStudio』(ASCII、平林俊一他、3600円+税)という本を買ってみました。なぜかUNIXコーナーにあったり結構探すのに手間取りました。C++でビジュアルアプリケーションを手軽に作れるという触れ込みで、WideStudio自体がオープンソース(プログラムを自由にみたりいじったりできる)であるうえ、商用アプリケーションも作れるということです。ベクターなどのサイトからもダウンロードできますが、例によってサイズがでかいです。同書で付録のCDがついています。

早速試してみました…いろんなコンポーネント(ボタンとかタブパネルとか)をWindowsで用意しているもの(API)を使わずプログラム上で作られたものを使っているせいか、デザインが微妙に普通のプログラムと異なり、やや反応が遅い気がしました。まあ、この設計のおかげで、UNIXやLinuxでも同じソース(プログラム)で動くのでまあいいかな、と。

ところが、どういうわけかコンパイル(プログラムの文章から実行できるソフトをつくること)すると6つ位シンタックスエラー(文法誤り)が出てちゃんとできません。ただのウィンドウだけのプログラムでもコンパイルできないので、何かがおかしいんですがどうしようもできません(T-T)調べてみたいんですが時間が足りず、今後の課題です。

それからHSPもVer2.6が登場しました。より使いやすくなっているようです。ダウンロードしてみましたがこちらも時間がなくて見れてません。HSPでもWideStudioのような完全ヴィジュアル環境が登場すればもっとユーザが増えるんでしょうね〜

どうしてまたこんな他のソフトを眺めだしているのかというと、どうもDelphi7はDelphi6Personal版のようなフリー環境のフリー配布を許可していないような感じで、雑誌の付録などに載りませんし、パッケージ版も1万近くします。ダウンロードはでかすぎてどう考えても私には無理なのですが、本家Borlandのサイトをのぞいていないのでなんともいえません。しかし、フリー環境のフリー配布が製品版の売れ行きを左右しなかったか下げたため戦略を見直したのかもしれませんし、今後を考えるとDelphiでの経験が役に立ち続けるのかやや心配になったという面があります。

だいたい、企業系列のアプリケーションは1年でバージョンアップしてそのために別途費用がかかりますが、個人系列ならバージョンアップは頻繁でも費用がほとんどかかりませんし多分打ち切りも少ないでしょう。最近DOS版モバイルギアのためのソフトを探していたところ、個人製作プログラムはいまだインターネット上でダウンロードできたことを考えると、企業のパッケージ版の寿命は異常に短い気がします。消費社会の消費財と、手作りの品物との違いとまったく同じですね。そこで、WideStudioのようにオープンソース環境でそもそも超寿命であるC/C++系列のものであるならば、寿命も長いような気がするため、ちょっと学習しても役に立ちそうな気がしたのです。

ということで、今後をにらみつつ、ほとんど実は趣味か好奇心で触ってるだけですが(^^;前フリが長くなってしまいました。今週のテーマは三國志の武将の相性問題です。

先週三國志で登場する武将は高級武将とか高級官吏という話で、劉備の徐州時代の陳羣を高級文官でなかったという例えを出していました。ところが実は当時も割と高級官吏であったというご指摘がありました。しかしながら演義とか吉川版三国志ではちらっとでも出ませんね(^^;やっぱり魏に入ってしまい、九品官人法を制定するなど魏で活躍した人だからでしょう。

ただ、画期的な実力主義の制度である九品官人法を制定した陳羣にとって、一見無能に見える劉備や偉そうな関羽、荒くれの張飛なんて連中の下では働きたくなかったかもしれませんし、劉備も割と偏愛する性格のようなので、密かに自分を嫌っている陳羣なんて使いたくなかったのかもしれません。一応私はかなりの劉備ファンで、劉備死後の三国志は息の抜けたコーラのようにあんまり読み進める気がしなかった思い出がありますが(^^;演義や吉川版三国志からも、結構偏愛の人、もしくは自分への貢献を競わせる人という気はします。

たとえば鳳雛先生(外字がでないのです(T-T))。当初の冷遇や、北方版三国志で語られる蜀攻めの際の諸葛亮との競わせあいのあまり死なせてしまうという点。そうそう、鳳雛先生が成都攻略前に浮かれる劉備に「他人の城を…」なんて嫌味をいったシーンもありましたね。割と劉備の方が鳳雛先生のことを嫌ってたのかもしれません。

それから趙雲。あれほどの豪傑をなぜあんなになかなか受け入れなかったんでしょうね?どの版の三国志でも、趙雲は劉備の元にきたがったものの、いろんな理由で参入が遅れています。曹操の荊州侵攻戦のおり、救った劉禅を投げ捨てられたり(子供より武将が大事だ!とはいうものの、もうちょっとやりようがあった気はする…これでは趙雲の功績は功績ではないのか?という気になる)、五虎大将としてもなぜか末席くさい感じがします。あれほどの人物の割に劉備生前は影が薄い気がしませんか?

魏延や楊儀や馬謖に対しての諸葛亮と劉備の趣味の違いもありましたね。下手すると国が割れる恐れもありました。

まあ、こういう話はいろいろ尽きず、趣味興味の違いから異なる意見を持つ人も多いでしょう。これはあくまで私の意見です。さて、ここからこういった人間関係をゲームでどう再現するのかという問題が生じます。いったい人は何をもって忠誠を誓い、ぜひ手に入れたいと思っているのでしょうか?戦略級といえども、武将個々人の思惑を再現しないと、リアリティが減ってしまいます。

たとえば、関羽があっさり曹操に降ってしまってそのまま忠実な配下になってしまうと、いかにプレイヤーが曹操だとしても興ざめしかねません(^^;それはそれでいいか〜という気もしますが、できればこういう感じも再現されているといいと思いませんか(^^

ところが、何をもって相性とするかというとこれが結構難しい。引きつける方、君主の魅力の問題もからみます。たとえば、曹操と劉備ではどういう点が異なる魅力なのでしょうか?意外と同じ魅力なのかもしれません。曹操は乱世の奸雄ですが治世の能臣と言われていました。劉備は先祖同様乱世だから世に出たんでしょうが、治世ではおそらく先祖同様平凡なまま終わってしまいそうです。乱世に人をまとめあげ明確な目標を掲げる人物である点では、二人とも似ています。リーダーとしての素質ですね。もっとも、リーダーとしてならば他にも優秀な人物は多かったでしょうし、漢室復興という題目を唱えるだけなら多くの人物が唱えていました。この二人の魅力としては、中原を自分の手でまとめあげたい!という強烈な個性であったのかもしれません。この点孫策も通じるものがあったんでしょうけども夭折してしまいました。孫権は地方をまとめあげたいとは思ってましたが、孫策が評したように中原に覇権を争う気はそれほどなかったと思われます。

リーダーとしての才能とは逆に曹操は治世の能臣であって、自分よりカリスマをもって優秀な人物ならば誰かの下につくことも厭わなかったでしょうけども、劉備は誰かの下につくということはできなかったんではないでしょうか?呂布以上に裏切るという評判もありました。

こうやってみていくと、人それぞれの個性、単純に計れることはできなさそうです(^^;ところが単純に計らないとゲームでは処理しきれなくなってしまいます。人間関係の指標は1本か2本程度でないとかなり処理が厳しいものになります。

では、何をもって指標としましょうか。「野望」がまず浮かびます。信長ではないですが(^^;乱世に必要な気質かもしれません。ところが野望が高いとしても、董卓のような人物に引きつけられるとは思えませんし、劉備は野望が少なかったのか、多かったのか、評価が分かれそうです。

「魅力」という指標も魅力的です。もっとも、これまた何をもって魅力というのか疑問がでてきます。それこそ魅力的な二人の人物のどちらを選ぶか、曹操と劉備、あなたならどちらを選ぶ?という問いには答えられません。先着順でしょうか?そうすると関羽は先に曹操と出会っておれば曹操に付いたのでしょうか?陳宮は物語では呂布につきましたね。呂布もかなり魅力的な人物のだったのでしょうが…魅力では、多分あった相性という問題を解決できません。同じ相性の者同士の結びつきの点では有効な指標ですが…

「信条」、漢室復興とか独立開国?とか尊皇攘夷??とか(^^;荀ケは漢室復興だったのでしょうが、曹操につきました。聡明な荀ケが曹操の最終的な意思を読めなかったとは思えませんが、結局漢室復興の心を植えつけるのを失敗したのでしょう。まあ、当初漢室打倒という信条?は黄巾しか持っていなかったはずなんですが…なんだか建前だけになりそうですね。内心の信条という形にしましょうか。それにしても、三国志の英雄達は旧秩序の破壊を促進し、自らの信じる新秩序を打ち立てようとしていたはずです。すでに威令の衰えた漢室の命令を待つだけの旧来の太守や刺史などは孫策や袁紹の餌食でしかありませんでした。

そう考えると、英雄に必要な信条とは野望に近くなりますね。自らの意思を通そうとする力。高い方が低い方を従える。先程の治世の能臣という曹操評がありましたが、曹操はたとえ強烈な英雄の下についたとしても、自らの信じる改革を行ったでしょう。周瑜や諸葛亮もかなり自らの信じる道を通そうとしましたね。こうなると信じることを行うという性格と君主であることは別のようですね。劉表には荊州刺史として荊州を安寧に保つという以上の意思はなかったでしょうが、君主でした。彼の生前に曹操が攻めてきたならば、彼は張魯のように降伏したでしょうか?

「意志」と言い換えましょうか?一度信じるとなかなかやめない。また、自ら考え、命令に従うだけではない。関羽や諸葛亮は意志が強かったでしょうが喜んで劉備の下につきました。司馬懿はいやいや曹操の下につき、最後はのっとってしまいました。だからといって司馬懿が最初から君主になろうという強烈な野望はなかったようにも思えます。これは曹操もそうなのかもしれません。逆に袁紹や孫堅は漢室に取って代わったり、自立して王となる意志は最初からあったようにも思えます。袁紹は帝を救わない=自立する、孫堅は玉璽を得て洛陽から撤退する、という風に。曹操は王になったものの、直接取って代わりませんでした。漢室や献帝に曹操を超えるカリスマがあれば忠実な臣下のままだったんでしょうが、すでに死に体であり、曹操を満足させれなかったのでしょう。曹操が劉備に対して、天下の英雄は君と私だけだ、と言ったのは、曹操にとって自分が従うことができるカリスマを持った人物は劉備だけだという意味だったのかもしれません。

だんだんややこしくなってきました(^^;指標の必要性から考えましょうか。単純にいうと、在野武将や捕虜武将が、ある君主につくかどうかとか、武将の裏切りや寝返りのしにくさ、仕えるやる気のために必要です。諸葛亮は曹操や孫権のためにあれほどの忠義を見せたかどうか、赤壁で敗れた周瑜は曹操に従ったか、司馬懿は劉備に見だされていれば、忠臣たりえたか?

ふと思いついたのが、君主の知遇に感激し、命を捧げた武将たちと、権威や実力に盲従した武将たちの違いが大きいことです。関羽や典韋などの前者に対しては、他の君主も手出しはできなかったでしょう。これはもちろん、諸葛亮や周瑜もそうです。エピソードに残らない後者は、戦に敗れたり冷遇されれば新しい君主に仕えやすかったのでしょう。劉備の蜀侵攻時の劉璋配下の武将たちが安易に寝返らなかったのが気になりますが、乱世向きでなくとも劉璋にはそれなりのいい点があったのでしょう。

こう考えると、対になる、士を知る・愛することができるかという点と、知遇に感激できるかという点、が相性の指標になりそうです。士を愛することができるかという点は、君主としての必須の能力?でしょう。韓玄は君主足り得ず、関羽には結局は荊州を治めることは難しかったのかもしれません。魯粛と呂蒙のように、君主でなくともこの能力を持つ者は他の人物と幅広くつきあうことができます。楊儀や魏延はこの能力が足りなかったため、同僚からも嫌われます。むむ、よく考えると劉備配下には張飛や関羽、魏延に諸葛亮など、下手すると傲慢と言われかねない連中が多いなあ(^^;同僚からも好かれたであろう趙雲は蜀では割と少数派ですね。おや??(^^;;;英雄たちでは、曹操や劉備、孫権は言うまでもなくこの能力強く持っていたのですが、袁紹はやや足りず、呂布は鬱憤のあまり失い、他の君主はそれなりに持っていたのでしょう。劉璋は意外と持っていたのかもしれません。

知遇に感激できるかという点は、忠義に関わります。関羽や張飛、諸葛亮や周瑜、典韋や夏侯惇、周泰といった有名どころは軒並み強く感激していたことでしょう。こういう連中は、逆に、士を愛することができない君主には死んでも仕えなかったのかもしれません。甘寧は危険を冒しても劉表の下を離れました。逆に、この能力が少ないと呂布や劉備のように、自らの生き方にこだわることになったり、条件がよければ割と簡単に寝返ったり裏切ったり…いや、権威や力が強い者についていく流れやすい生き方になるんでしょう。今の条件では自分が一番と思えば独立し、他に強い者がいればそちらへいく…呂布にせよ劉備にせよ意外と似た者どうしで仲良く徐州にいたのかもしれません。むむ(^^;そして先にも書きましたが、君主のくせに意外と曹操はこの能力が高いと思います。彼を満足させるだけの君主はもしかして劉備だけだったのかも…劉備はそれだけ士を愛することができたのでしょうが、実力が伴わなかった、と。

どうも曹操は本気になって劉備を倒そうとは思っていなかったふしがかなりあります。徐州にせよ、汝南にせよ、新野、江夏、荊州、極めつけは「蜀を望まん」と撤退してしまう漢中侵攻戦など、袁紹勢力など他の勢力を徹底的に滅ぼした時と大違いです。すでに確固たる地盤をもっていた孫権を滅ぼすことができなかったのと違い、ほとんど根無し草の劉備を痛めつけることは容易だし、必要だったはずなのにあえてしなかったようにも思えます。

閑話休題(^^;この二つの指標、士を愛する能力、知遇に感激する能力、これが相性として使えそうですね(^o^)独立しやすいか、寝返りやすいか、という判定のための、意志を通そうとする、他人を従わせようとする君主たろうとする能力、これは必要な人が少なそうですが、野望ということで、3点セットで性格を特徴づけたいと思います。おお、珍しくできてしまった!やたー!w(^O^)w

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