すっかりあったかくなってコートもマフラーもいらなくなったかな?と思っていたら、今日は吹雪です(*_*)いやあ、三寒四温とはいいますが、こちとら真冬でもそうそう吹雪ませんぞ(~_~;)けれどもおかげで、あったかい時は花粉症でげほげほだったのが、寒くて花粉も飛ばないのか、今日はずいぶんましでした(^O^)
さて、前回非常に進んだような気がしました(^O^)が、では、新しい派閥関係などを導入してオブジェクト図を作製しようとすると……ん、何がどう変わったんだろう…??(?_?)
あれあれ、と、仕様書を作製してみました……んん、なんだかよくわかりませんが、何かが違います。うーむ、こりゃあ、どうしたことでしょう(T_T)
何が問題かというと、プレイヤーが何をすればいいのか相も変わらずイメージがつかないのです。コマンドは思いつくものの、それで…?という感じで……(ToT)
非常に単純なシミュレーションゲームとして三國志を考えてみましょう。征服すべき城がいくつかあります。で、プレイヤーが選択した君主が持つ城があります。プレイヤーの順番が回ってくれば、コマンドを選択することができます。そのコマンドは、戦争、軍備、内政の3つです。
プレイヤーの城の国力を数値で表すとして、それが秋になればお金になります。内政を行えば国力が増えます。内政にはお金を使いますし、軍事で兵数を増やしてもお金を使います。また、他の城を攻めるのにもお金が必要です。勝てば、プレイヤーは城を手に入れることになります。この繰り返しですね。
おそらくひじょーによくありがちなモデルですが、実はこれは光栄の信長の野望初代以来からのモデルです(^^;;このモデルが非常によくできているため、いまだに光栄はこのスタイルの発展で新作を出しています。光栄以前にも当然シミュレーションゲームはボードゲーム含めあまたありましたが、内政しなきゃお金が増えず、お金が増えなきゃ兵も増えず、兵が増えなきゃ攻められない、というシステムで大はやりしたのが光栄の信長の野望でした。そしてこのシステムでは、内政は一度では終わらないため何度も行うことになり、かつ、何度も行えば最初の状態よりものすごく大きくなることになります。
内政を何度も繰り返し行うことが必要になったおかげで、ゲームがあっという間に終わる、ということがなくなります。城が細かく分かれて分かれてひたすら戦争するのも同じことですし、よくあるRPGがスライムからはじまっていわゆる経験値稼ぎ戦闘をしないといけないのと同様、繰り返し何かをさせることで、ゲームがすぐ終わってしまうのを防ぎます……結局、時間稼ぎといえなくもないのです…(~_~;)1本数千円から1万数千円のゲームです。早解きが流行りました(今でもか?(^^;)が、無理やり早解きをするならともかく、そうでないとして何日かは遊べなければ、くそげーと呼ばれてしまうからでしょう(*_*)
以前も紹介した不如帰やら、信長の野望でもそうですが、一度クリアしても何度も遊べるようなゲームであれば、かえって1回数時間のプレイで終わってもそれはそれでよいのです。何度も遊べますからね。逆に、普通にプレイしていていれば何日も何日もかかるようなゲームであれば、これは逆に何度も遊ぶには敷居が高すぎるような気がして、かえって遊ばなくなってしまうような気もします。そこそこ骨があり、そんなに長くはかからなく、いつもと違う展開も楽しめる、という程度でいいと思うんですよね。毎回毎回スライム倒しばかり延々させる、というプレイなら、当然敷居が高くなります。
ところで、大金を出したのにすぐ終わってしまってつまらない、といわれてしまうゲームは、一本筋な可能性があります。つまり、展開に幅が無く、どうやっても誰がやっても同じ結果になる、というものです。誰がやっても同じ展開で、あっという間に終わってしまう、同じ展開だから再びやってみようと思えるたぐいでないのに、最初の1回分も短い、これでは金返せと言われるのもわかります。一本筋なら一本筋で、ながーい一本筋ならまだしも、それすら短かったらつまんないですわな(~_~;)
とはいえ、毎回毎回全然まったく違う展開というマルチエンディングだからいいかというと、それはそれで、マルチの1本分が一本筋でしかなく、扇子の骨のように、結局一本筋を順番につぶす、というしか選択がなくなります(~_~;)かえって邪魔臭いだけかもしれません。
結局、おもしろい、つまらないの差が出るのは、ゴールが1つだろうと複数だろうと、その過程によって決まってくると思うのです。ゴールは1つでもいいですが、プレイヤーが選んだ選択によって色々途中経過が変わっていく、というのが面白さの根源だと思います。スタートが1つでゴールが1つでも、途中でぶわっと膨らんで、収束していく、という感じが、プレイした!という気になるのです(^-^)私がシミュレーションゲームが好きなのが、ゴールまでの過程が製作側も予定していない、というプレイが楽しめるからです。RPGやら、シミュレーションゲームでもイベントが多用されているものやらは、製作側の思惑に乗っているようでつまらないものです(~_~;)
と、まあ、だんだん話が外れてきましたが(^^;結局、内政やら経験値稼ぎは、それはそれでやり方によっては幅が出てきます。人によってやり方に微妙に違いも出てくるでしょうし、なんとなく苦労した!という感じも味わえます(^^;だから絶対悪いということではないのですが、何よりも一番気になるのは、かえってそれでなきゃならない、内政しなきゃならないという思い込みが、私の中にですが、どうしても強くあることです(~_~;)
ボードシミュレーションゲームにせよ、他のシミュレーションゲームにせよ、戦争戦闘がほとんど、というものも多いのです。私の中の名作銀英伝4においても、内政なんてほとんどありません。そう考えていくと、内政なんていらないのでは………と、つらつら考えていくうちに、はたと気がつきました( °O °;)
どうも逆なんです。思い込みによって内政システムをつくらなきゃ、と思ってるんではなく、私がおもしろい内政をしたいんで、内政要素が単に担当貼り付けしかないシステムでは非常に物足りないのでした(@_@)うーん、戦闘戦術だけなら別段戦略級のゲームなんかじゃなくて、それこそコサックスやらAoEやら大戦略(と、これは作戦級なんでちと違いますが(^^;)やらをプレイしていたらいいのです。戦略級の一番のおもしろさは、内政外交を含めた戦争全般、その時代を大きくすべて扱えるところです。まあ、すべてを細かく扱えるわけもないので、結局は広く大きく扱うわけになるんですけどね。
それなのに内政要素を限りなく薄く薄くしてしまうと、やっぱりどうもおもしろくない(~_~;)じみーな内政も続けて続けて、ようやく豊かな土地になる、こういうプレイ、結局自分が一番好きなんですよねえ〜(^^;そういう意味では戦略シミュレーションよりもシムシティのような経営シミュレーションの方があってるのかもしれません……!そうすると、単純に担当貼り付けだけでは意味がありません。俺にも内政やらせろー!てな感じで(^^;けれどもだからといってこれまた単純に内政ってボタンを押すだけでは、ねぇ(~_~;)
かつての戦略級ボードゲームでは、土地の支配が即収入に結びついて内政なんてないか、戦闘で荒廃すれば荒廃状態(マーカーを置く、というので理解されましょうか?(^^;)になり、内政ではそれを取り除く、というものが多かったのです。何をせずとも土地は完全、もしくは荒廃しているから復興するという感じで、初期状態以上に成長するわけではありません。逆に光栄システムでは、初期状態はほとんど何もできないくらい生産力が低くて、そこから成長させてようやくまともになる、という感じですね。初期状態からまったく成長しないのも、初期状態はぼろぼろすぎるのも、どちらもいきすぎではないか、という気がします。名君によって急速に発展することもあれば、(その後の)うち続く戦乱で繁栄した土地が荒廃していく、というのが普通でしょう。
国力は常に完璧タイプは内政システムを用意しないためですし、国力が最初は極小タイプは、内政をとにかく続けさせるためです。どちらも設計思想を反映したシステムですね。三國志はどうでしょうか。これまで何度も何度も内政を検討してきました……それは「自分が」プレイしておもしろい!(^O^)内政をなんとか試行錯誤していたに違いないと、ようやく思い至りましたね(^^;;……三國志では、まず、漢の国力の初期状態はかなり低くなっています。民力疲弊が黄巾の乱の原因ですし、政治も恣意的で腐敗しています。ところがさらにうち続く戦乱でもっと目茶滅茶になるのですが…(--;民力疲弊で国も崩壊、というところでしょう。ところで戦乱でひどい目にあったのは華北で、戦乱で華南に避難した人々によって、呉も蜀もなんとか独立し、その後の南北朝時代に続くことになります。
曹操が統一した華北は戦乱で生産力が激減した土地であり、戦乱がそれ程及ばず、かえって人口流入によって発展したのが華南ともいえます。それでも国全体として見ると人口も経済力も激減したことでしょう。どちらにせよ、ゲームとしての初期状態は、完璧な経済力にはほど遠く、けれども将来的にはさらに悪くなりうる余地がある程度には高い、というところでしょうか(~_~;)そしてそれは、戦争がおきず、かつての漢政府が行ったような無茶な税の取り立てもなければ、それなりにいい土地ではあり、逆に戦乱から逃れてきた人によって発展する可能性もある地です。
以前検討したように、後漢時代自体デフレ(シルクロード交易による金銀の流出のため)で不景気であるため、内政をどうやっても景気のいい話にはならない、とも考えられます。ところが戦乱で荒廃すれば、金より食料、文化芸術品より必需品という風に、景気が改善するのです。腐敗した政治制度はじめ一度壊した方が、うまくいくものもあるのです(~_~;)
問題が政治や制度にあるとすると、内政は政治や制度を整えることの方が前提になります。それも、旧来の仕組みをそのまま復活するとかえって失敗するのです。すでに疲弊し混乱した土地において、繁栄した土地を前提にして収奪しようとする仕組みではうまくいきません。実情に応じ、税を少なくしたりだとか、民の生活からしてうまくいくような仕組みをつくっていくことが大事でしょう。
そうするとやはり、内政・制度担当を貼り付け、実際に制度を構築したり修正したりして、生かさぬよう殺さぬような(--;)仕組みを作っていくことになります。民の繁栄なくして税収向上はあり得ません。しかし、民が繁栄しているからといって相応の税を徴収しているとも限りません。それこそ、民は繁栄を謳歌していて、国の財政は貧しい……別にいいじゃないか、という気はしますが(^^;その繁栄を維持したまま、十分な税も取り立てることもでき、その税によってさらに繁栄を拡大する…のが理想ではありますね。もちろん逆に、民が貧困に陥っていれば、いくら周囲に敵が迫っていようと、それ相応の税しか取り立てることができません。それを無理に税を取り立てようとするから民に見放されて滅亡の道を進むことになります。
民の繁栄の度合いなんてすぐわかる、とか、必要十分な税なんてすぐ計算できる、とか思えそうなもんですが、現代社会を見ても、まあ、なかなか難しいですわな(~_~;)当時より現代の方が複雑だ、とはいえますが、当時より現代の方が知識も増え、様々な技術も発展しています。だからこそ古より繁栄しているんですが(^^;それでも景気や税はわからないもんです。
ということで、神の目から見た実勢国力と、ある国力を前提にした税やら制度やらを別々にしてみましょう。両者がぴったんこだったらその国力における税収は最大となり、実勢が上なら取りはぐれ、実勢が下ならさらに国力が下がる、という感じです。取りはぐれていたら国力が上がりそうなもんですけど、わかってそうしているわけでもないので、単に取りはぐれているだけになるはずです。うまい政治だと、税収が多くて国力が上がるということになる、はずです。これは単に税が低いから民にとってよい政治になるというのではなく、実体をよく把握しているからこそよい政治となる、という私の思想です(^^ゞたとえば税が非常に安ければ国は繁栄するか、というと、税が安い分国ができることもなくなり、本来しなければいけないことまでできなくなる、という発想ですね。まったく国なんてものがなければいい、というと、老荘思想的ですけども、老荘思想だって、政治の不要な介入はしなくとも、必要な介入くらい前提としているでしょう。国家不要論はアナーキズムでしたっけ?
そういう微妙かつ複雑な内政、つまり政治制度の策定は、さて、毎月のコマンドになじむでしょうか?(--;また、プレイヤーの能力によるでしょうか?民が怨嗟の声を上げるのをわかっていて強制収奪を命じたり、人気取りのために税を軽減したりすることは、プレイヤーのコマンドとして、何かの思惑があってする分には結構です。しかし、普段の内政自体はまさに普段のことで、貼り付けた担当が勝手に実情を把握して、政策を決定しているのです。それをプレイヤーキャラたる君主自らが行ってもいいですが、プレイヤーがそれに介入したから何か変わるか、というと、RPGのように町に(おしのびで?)出かけ、官僚と議論し、政策をつくり…というようなことでもしない限り、意味がありません(~_~;)せいぜい、自分のキャラたる君主が内政には無能なので、自分で内政するより陳宮のような優秀な人物にさせた方がいい、という判断をプレイヤーがすること自体が大事になってきます。と、いうか、その方が大事です(^^;
うーむ、やっぱり担当官制ですかぁ(~_~;)内政コマンド方式で育ってきた身には、そうそう簡単には捨てがたいものです(;_;)んーむ、最初と発想がだんだん違ってきましたね(^^;ここはもう少し考えないといけなさそうです…(x_x)
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