夏休みが終わったのに、残暑がまだ続きますね〜(^^;しかも朝夜の気温差が大きいので、夜暑くて寝苦しく、朝寒くて目が覚めるという割と不健康な生活です(--;)近頃、体がだるくて頭が痛く、下痢気味くしゃみ気味…風邪ひいてるやん(^^;
そんな中、頭がぼーっとしてややプログラム自体は停滞気味ですが(--;今週は「チーム」について、ゲームに導入できないか検討してみたいと思います。
漢朝もそうでしたが、中央集権的統治機構においては、皇帝が万物を支配するという建前でした。そういう思想ですね。皇帝がすべての支配者であれば、すべてのものは皇帝に直結しています…もちろん建前で(^^;実際は、中間に支配機構が連なります。万物どころか人間すら直接すべてを支配することなどできません。皇帝はその支配機構のてっぺんあたりの何人かをおさえておけばいいだけ、です。そのてっぺんあたりも自分の部下をおさえ、その部下も…という風に、ピラミッド型に広がっていき、一人の人がそれなりの数をおさえるだけで、全体の支配が可能となります。
このピラミッド型支配機構が崩れ、中間辺りにいた連中がトップとなってお互い争い、皇帝はもはやピラミッドの上辺だけしかおさえていない存在になったのが後漢崩壊の原因でした。まあ、三国時代だけでなく戦乱の時代はたいていこんな感じになりますね。ピラミッドの上位が下位をおさえきれず、下位は下位で分離してしまう…こういう感じなんでしょうけども、さて、ゲームではいまいちこのピラミッド型を反映していない気がするんです。
というのは、人間組織がピラミッド型支配機構になるのは、一人の頂点が全ての下位をおさえきれないからだというにもかかわらず、ゲーム上の君主と部下との関係では、すべての部下を君主が使うようになっていることが多いからです。その結果たとえば、初期には貴重だった武将も、統一が進むにつれて大量に増え、よほどでない限りまともに使われなくなってしまいます。君主がすべての武将の役割を決め、仕事をさせるというシステムでは、怒濤の勢いで統一に突き進む段階でプレイヤー様がいちいちそんな些事にかまっておられなくなる(^^;まあ、物語での三國志では、武将は次々に死んでいって最後は人材不足になるのに、ゲーム上ではなかなか殺されないというところも武将インフレの原因はあるんでしょうが(^^;
話を組織に戻すと、君主も当初は配下武将のすべてに目が行き届くものの、人数が増えて規模が大きくなるにつれ、ピラミッド型支配機構にせざるを得なくなります。すなわち、小組織に分けてその長に命令し、自分はその長達や何人かの側近だけを普段は相手にする。長達も同じように部門長や小隊長を定め、さらに部門長達は…という具合です。全員を直接相手にするより効率的ですが、長にするにはそれなりの何かがなければ部下がついてきません。それなりの何かとは、身分のこともあり、明らかな功績や勤続年数などのこともありますが、そのためこれらは足りないものの、能力があるという者を長に抜擢することが難しくなって、かえって非効率な面もあります。現実社会もそうですね(^^;物語でも周瑜や陸遜は当初苦労してましたし、諸葛亮も関羽や張飛にしばらく心服されず、司馬懿も部下から突き上げられていました。実績があればともかく、能力があるというだけで抜擢されることもなかなか当人達は苦労することがありましたね。まあ、そういうものをものともしない能力も備えていたんでしょうけどね(^^;
君主が直接すべてを支配するフラット型組織だと、君主以外はみな同格ですのでこういう抜擢問題は生じません。しかし結果として毎回関羽ばかりが出撃しているということにはなりますね(^^;もちろんピラミッド型組織では関羽が常に命令されることにはなりますが、これは君主の直下に関羽がいるという組織だからです。
それにしても、こういうことは規模が小さくて部下の顔が常に見えていれば起こりませんね。劉備も最初は関羽や張飛や簡雍といったみんなに軍事も内政も財政もすべて相談して決めていたんでしょうけども、漢中王になれば「みんな」に相談するといったことはなくなり、しかしやはり側近や重臣には相談していたことでしょう。細かいことや人選なども、君主が全部決めるんでなくて、重臣やその配下が決めていたはずです。劉備にすれば組織が大きくなっても、最初からの関羽や張飛といった連中だけおさえておけばとりあえず支配できることになり、ようするに君主が把握する人の量は組織全体ほどには増えず、当初から量的にはあまり変わっていない可能性もあります。
こういう風に、どうも顔の見える範囲というある一定規模の組織=「チーム」の組み合わせで大きな組織も成り立っているようです。それをシミュレートするためには、君主がすべての配下を支配するフラット型組織ではなく、ピラミッド型組織にすればいいんですね(^-^)実際には、君主の直接のチームが、軍団チームのリーダーの将軍や城チームのリーダーの太守などのチームをおさえるという感じでしょうか。太守などのリーダーは、城チームの各配下をおさえる、と。とすると、基本的には君主といえども太守の配下に勝手に命令できない、というより、命令しないことが基本でしょうね。命令することはできるけども、しない方がいい、というのがいい感じなんでしょうが…(--;実はその表現が難しい(^^;
前回もお話しましたが、君主は太守以上のレベルからスタートするため、基本的に太守のコマンドはいつでも実行できるようにするとしました。そうすると、直接自らあらゆる内政命令を出すこともできます。しかしそれは一方で大変な(じゃまくさい)ことでもあります。別にしなくてもいいならしないんでしょうけども、できるとなればやりたくなる、と思うのは私だけでしょうか(^^;やりたいならやればいい、けどじゃまくさい、これがなんとかならないか、チームは基本的にこの問題を解決してくれる…かもしれません(^^;
個別の城の内政だけでも思い通りいかないのに、まして複数の城をまとめあげるのは…それにしても思い通りいかない、というのはどういうことでしょうね(^^;思い通りいってるかいってないかというのは、どうしてわかるんでしょう…?
よくあるシミュレーションゲームでは、国力など色々な数値が目に見えます。シミュレーションゲームから派生したRPGも能力などの数値が目に見えます。しかし、よく考えればこれはすごいことで(^^;現実では客観的な数値化ができないから評価を誤ります。これは以前お話しましたね。私も製作に悩むと、今までのゲームを参考にしようと思うんですけども、そうするとどうしても数値化したくなる(^^;
劉備にせよ孫権にせよ、自らの能力よりも他人をうまく使うことができたからのし上がってきたのであり、能力はきわめて優れていた曹操ですら、人材コレクターといってもいい位の人物でした。 ここから見えることは、君主=プレイヤーはあまり手出ししない、という方がいいのではないかということです。下=組織に任せるというのがいい結果を生む、かもしれない(^^;そうそう、呂布は己の能力を過信して滅びましたね(^^;A
とすると、優秀な配下をはりつけていること、これにより正しい政策判断を見い出すことができ、君主自らは情報を探し出したり、細かい政策判断をすることよりも、人材のはりつけや政策自体の可否の決断に重きを置く…ということになりましょうか。
そもそも君主=プレイヤーの判断が一番正しく、下=組織のやること言うことを信用できない、使えないという状態が、武将は単なる実行者であり、判断してあらゆるコマンドを出すのはすべて君主=プレイヤーというプレイスタイルの原因でした。コンピュータの思考ルーチンがいけてないのが原因ですが(^^;ゲーム内容が最も効率の良い数値上げというものである以上、人間の方がコンピュータの思考ルーチンより上回っていることが往々にしてある以上当たり前ともいえます。まあ、そうでなければ人間がコンピュータに勝つことができないゲームになりますが(^^;
しかし、諸葛亮ならともかく、それ以外の人が、組織に頼らず自らの判断決定だけですべてをうまく取り仕切ることなど本来不可能なはずです。諸葛亮ですら失敗もあったことですし、人のできることにも限りがあるはずです。あらゆる情報がダイレクトに入り、あらゆることに命令を出す、これは不自然な気がします(~_~;
では、君主は何を行うか、それが今回のゲーム製作の根幹になりますが…人事、大事の決定であるような気がしますね…些事はそれこそ行わない…いや、それよりむしろ、些事に関するコマンドはない方がいい気がしてきました(~_~;うむむ、ある程度進んできましたが、またコマンド体系はやり直しになりそうな気がしてきました…むむむ。困った、もうちょっと考えてみます(--;
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