kr_ryo 徒然日誌 <2005年1月16日分>

三國志製作記88〜身分と役割〜

いやあ、イソジンで毎日うがいしていても、いや、うがいしているからましなのか、それでも風邪をひいてしまいました(*д*)一足早い花粉症かいな、と思っていたら、風邪です。のどが痛い!それでもお医者さんで必ずくれるイソジン、下手な薬よりよっぽどうがいが効果的、なんでしょうね〜(^-^)

さて、これまた一度使うとすっかりやみつきになるRational Roseですが、とうとう個数制限で保存できないエラーがでました(--;ぽんぽこぽんぽこクラス(オブジェクト。「武将」や「城」)を作っていくと、あっという間に制限を超えてしまいます。さらに、どういうわけかわかりませんが、図でクラスや関連を削除しても、完全には消えていないようです。たとえば、一度作ったクラスは図上で選択してDeleteキーを押すのが一番簡便です。しかし本当に消そうと思ったら、違う操作をしなくちゃならなくて、やや直感的ではありません(--;

しかしまあ、一度図上で消しても、同じ名称のクラスを図上で作ると、かつて作った関連や属性といったものが復活してくるので、それはそれでびっくりです(^-^)割と維持保存に重点があるんでしょうね。そりゃあ、色々な属性を書いたのに、ぱっ!と消してしまって跡形もなく消え去る設定ってのは、それはそれできついものもありますしね(^^;

という感じで、あれこれ図で描いては消して、描いては消してしながらああでもないこうでもないと検討しています。そうしていくうちに、これまでうだあだ考えてきた問題がようやく目に見えるようになってきました(^O^)やっぱり図表化は大事ですなあ〜(^^;;

で、その問題とは。毎度のことながら、武将間の関連です。前回ご紹介した、Rational Rose付きの『憂鬱なプログラマのためのオブジェクト指向開発講座』、この本を買った理由のひとつに、オブジェクト自体がどうこうという説明だけでなく、オブジェクト間の関連というものが大事だ、として、1章まるまる関連について記載されていることがあげられます。オブジェクト指向は、オブジェクトの内部もさることながら、オブジェクトからオブジェクトへ情報や命令を伝達していきながら動くプログラム形態です。その、オブジェクト間の情報命令の流れを関連といいます。類書では、いまいちこの「関連」についてはっきり書いていなかったんですよね〜(~_~;)それがこの本でははっきし書かれています。

もう、すっかりわかった気になっていますが、頭でわかっていても、実際にはできないことはよくあることです(^^;;実際に使えてみて、人に説明できてはじめて本当にわかったといえるものです。また、今回の問題ともども、「関連」についても説明してみましょう(^o^)

さて、武将は単独では存在し得ますが、ゲーム上それでは意味がありません(^^;どこにも属さない単独武将なんて、竹林の七賢みたく、俗世を離れた隠者であって、「武将」じゃあないですな。武将こそ俗世にまみれたしがらみにしがらんだ存在です(^^;;

その武将が属するのは各種勢力。かつ、城に所在し、軍団の指揮官でもあったり、太守でもあったり、誰かの配下でもあったりします。軍団やら城に属するというのは「武将」という存在(オブジェクト)とは別の「軍団」やら「城」やらと、「所在する」「指揮する」という関連は簡単に見えてきます。ここの関連は比較的見えやすいのです。

ところが、武将同士の関連。これが見えにくい(~_~;)まず、ある武将は誰か別の武将の配下かもしれません。で、同時に別の武将を配下に持っているかもしれません。君主武将−当該武将−配下武将、という感じです。こうすると、当該武将は主君武将であり、かつ配下武将であります。ほら、関連が複雑化していますね。君主武将も誰かの配下かもしれませんし、配下武将にも配下がいるかもしれません。

当該武将には同僚の武将もいるでしょうし、彼は君主から太守に任じられていたりします。同僚武将が将軍として、その配下武将とともに当該武将が太守をしている城に存在していることもありましょう。これで武将が5人でてきましたね。そういう感じで、実際の人間関係同様、武将オブジェクト同士もいろいろな関連を持っています。

これを、以前お話しした、身分=武将そのものと規定した場合、ある「張飛」という存在は、「将軍」身分オブジェクトとして発生し、太守に転任する際、いったん「将軍」身分オブジェクトから消滅させ、「太守」身分オブジェクトとして復活させる、という非常にあやしい構造になってしまいます(--;去年、よくオブジェクト指向をわかっていなかった時はこういう感じで考えていました(^^;;

『憂オブ』を読んで、「関連」を理解して、ようやく、やっぱり武将は単純に「武将」としてオブジェクトにすればいいんだ、と思いました(^o^)で、その武将オブジェクトが、「太守」なり「将軍」なりの身分を所有しているんだ、と。

確かにこの時代、太守に任じられれば、皇帝から太守たる身分を示す印綬を授けられていました。兵を動かすための虎符なんてものもありましたね。身分は印綬や札などで物としてオブジェクト化(^^;して与えられていました。現在でも辞令なんて紙で身分は与えられていますね。身分、は、持つものなんです。そうでないのは、皇帝たる地位だけでしょうね。だから、ここだけ世襲でないと権威が非常にゆらぐ。あ、けども玉璽なんてものもありましたね(^^;

とはいえ、印綬を持っていたから必ず太守かというと、孫策に攻められてあっさり逃げ出してしまえば、形式すら残りません。この辺はやっぱり他との関係、というもので規定されてしまいます。やっぱり関連、です。

さて、同じ武将オブジェクトは、太守であったり将軍としての同僚武将であったり、配下武将であったりします。オブジェクト指向でいえば、武将クラスは、各身分関連クラスを持つ武将インスタンスとしてオブジェクト化される、という感じ(^^;;;で、知らなければ一向にわけがわからない表現になってしまいます(x_x)つまり、同じ武将という型なのに、身分の持ち具合によって、同じ武将という型(クラス)からできた武将オブジェクトとの関連が変わってくる、ということなのです。

難しいでしょうか?(~_~;)オブジェクト指向では、武将クラスという型からは「劉備」や「張飛」や「張苞」や「関羽」や「周倉」といった武将インスタンス(実体)が量産(^^;;されます。で、張飛の配下に張苞、関羽の配下に周倉、劉備は張飛と関羽を配下に持っているとします。劉備から見れば張苞や周倉は陪臣です。周倉の主君は関羽なのです。劉備は主君の主君、という関連ですね。

これまでのシミュレーションゲームでは、君主以外はべったり同じ身分ばかりでした。つまり、劉備にとって、関羽も周倉も同じ扱いです。君主か配下か在野か、しか存在しなかったのです。これを太守身分だとか、軍師だとか、将軍だとかにしてみても、君主にとってはまったく同じ配下であることには変わりありません。逆にいえば、一度君主の配下になれば、他に自分の配下は持てなかったのです。

そして私はこれが、武将余り現象の原因だな、と思うんですよね。つまり、君主にとっては配下は全員配下なんですよ。まあもちろん、中国の皇帝思考(指向?(^^;)によれば、万民万物は皇帝に直結しているんでしょうけども、実体として身分は複層以上ありまして、陪臣の陪臣の……そのまた配下なんてものが皇帝に直結しているとは思わないし、皇帝も直結している、とは思っていなかったでしょうね。もちろんこれは、皇帝はあらゆるものに対して直接統治できる、という擬制でしかありません。けれどももちろん、だからこそ、強大な皇帝は誰に対してでも命令できたわけです。とはいえ弱小な皇帝なら、臣下のいいなりだ、というのもいつものことで(^^;;

で、確かに皇帝ならば誰に対してでも命令できることになっている、とはいえ、三國志の英雄はそこまで強権を有していない時期の方が多く、また、劉備勢のように数える程しか配下がいないならともかく、勢力拡大につれ、直接の配下ではない陪臣が当然増えてくるはずです。逆に、何十人も直属する方がおかしく、誰かに誰かを管理させる方が自然でしょう。

立場的には君主が配下に勝手に命令することはできるとはいえ、周倉はやっぱり関羽の手下という感じなんでしょうね。諸葛亮が関羽に断りなく直接周倉を魏延の下につけるよう劉備に進言すれば、髭殿は激怒したはずです。劉備が直接命じれば別でしょうが、それであっても関羽に一声かけるはずです。まさにこれが陪臣の扱いというものですね。

と、考えていくと、どちらかというと私的な主君−配下関連と、たとえば将軍と副将の関連のように公的な関連は、別であるように見えてきます。しかしこれまたややこしいことに、一度将軍の副将になった場合、そこに主君−配下関連のようなものが生じてくるようです。現在の人事異動のように、ドライなものにはいかないような……と、書いていて、派閥やらなにやら、全然ドライじゃねえなあ〜とか思ってしまいましたが(^^;;;

君主が陪臣を含めて、自分の勢力に属する武将全員に命令することは、できるとはいえ、実際はあまりそうしなかった可能性はあります。誰それはなんとかという豪傑を配下に持っているから、彼にやらせましょう、というようなシーンがそこここで見られます。ところが、これが物語流のフィクションなのか、実際にそうであったのかわかりにくいのが、周倉含め、そういう場合の豪傑の「なんとか」たちは、どうも架空人物くさいんですよね。三国時代では、全員やはり君主に直結していたのかもしれません。だいいち、曹操以外、支配領域は州レベルですもんねえ。ううむ…

けれども、そうだとしても、一度主将と副将に分かれれば、李典や王平のようにつけられた主将がとんでもないできそこない(^^;などでなければ、余程でない限り主将の命令を聞くはずです。あっさり主将を外されるならともかく、しばらくはその主副関連は続きます。そうすると、やっぱりなんとなく主君−配下関連になってくるんですよねえ〜そういう意味では、配下っぽいとも見えます。

しかし、関羽や周倉のように、直接の主従関連というのは、逆に少ないように見えます。武将余り現象とはいいつつ、やはり複層に渡って主従ができる程には多くない。どちらかというと、直接の主従というよりは、参入時期や能力や家柄などの序列が君主との近さを意味していそうです。参入時期は劉備、能力は曹操、家柄は袁紹でしょうか?(^^;;もしくは、実際に存在はしていたんでしょうが、物語に出てくる武将で、陪臣レベルの者は非常に少なかったのかもしれません。

と、考えていくと、無理に武将間に複層の主君−配下関連は作らない方がいいですね(x_x)これは、登場武将は重要人物である、という原則にも乗っ取ります。ちぇっ!(TдT)また考えを変えなくちゃあいけません(@_@)

では、君主以外全員べたっとした関係か、というとそうでもない。やはり、刺史となる武将と、将軍となる武将と、太守となる武将と、それぞれの副将副官とでは、扱いが違うでしょう。で、君主も太守には直接命じるでしょうが、太守の副官には、任命はともかく、直接あれこれ命じはしないでしょう。皇帝指向(^^;によれば直接命じたくもなりますが、直接命じるくらいなら太守なんていりません。むしろ、太守にすらあれこれ命じれず、手紙や使者に託した、かなり限定した命令内容になるでしょうね。将軍なら尚更です。

漢の刺史制度にしても、皇帝は直接太守に命じれるといえども実情がよくわからないことも多く、結局なおざりにしか指示できないため、監察担当としての刺史が、現地行政総括担当っぽくなっていくことになるんでしょう。やっぱり現場でないとわからんことはあるもんです。

形式上はいろいろ命令できるとはいえ、実質上はほとんど命令できることは少なかった、それが実際のようでしょうね。だからこそ、太守一人では足りず、副官をつけて補佐させないと、太守自体あれもこれもできるもんでない。太守は城における小君主ですから、なんでもできるとはいえ、武将がおらず、君主ひとりの勢力がなんにもできないのと同様、実質上なんにもできないと考えられます。ふむ。

と、すると、主従関連よりも、役割としての太守や将軍といった関連の方が重要になってきます。あら、やっぱりkoei様は正しかったか(^^;;ただ、koei型三國志、いや、システムソフト型でもそうですけど、中央政府が弱すぎます。いや、地方政府が弱いのかな?どちらにせよ、各武将の意向なんてまるきし無視しています。

さらに将軍や太守といった役職のみで、本来もっと細かかったであろう役職が全然割愛されてます。そのため中国お得意の組織化がまったくなされず、結局細かい分担は毎回すべて君主が取り仕切っています。正確にはプレイヤーの意向でしょうか?(^^;そう考えると、中央政府も地方政府もなく、ただ、君主プレイヤーの意向だけがすべてなんです。もっと抽象的なゲーム(内政なら内政コマンドだけで、巡察も土地開墾もそんな細かい区別なんてない)ならともかく、そこそこ具体的な内容なのに、君主がすべて命令する、これでは武将の個性なんて発揮できません。

さらにまあ、問題は、個性が発揮できるようなコマンドではない、というところもありますね。細かく分けようが、それが個性を発揮できる細かさならともかく、そうではないところが問題です。それ位なら分ける必要がまずない、と思えることはよくあります(~_~;)開墾とか治安とか商業とか細かく分かれていても、張飛が、上げ具合はともかくどれもふつーに業務をしているのと、内政1つだけでも、張飛が酒をかっくらって全然効果が上がりませんでした、というのと、どちらが個性的だと思いますか?(^^;まあ、常に飲んだくれてばかりじゃあまずいかもしれませんけど(^^;;行動がいろいろできるから個性が発揮できる、というのではなく、その行動に対し、個人がどう行ったかが個性的、ではありませんか?

というようなことを考えつつ、うーむ、またまた深みにはまってきているような気がしますね〜(@_@)

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