先週はひたすら資料読み&レポート作成に時間をとられました。学生時代ならともかく、さすがに社会人になると思うように時間もとれず、大変でした(^^;しかも今週はやたらと忙しく、また締切がきついものばかりだったので、なかなか大変!
さてそんな2週間の間に、前回の日誌に登場したWideStudio、ネットのメーリングリストを調べてみてとりあえず動く(コンパイルできる)ようにできましたo(^o^)oPATHの通し方が悪かったようです。まだちょっとしか触れていないですが、やっぱりDelphiと比べてしまい、もう少し使い勝手がいい方がいいなあ…と思うところです(*_*)微妙なところですね。一度ぜいたくな環境に慣れてしまうと、粗削りなものには戻れない…今さらWindows3.1とかMS-DOSに戻れないのと同じような(^^;さてどうしましょうか…
さてそんな中、職場で最近ゲームしてないなあという話が出ました。そういえば最近の新聞でも、PS2などゲーム機は売れているもののゲームは売れていないという記事がありました。その記事でも、職場での話でも、最近のゲームは複雑すぎたり難しすぎたりしすぎてとっつきが悪いということが言われていました。ゲームプログラマーですがゲームをあまりしない私としては(^^;どういうものが面白くないか興味があります。さて、どういう点が面白くないんでしょう。
まず難しすぎるという点で、最近のゲームは操作とか内容とかが極端に難しくなっているようです。よくゲームをプレイする人自体がレベルアップしているため、以前あったようなゲーム内容では買ってもらえず、それに応じて新しい操作とか複雑な内容が盛り込まれることが多くなっています。その結果、普通にプレイする程度の人ではどうしていいのか全然わからないということがおこっているようです。
それから複雑すぎるという点の中でも、RPGなどで、ストーリーの分岐が多すぎるという話もありました。いろいろな選択の中で、選ばなかった選択のストーリーを見れないストレスが結構あるようです。もう一度選び直すのに手間と時間がかかり、そのさらに先でまた分岐していくとすると…どこまでいってもきりがない気がするんでしょうね。もちろんストーリー数は有限ですが、あまりに多いとやり切れなさを感じるようです。
やり切れないという話から、さらに、ストーリーや内容が複雑すぎたり多すぎたりして最後までやり切れないで途中でやめてしまうという話もありました。昔のドラクエなどは誰がやっても何度やってもほぼ同じようなルートをたどったのに、最近のゲームでは、さっきの無限に見える分岐の話に加えて、処理すべき内容が多すぎたり複雑すぎたりして途中でやってられなくなるんでしょう。そういえば私も大昔、マイト&マジック2というゲームで、攻略本を見るとクリアするまでにしなければならないことがあまりに多いということを知って、途中でやめてしまいました(^^;
昔のファミコン時代のゲームはわりと単純かつ、「いかにもゲーム」でした。それに対して最近のゲームは現実により近づこうとして、ゲームとしての魅力を失っているのではないでしょうか?
最近のゲームは、現実同様やりたいことは何でもできる複雑多種な操作、様々無限に感じるストーリーの分岐、実写かと見紛う美しい画像、さらにはなかなか終演に至らない長さまで含めて、現実に現実に近づこうとしています。ところが実際には多くの人はこういったゲームについていけないと感じているんだと思います。ついていけないと感じ、爽快感を感じるどころか疲れてやる気を失う。
ゲームをプレイするのは、気晴らしとか暇つぶしでなければ、達成感を味わいたいという思いが一番強いんだと思います。パズルなんてまさにそうですよね。そう考えれば、シューティングにせよ、アクションにせよ、RPGにせよ、もちろんシミュレーションであっても、達成感を味わえる適度な難易度と、ゲームすること自体の面白ささえあれば他にいらないのかもしれません。
ゲーム自体の面白さは、それが思考力を試したいならパズル、反射神経を試したいならアクション、敵をぶっ壊したいならシューティング(^^;、ストーリーを楽しみ、物語の中で自分の判断を試したいならRPG(のはずが、どうも反射神経を使わない敵を打ち倒すゲームと化していますが(^^;)、そして与えられた条件で最高の結果をもたらす作戦などを考案して試したいのがシミュレーションでしょう。この何かを試す方法はいろいろあり、その数だけゲームはできます。テトリスはパズル的要素と反射神経を試す複雑な要素を持っているのに、操作は簡単だからあれだけ流行ったんでしょうね。
そう考えると、プレイヤーが試したいと思うことが一番重要であって、見た目がリアルだとか、色々なことができるとか、ストーリーが種々分岐していてなんどやっても違う展開だとかは、2次的以下の問題なのかもしれません。特にストーリーの分岐が様々だと、一つのシナリオで前回よりうまくクリアするという小達成感が味わえません。シューティングの面クリアとか、RPGの一シナリオ達成だとかは、プレイヤーに小達成感を味わってもらうためにあるのに、毎回違う展開だと初体験のクリア体験は味わえても、同じことを上手にやってみるという体験はなかなか味わえません。
その昔、何かで読んで絶対どこで読んだのかは思い出せないので申し訳ないのですがm(__)mこういう話を読んだことがあります。楽しいから同じことを何度でもやる、同じことを何度もやるから楽しくなる。初めて何かをしてうまいこといって喜び、何度も繰り返して楽しむ。微妙にこういう内容ではなかったとは思いますが(^^;こんな感じです。スポーツやカードゲームの方が例としてわかりやすいですが、方法やルールは同じなのに何度もプレイします。必ず終わりがあります。勝ち負けもあります。何度もプレイして上達してうまくなっていきます。それが楽しかったりします。こう考えると、複雑すぎたり長すぎたりすると達成感を味わう喜びがなかなか得られず、何度もプレイしたりできないので楽しみも得られない。
そういえば昔のゲームは展開が同じとか、同じルールとか土俵とかでした。最初のうちは難易度が易しくだんだん難しくなるとか、複雑になるとかしても、初代パックマンのように同じ画面だとかでした。それがだんだんシーンやマップなど土俵が大きく多くなり、ストーリー性が出て同じストーリーだと飽きられるため多くのストーリーとなり、数種類の敵が常に初めて出会う敵ばかりになり、結果として同じことを繰り返すことができるという楽しみが奪われてきているのかもしれません。
最近のゲームではクリアとか最終クリアという状態がなくなったものもあり、そもそも達成するという喜び、何度も上手に達成してみるという楽しさが味わえなくなったりしているようです。シムシティやルナティックドーンがこの手のゲームのはしりだったと思いますが、この両方とも小達成感を味わうための目標設定はうまかったと思いますし、何度も楽しむことができる要素としての「似たシーン」というのもあったと思います。ところが最近のゲームで聞くところでは、そもそも目標設定すらなく、目標は自分で設定するというゲームもあるようですね。最初は物珍しいものの、達成感が味わいにくいため、しまいに色々なことの全部を体験しないまま飽きてしまうという状態になるらしいです。確かに私も、クリアという状態のないゲームとか、目標は自分で見つけるというゲームは手を出しづらい気がします。達成感を味わえないならプレイする意味がないからです。そして達成感は、自分で目標設定してクリアすることによって味わうのはよほど「その」経験をつまないとできないし、ある程度の経験しかないなら、他から与えられないとなかなか難しい。自分で勉強することの難しさと同じで、最初は教師の指導で目標を課され達成するという経験を経たうえで、大学レベルで自分から課題を見つけ達成するという状態にようやく至る、と。だから小学生レベルで自分で課題を設定して勉強するなんてハイレベルすぎるし、大学生で教授の教え方が悪いなんていうのは質が低すぎるというんです。
話がずれました(^^;やっぱりゲームをプレイする目的は達成感が大きいですね。そして達成感を味わうことのできる内容と、適度な難易度が必要です。選択肢を1つか2つ選ぶ程度では達成感を味わえませんが、あまりにも選択肢が多すぎるのでは達成できないため達成感を味わう状態にまで至りにくい。そもそも選択肢を選ぶということ(アドベンチャーゲームに多い)自体、何かを達成するとはいいにくいですね。あるルールの中で複数の行動が可能で、その組み合わせを自分で選んで何かを行うというのが達成感を得やすいことのような気がします。慣れていきうまくいきやすくなると楽しいし、難しいことを慣れてうまくいかせること自体が楽しくなる、と。
こう考えていくと、いいゲームは何度もプレイしたくなるゲームといえそうですね。適度に難しく、必ず成功するとはいえないものの、慣れれば成功しやすくなる。運やひたすら苦労して苦労して何かを繰り返す(単純作業などであってそれ自体がおもしろいわけでない)ようなことが必要なのではなく、慣れや経験が必要で、それがあれば上手くいくような内容。これが面白いゲームにはあると思います。クリアまであまりに長すぎないというのも、達成感を得るためには必要でしょう。最終クリアまでが長すぎるというのも同じです。途中でイベントシーンがあると、もう見たし時間をとられるから2回目以降は飛ばすという話もよく聞きます。ここから、達成感はプレイすることとプレイによるクリアそのものにあり、イベントシーンを見ることは別段褒美でも何でもなく、クリアすること自体による達成感が褒美ということがよくわかると思います。
さて話を三國志製作&シミュレーションに下ろしましょう(^^;今回のタイトルの解答です。さっきの、現実に近いからいいのでなく、ゲームとして面白く、達成感を味わうことができることがよいゲームということからいうと、シミュレーションゲームにおいてもいたずらに現実を忠実にシミュレートすることがよいのではなく、その状況やシーンの重要な要素をシミュレートできればよいということになります。フライトシミュレータならともかく、時間はシミュレートできません。リアルタイムというものの、単に動いているだけです。武将の目の前の風景をシミュレートして映し出してもそれが面白いのかというとそんなはずはない。以前も取り上げましたが、貨幣価値や物価、官職や物などの名前や言葉を史実に合わせればシミュレーションゲームとして面白いかというとそれは二の次三の次になる。
ではどういう要素が面白さに必要か?その当時の状況をシミュレートすることでしょう。史実は必然ではなく僥倖であることも多いので、必ずしも史実通りになることが重要なのではなく、こうすればこうなるという状況や方法がうまいことできていれば、シミュレーションゲームとしては大成功でしょう。普通にやれば失敗するけれども、この作戦をとればこれが大成功した、この地を放棄してこちらを攻撃すればもっとうまくなる、そのルールづけや状況設定がよくできていれば、何度でもプレイできます。いい作戦を見つけることが楽しみになります。
この点、シミュレーションゲームはRPGと違いシーンや状況はかなりシミュレートされた元となるものに固定されています。逆に、目標設定はRPGでは与えられることが多いものの、シミュレーションゲームでは与えられるだけでなく、自ら設定することもできます。すなわち、RPGは次々与えられる異なった状況に対応していくことを求められ、シミュレーションゲームでは元となる状況から自ら次々状況を作り出していくことが求められるゲームだということができます。
さらに、楽しんでプレイできるそのプレイ方法というのは、することは同じであっても仕方に差が出ることが必要となります。ひたすら経験値稼ぎやひたすら内政値をマックスまで上げるというプレイであっても面白いのかもしれませんが、必ずしも成功しない、うまくいくためにはそれなりの慣れが必要で、誰がいつやっても同じというのではないということが必要です。たとえば、レベルの低い時は一番弱いスライム相手でも一回の戦闘で死の危機が迫ることもあり、レベルが上がってもスライムと戦い続け、ふと気づいた時には街から遠く離れていて、急いで帰らないと危険だといったプレイは、何度やっても楽しいかもしれません。シミュレーションであっても、ひたすら内政をし続けると他国が強大になり、いつの間にか接近され、防備の弱いところをつかれて滅亡の危機が迫るとか、内政がうまくいっても戦場の有利な地点の奪い合いや補給補充の上手下手で、必ずしも常に勝つことができないとかいったプレイは、常に同じシーンから始まったとしても楽しいことでしょう。
そう考えると、いつも同じように内政値さえ上げればいいというのは面白くない。だからといって内政値が勝手にあがるとすると、普段、内政値を上げる以外で何か行動しなければプレイしたことにならない。両方ともプレイに対する難易度が低く、選ぶ内容が少なすぎるのが問題です。内政値はさておき、毎ターン常に攻めたり守ったりするゲームというならば別ですが…
ふーむ、やっぱり普段のプレイがそのまま楽しみ面白みに直結しますね。大戦略のように作戦級の戦闘シーンを前提としているゲームならば戦闘に至る作戦設定が面白みだし、リアルタイムストラテジーのような実は戦術級のゲームは、戦闘行動自体が面白いんでしょう。ところが戦略級ゲームだと、戦場の作戦や実際の戦闘よりも、そこに至る陣営の運営が面白く、運営が普段のプレイのはずです。たとえば国家経営をうまく行えば、戦わずして外交で敵国を取り込んだり、そうでなくとも強力な部隊で最少の損害で滅ぼすことができたりします。ということは、作戦や戦闘を含む国家経営自体=内政がプレイの面白みであり、楽しみである必要もあります。すなわち国家経営方法のシミュレートが、戦略級シミュレーションゲームでの面白さに直結していると思います。koeiの初代三國志は実は城の数や戦場での位置とか、洪水確率、民の忠誠度など、内政関連数値が割と多いうえ、乏しい資源でこれを開発するのに手間暇がかかり結構面白かったりしました。ところが最近の三國志8(そろそろ9も出るらしいですね)だと、内政にかかる負荷がかなり低く、選びさえすれば難しくもなくできる状態で、いかに早くうまいこと内政を進めるかという楽しみがなくなってしまい、結果としてあんまり面白くなくなってしまいました。
そうそう、リアルタイムストラテジーのコサックスでも、内政系建築物の建築や資源の収拾方法など、結構うまいこと早く作り上げるのにも慣れが必要で、慣れるとさらにいかに最大の効果を上げるように運営改善していくかが楽しくて、そこだけで終わってしまってもいい位になってしまいます(^^;
以上から、以前から内政は武将を選んでおしまいという方法にしようと思っていたことをさらに改めて、自ら効率的に運営していく種々の方法が選べられるというプレイスタイルの方が面白いという結論になります。どういった内容が史実に応じてなおかつ適度な難易度で、慣れによってうまくいくようになるか、それが問題ですね(^^;これからが試作ですね。。。
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