kr_ryo 徒然日誌 <2005年2月6日分>

三國志製作記91〜派閥は勢力を喰い尽くす〜

相変わらずシムシティにはまってしまいます(^^;ちょっとプレイのつもりで立ち上げ、いつのまにやら数時間(T-T)しかもなんとなくもっとも効率よく発展させる方法を見つけた気がして……って、いけません、はまってます(^^;;しかも終わろうと思ったとたんに災害が起こって、復旧するまで…とか思ってまたプレイ……してまいます(^^;;;

さて、そんなシムシティから無理やりひっぺがして(^^;;前回は派閥について色々あれこれ検討していました。単なる勢力同士の争いだけではなく、派閥も存在し、派閥同士の争いもあり得るということになります。勢力と派閥の関係は勢力の中に派閥が複数あり、勢力には含まれるが派閥には含まれない武将もおり、君主武将は勢力の中の、自分以外の派閥内武将以外に命令できる、という感じになります。まあ、配下の派閥内武将にも命じることができるといえばできます。しかしそれは派閥ボス武将を通してということになりますね。

そう考えると、派閥内武将は、陪臣というような強固な君臣関係よりもややゆるい関係であって、実体に非常に合っている気がします(^-^)周倉も関羽派武将なのです。劉備も直接周倉に何か命じることができるとしても、直接命じはしなかったと思えます。が、できるというのとまったくできないのとでは全然違います。

まあ、とはいっても派閥をもてるだけの武将は勢力をもてるだけの武将といってよく、初期状態なら実際勢力になれたのです。董卓にも郭派とか張済派や呂布派とかがいたのでしょう。呂布なんて張遼や陳宮など、なぜか優れた武将がつき従います。彼がもうちょっとまともならいいセンいってたかもしれません(^^ゞ

では、命令はどういう感じででることになりましょうか。前回もふれましたが、派閥に入る武将は、ボスが言うことを聞いてくれる人ならば入る場合と、ボスについていけば間違いないと思うならば入る場合の二種類あります。陳宮は前者で、関羽張飛は後者だったようです。で、前者なら進言して命令を出させる感じで、後者なら命令を待つ感じです。武将たちはみんながみんな進言してくるわけではなく、けれどもみんながみんな黙っているわけではないのです。ということは、武将が進言し、それを許否決定する場合と、直接命令する場合とがありえます。

武将に命じるタイプはもちろんよくあるタイプの方法です。武将の進言の許否によるタイプは、銀英伝4のように命令コマンドと同じ場合と、三国動乱のように進言専用のものが別に存在する場合の二種類あります。銀英伝4では、残念ながらろくな進言も命令も出なかったのが悲しい(T-T)ものの、原作からして大概ろくな作戦が出てなかったのでそれはそれで雰囲気が出ました(^^;問題は、ヤンやラインハルトといった原作では優れた人物すらろくな作戦を立てなかったところです(T-T)三国動乱は、進言に武将の個性が出てよかったんですけども、あまり意味のある内容が少なかったのが難点です(~_~;)

コンピュータが優れた進言をしてくれればそれはそれでいいのです、が、優れた人物が優れた進言をして、それに単に従っていけば勝手にゲームが終わる、というのではなんのためにゲームしているのかわかりません(^^;;そういう意味でプレイヤーは君主といいつつ軍師をやっている、という指摘は当然ともいえます。軍師でないとゲームにならないんですよね(^^;;

派閥を持ち込むとすると、武将が自分の派閥にとって有利な進言をする、という点でなかなか人間味ある?雰囲気が出てきます。つまり、最善ではないものの、それはそれでわかる、という感じです。それを許否するのは君主たるプレイヤーですが、否決するとその派閥全体が不穏になったりする、と(^^;;で、嫁が出てきて、どうして弟に手柄を立てさせてやらないのですかっ!と眦を決したりするわけです(^^;;;曹操なら嫁ごと切っちゃいそうですが(^^;;A

もちろんあっちふらふらの軟弱プレイでなく、曹操風剛直プレイでぐいぐい押してもいいわけです。命令は俺が出す、みたいに。しかしま、派閥ボスに命じるのも、別段そいつが自分でやることを期待しているわけではないのです。きちんと遂行できればそれはそれでいいはずです。もちろんボス自らやっても全然問題はありません。と、考えていくと、命令と進言は同じものである方がよさそうです。それと、評価も重要です。成功しやすく評価も高い仕事=命令ならばやらせてほしがり、失敗しやすかったり評価が低かったりすると、避けたり、他の派閥の者を推薦したり(^^;これによって画一的なプレイになりにくくなるはずです。つまり、やりたがる仕事と、やりたがらない仕事です。これは派閥がなくとも重要ですね。

ここまで考えると、派閥と勢力は非常によく似ている気がしてきました。勢力が強ければ派閥は抑えられるものの、派閥が強ければ勢力が衰える。もともと勢力自体が後漢国という勢力内派閥であることから考えると、派閥が最も基礎的な集団で、派閥が集まって勢力になるというイメージですね。もちろん派閥に属さない武将もいるでしょうが、それはそれで、勢力という派閥に属しているのです。全く属さなければ、在野と呼ばれるのでしょう。

もともと勢力は、城の支配が誰か、を決めるために必要だと考えた基礎的なオブジェクトです。昔、後漢という国があるのにもかかわらず、勢力で色分けしたら、中立というなんだかわからない存在になる城が出て、これは…と思ったことがあります。また、司馬懿勢力を考えると、なんだか魏という国がばらばらになったような感じも受けました。国ですら勢力、なるほど、何層にもわたる派閥のレベルの違いで、見ている階層、レベルが違うと、表現も内容も違うことになります。司馬懿派と曹爽派は反目し合いながら、魏というレベルで見れば同じ勢力内です。しかし司馬懿派の中にも諸葛誕は結局袂を分かつなど、さらに下のレベルで見ればさらに対立が深まったりします。これを二次元マップでは……当然表現できませんな〜(~_~;)

表現できないからない、と考えるのはそれはそれで乱暴でしょう。そもそも三國志の因となる後漢衰亡は、後漢という勢力が下位の派閥勢力争いを治め切れなくなったことにはじまります。上の派閥が下の派閥と必ずしも対立したわけではなく、下の派閥の独断を制御しきれなくなった、というところにはじまるのです。もちろん対立することもあるでしょうが、直接対立したわけではなく、言うことを聞かせられなくなったのです。言っても聞いてくれない、というところですね。それは上の派閥の統治能力が減少したことが一番大きいでしょう。もっといえば、君主の能力が不足したか、配下の能力が上で見捨てられたか、配下が自立しようとしたか、何にせよ、優秀な配下が自力でできると思ってしまったら、上の派閥は瓦解することになります。そこを表現しないといけません。派閥への忠誠心、ですね。

曹操は魏に封じられなくとも、将来の魏にあたる領土を実効支配していました。本来朝廷が治めるべき土地ですが、漢朝衰亡のため、統治力が激減していました。各地の太守は否応なく自力で実効支配しないといけなくなっていたのです。その後、曹操支配地は、曹操の支配する漢の土地、魏の土地、それと漢の朝廷の直轄地という感じになっていたのでしょうが、それは曹操派閥に直属する土地、という感じで、武将同様土地も派閥に属すると考えてよいでしょう。土地ごと曹操についた太守がいたら、その土地はその太守派閥に属しつつ、かつ、曹操派のものと考えることになります。こう考えると、土地を最終支配することのできる派閥が勢力と呼んでよいように思えます。別段その太守派閥所有と考えても全然問題はないですが、それを取り上げることも曹操はできてしまうことになるのです。曹操派閥に入らなければ、その太守は曹操に取り上げられることもなかったのですから、やっぱり最終支配は曹操ということになり、そのレベルを勢力と考えましょう。とすると、すでに漢朝という勢力は董卓の乱で滅亡してしまっているのです。

そう、董卓の乱です。董卓は一気に朝廷の最高官位にまで登り詰めますが、当然諸侯は反発し、対董卓戦争が始まります。この時点で董卓は朝廷百官を支配していますので、実は朝廷と董卓勢力はほぼイコールなのです。董卓による後漢国全土支配を快く思わない諸侯が董卓に反旗を翻しますが、これはこれで朝廷に反旗を翻しているのと同じなのです。実際、その後董卓残党から逃亡する皇帝を曹操が庇護するまで、周辺諸侯は見て見ぬふりでした。董卓残党にせよ、いや、中常侍の乱の際の頃から、皇帝の身柄確保は権力に一番近づく方法であったのに、もはや、百官がうっとうしい、by袁紹、なのです。その意味では、逃げる皇帝を追いかける董卓残党の方がまだ朝廷への尊崇が篤いといえます(~Q~;)

董卓勢力にある意味吸収された朝廷に対し、諸侯が反董卓という立場を明らかにした時点で、明示はしないもののすでに諸侯は反朝廷でもあり、曹操が朝廷を吸収してからは、そのまま反曹操となるのです。一度独立の味を知ったら、もはやもとのサヤには戻らない…!

この頃には、のちの大勢力となる曹操や袁紹や劉表などの他にも、太守や刺史はたくさんいたはずです。曹操にせよ袁紹にせよ、洛陽から逃げた時点では太守ですらありません。勝手に地元で兵を挙げ、いつの間にか郡や州を支配下にいれています。もちろん武力で手に入れることもあれば、勝手に向こうからやってくることもありました。袁紹の冀州取りのように策略を使って手に入れることもありましたね。いずれにせよ、反董卓=反朝廷として、朝廷の意向によらず自ら差配する英雄に、嫌々ながらかもしくは喜んでかはともかく、朝廷でなく、英雄に付き従っていくのです。

さらにここで大事なことがあります。自ら差配するということは、朝廷により定められたこと以上のことをする、つまり、勢力を拡大するということです。たとえば南陽の太守が南陽の統治をつつがなくしているだけではまったく勢力とは言えません。いまだ朝廷の命、すなわち南陽の太守たることに従っているのです。これが南陽から寿春まで勝手に攻め込んだりすれば、勢力です。王朗に太守以上のことをしようとする意志なんてなかったと思いますので、これは勢力ではありません。ところが孫策は朝廷の命にまったく従っていません。太守ですらないのに勝手に攻め込んでいます。これは勢力ですね。

そうすると、やっぱり勢力は朝廷の命によらず、勝手に動き回る派閥のことを指します。各地のおとなしい太守連中はどうでしょうか。刺史が当たり前の刺史で、孫策に追い出されるような者であった州の太守達は、孫策に従うか、朝廷に命じられた太守たる地位において(直接命じられてはいないものの、誰かに追い出されることなく太守たることは命じられているでしょう)攻めてくる孫策に対抗しようとするか迷うところでしょう。が、まあ、時間の問題というところで(^^;

時代は下り、英雄たちがそれなりに勢力の基盤を確保した頃。袁紹勢力では、その子達をかつぐ派閥に分かれています。しかも袁譚達はきれいに州ごとに分地されています。が、もちろん袁紹配下です。袁紹死後、子どもたちは争ったり同盟したり、結局袁尚勢力に一本化することはありませんでしたので、それぞれの派閥がばらばらの勢力となりました。それから呉。赤壁前夜は周瑜等武闘派と、張昭等文官派に分かれていました。が、これは派閥ではありません。孫権が強力なリーダーシップを持っていた、ともいえますが、派閥を形勢するには至っていないように見えます。強いわけです。さらに荊州。劉備はやっぱり劉表勢力の中での派閥だったりします。蔡瑁派もあります。他の臣達はどうでしょうか。蔡瑁を除けば強力な派閥はなかったようですね。しかし各地の太守達は以前検討したようにばらばらになっています。小派閥だったんでしょうか。

さらに時代は下り、三国時代。司馬懿派と曹爽派はそう名付けてもよいでしょう。諸葛亮が生きている間は法正の忠告どおり、派閥形成はしませんでしたが、結局諸葛亮がなんでもかんでも自分でやっているので、諸葛亮派とした方が話が早かったりします(^^;諸葛恪は派閥でしょうね。

結局、勢力内に新たに派閥ができると、その勢力は弱まっているといえましょう。そのうちどれかの派閥が主導権を握り、上位派閥=勢力を喰ってしまいます。勢力内勢力たる派閥、いや、派閥が独立して勢力となる、でしたか、基本的なオブジェクトが派閥です。派閥の長は、派閥員(?)に命令を出せます。先程検討したように、派閥の長が朝廷など他の者に命令を出されない、自ら差配する人物である時、勢力と呼びます。ということは、基本的に、派閥の長も勢力の長も同じ命令を出すことになるのです。

ところで、勢力たる派閥とは別に、勢力内の派閥がある場合というのは、別段派閥争いをするためだけではないのです。勢力の長が派閥員全部を捉えられない時、余った連中が勢力の長により近い者の内の誰かの下につくのです。そういう意味では派閥は自然発生的ですね。太守と郡丞、刺史と太守のように制度的に上司部下の関係がある場合は、それで上下関係が満たされます。しかし武将余り現象ではないですが(^^;大量に同格の武将が生じると、その中でも「勝手に」派閥ができあがります。もちろん劉備や曹操や孫権といった強烈なリーダーシップを持つ英雄なら、配下が派閥を作るまでもなく同格同士で仲良くできます。しかし、リーダーシップが弱い、劉表劉璋や、袁紹などでは、長が把握できる規模以上の同格の武将ははじき出されてしまい、誰かを中心に派閥をつくってその下につくか、もしくは田豊のように進言を聞き入れられない悲劇を迎えることになるのです。

という意味では、派閥は自然発生的かつ英雄のリーダーシップによるという感じです。制度的に、たとえば太守とその配下という形で同格武将を減らしたとしても、太守の数が多ければ、刺史や重臣達を中心に各太守が派閥化してしまうのです。

いやあ、なかなかわかったようなわからないような(^^;問題は、派閥をつくるとして、誰の派閥に入るか、というところでしょうか。制度的に職務として下につけられれば自然に入るでしょうが、たいていは、派閥の長からして有力な武将を見方に引き入れようとするんでしょうね。無能な長は無能な人物を愛するというのが自然な感じがするのと同様、有能な長は有能な人物を愛するでしょう。で、長が無能なら、無能な人物が重用されて…諸葛亮は重用されにくそうですが(^^;その辺は忠義の度合いにもよるんでしょう。無能な長でも有能な忠義の臣は好みそうです。もちろん諫言が過ぎると対立するかもしれません。基本的に派閥化は能力によるとしましょうか。

で、勢力の長は自分が把握できるだけの配下しか命令できない、と。把握できないから派閥化してしまうんですけど、さらに派閥の長が派閥員の誰かに命じていく、と。もちろん派閥員の誰に命令されるかは、勢力の長はわからないんですよね。しかも先程の、おいしい命令ならしゃしゃりでる無能な派閥の長がいて、嫌な命令を他派閥に押しつける派閥の長がいる、と。もちろん率先して引き受ける忠義の臣もいる、といったところで……うーむ、なるほど、結局勢力の長といえども、みんながみんなを把握できない、把握できないということがまさに勢力員全員を使える以上にシミュレーションしていると思いませんか?(^O^)

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