kr_ryo 徒然日誌 <2005年3月20日分>

三國志製作記95〜ロジスティック三国志〜

もう3月も下旬、コートを着てると暑い位と思っていたら、今日は春分の日じゃあないですか(^O^)もう春!けれどもさすがに寒いといえば寒く、昨日油断してうたたねしていたらどうも風邪をひいたみたいです(~_~;)花粉症も相変わらずで、くしゃみ鼻水、洟をかんで、くしゃみ鼻水…の繰り返し(TдT)この風邪は、アレルギー抑制の薬のせい?これだけヒスタミンがあるってことは、単なる寝冷え?うーむ、春は洟水とともにあり……(TдT)

さて気をとりなおして前回…というか、ずーっと検討している気のする(^^;内政です。政治は、実体から乖離した理想によってするもんではなく、民や社会の実力を正しく調査認識し、それに基づきよりよい制度や仕組みを検討実施し、応分の税を取る、というのが最もよい方法でしょう、ということでした。

そういう認識から、実勢国力と武将が想定する国力に基づく政治とを分離させます。優秀な奴なら国力と収税を一致させ、向いてない奴なら国力と収税がずれ、強欲な奴なら国力を無視して取りすぎる、という感じが内政かな、という検討をしたのが前回でした。ではつづいて、そこからプレイヤーは担当を張り付けるだけで他にすることはないのか、という検討です。

まず、プレイヤー自らがコマンドという形で行うことは、戦争やら外交やらの大がかりなものであって、内政も当然その並びであるべきとは思います。今日も明日も生産力向上やら治安維持活動やらにコマンドを費やすべきものではないのです。そういったことが普段から行われるとしても、それはそれでわざわざコマンドとして実行すべきものではありません。戦争コマンドの隣が訓練やら生産力向上なんて、よくよく考えればバランスが悪くありませんか?訓練にせよ生産力向上にせよ、放っておいても、プレイヤーが言わなくとも、きちんとやっておいてくれ、という気はするのです。そして、きちんとやる奴にさせうるかどうかをプレイヤーが見るのです。まあ、実際の組織も同じですね(^^;

じゃあ、その武将がきちんとやるやつなのかどうか、また、きちんとした内政が行われているかどうかを、今度はプレイヤーがわかるにはどうすればいいか、ということが問題になります。簡単に考えれば能力や国力を数値にして表せばいいのですが、以前検討したように、実際は国力はおろか個人の能力すらなかなかわからないのに(だから、無能な奴にまかせてしまったりする)、なぜそう簡単にプレイヤーはわかってしまうのかが謎です(~_~;)一目見ればわかる、ということもありえますが、だまされることもあれば、龐統のように全然わかってもらえないこともあるのです。

しかし、そいつがどういう奴だ、とか、うまく内政が進んでいるかどうか、こそ、君主は不断に見続けているとも言えます。だからといって見抜く、ということをコマンド化して、それを毎月実行しないプレイヤーは見抜けない、というのも、なんだか苦行を強いているだけのように思えますね(~_~;)内政はコマンドに並べなかったのに、見抜く、ということを戦争と同列に並べるのもやはり変でしょう。そして、君主がきちんと見抜くために、中国では監察が発達しましたよね。そしてこれも担当の貼り付けといえなくはないです(^^;いや、それよりなによりむしろ、見抜く、そのことこそプレイヤー様の使命…(^^;;;

平和な時代の皇帝ならまだしも、戦乱の時代の小君主が自ら調査も判断も決断もしなかった、とはいえません。いったい英雄達は何をしていたのでしょうか。……それこそ監察他の報告により、太守の内政のよくないところを変えることでしょうね。自ら調査に乗り出すこともありえるでしょうが、あまりそうした例は物語には見当たりません。変えるべき人物は変える、やはり君主のすべきことはまず人事なのでしょう。そして担当貼り付けもそうですが、戦争や外交同様、そうそう頻繁に実行しないのがコマンドなのかもしれません。

…と、終わってしまうと、君主ならともかくプレイヤーにとっては物足りない(~_~;)しかし、ゲームだからといって頻繁になにかプレイヤーにさせる、というのももしかすると思い込みなのかもしれません……いや、何もしないとつまらなくて寝てしまうからでしたっけ?(_ _).oO

ただ、何もすることがなければ時を進めればいいだけのことでして、今はすることがないのと、もはや手詰まりになっていてすることがないのとは違います。先の展望もなく勝利できるわけでもなく、ただ続いているという状態はつまらないでしょう。たとえば超巨大勢力と自勢力だけがあるとして、双方が敵対していればプレイヤーも緊張していて、何か活路がないか、できることがないか検討しているものですけど、双方が同盟していれば、再び敵対するという気概を持たなければ、もはやゲームを続ける意欲は出て来ないでしょうね。ゲーム序盤ですることがないのと、最終的にそんな状態になっていてすることがないのとは違いましょう。問題はそんなバランスになっていても終わらない終了条件にありそうですが…(^^;;

うーん、そう考えていくと、無駄に何もしない、つまり、つまらない&細かいコマンドは取り入れないというのも一理ありますね。そういえばSWGもお金がなかなかたまらないので単に時を進めることも多かったでした(^^;;やはり、毎月何かさせるためだけのコマンド、というのはなしにしましょうか(@_@)別段普段何もしてなくったって、肝心なときに正しく正しいコマンドを実行することが大事でしょう。そうすれば、無駄にコマンドを入力させたり、プレイ時間がやたら長くなったりすることを防げます。コマンドに追い立てられるのではなく、じっくり現状を分析したりすることに費やすこともできましょう。

さて、そうなってくるとやはり内政はなおざりです(~_~;)なおざりというか、内政はじめ具体の細かい事務は君主の仕事じゃあない。とと、そう言い切ってしまうと語弊がありそうです(^^;しかし、この土地のここに農地を作り、ここは民家を立ち退かせて……なんて、まさに官僚達のお仕事で、君主がいちいち指図するようなことではありません。けれどもシムシティとか信長の野望ではそれを行ったりします。細かい内政とはゲーム的なのかもしれません。そうそう、戦闘で部隊をいちいち動かすのもそうですね。まさに単なるコマであって、諸葛亮も周瑜も関羽も呂布も、精鋭騎兵なのか古参水軍なのかの違いくらいでしかない。

シムシティのゲーム醍醐味は、すべて自分の手で都市を直接デザインして経営することです。では三國志のゲーム醍醐味はなんでしょう?自分の手で豪傑に号令し天下を獲ることでしょうか。英雄達の果たせなかった夢をかなえること、というのは魅力的ではあります。自分の手で、というところと、豪傑に号令、というところのバランスに、考える余地が出てきます。これまでは、すべて自分の手、でした。自分ですべて命令することも、確かに豪傑に号令、ともいえます。しかし、現実は戦闘、調略、外交、どの分野であっても、英雄がすべてを取り仕切ることはできません。そうであることをシミュレーションしてみるとおもしろいんじゃあないか、ということが、これまでずーっと検討してきたことでした(^^;

勢力の規模が小さければ、君主がすべて直接取り仕切れるのでしょうが、大きくなれば有能な配下達が分担して行なうことになるはずです。ところがゲームだと、小さい勢力の時の態勢で最後まで突き進みます。それが武将余り現象だとか、武将が単なるコマだとか、新たに仕えた優秀な武将があっと言う間にそのコマの地位を従来の武将から取ってしまうだとかの原因になります。勢力が大きくなれば、とにかく人手が足りなくなります。そこでやや難のある奴だとか無能な奴だとかも生きる余地が生まれ、そしてそこから腐敗が始まります。いずれにせよ、規模に応じて組織も変わっていかなければならないはずです。そしてその変え方が、君主の独自色の表れるところです。大きな組織を作れない者は、大きくなれないのです。

都市を持たない勢力と、都市を1つ持っている勢力と、3つ持っている勢力、州を支配している勢力、複数の州を支配している勢力と、それぞれ段階が考えられます。これは所有都市の数が違うだけではないはずですが、往々にして数が違うだけになります(--;都市を持たない、というのは劉備勢のように流浪している勢力です。内政については考えなくともよいでしょうが、日々の糧、兵站については考えないといけないでしょう。狩りだけしているはずもなく、かといって布施をもらってるわけもないので、どうやって食いつなぐかを考えることが大仕事です。他の勢力に雇われたり、山賊まがいのことをしたり、都市を支配していないものの勢力間の間隙で極小勢力を作ったりすることになりましょう。この勢力はとりあえず兵站だけ考えていればいいですが、世に出るためには都市を奪って自立しないといけません。

兵站、つまり食いつなぐことは、都市を支配することができても同じです。税という名の兵站確保のために、内政を行なうことになります。生かさぬよう殺さぬように取り立ててもよし、民生第一に考えてもよし。しかし民生を考えるにしても、多く取り立てなければ配分できません。董卓のように自分自身のために使うために取り立てるのも、高福祉のために取り立てるのも、取り立てられる方にとっては同じです。だからといってあまり取り立てないのが必ずよいか、というと、貧しい者に分け与えることができないので貧富の差が拡大します。もっとも、この時代は荘園制の確立過程で、富める豪族から取り立てにくい時代でした。人頭税ですからね、土地と農奴が大量に所有していても、貧農と同じ税なのです。

そうこう考えると、まず、税を取り立てる割合、それから、取り立てた税をどう使うかということに分かれて考える必要があります。取り立てた税の大部分は兵站に消えましょう。で、残りは福祉か、というと、そうでもない(^^;まずもって、光栄のゲームでは続けていけば続けていくだけ貯まる一方の資金。よーく考えると、使い道もないのに取られるというのはどういうことか?(~_~;)いやいや、使い道もないのに取るのはどういうことか(^^;ゲームだからといってしまえばそれまでですが、後漢の不景気はデフレが原因でして、その原因はシルクロード交易で、国内&周辺国からの金銀がゆっくりゆっくり西方に流れていってしまったせいです。きっとローマやインドからも流出していったでしょう。どこに消えたかというと、中央アジアの交易商国のはずです。つまり、国内の金銀保有量は少ない。特に農民は税を払えないほど国内の金銀自体が少ない。それなのに使用することもない税を取り立てれば、より一層民間の景気が悪くなる一方です(~_~;)

金銀経済を中心に考える中央政府と異なり、軍閥勢力はとりあえず兵糧を物納してくれればいいはずです。で、食いはぐれた連中を兵隊として使えば、福祉にもなります(^^;また、飢饉や何かで食い詰めた時には兵糧を放出すれば、それこそ善君と讃えられましょう(^^;けれども金銀経済から離れた軍閥勢力は、自勢力でなければ無視するか、打倒して取り込むしかなくなります。交易なんて発想は出ません。米と米を交換する意味がありませんからね。

そういう勢力ってのは、もしかすると、1城だけだと非常に非効率なのかもしれません。大きな兵力を集められないか、米が余るとかたりないとか。たとえばまともに独立できる勢力は州レベルまで広がっていないといけません。太守、つまり一郡規模だと大勢力の下につくか、滅ぼされるかしやすくなります。これはやっぱり保有しうる兵力が少ないとみるべきでしょうね。で、州レベルだと、中央に大軍を置き、地方に駐屯軍を置いたとして、地方が攻められた時に中央軍がたどりつきやすい距離である、と。または、地方軍が集合して攻められた地方を防衛しやすい距離である、という感じでしょうか。前線に大軍が集結していようが、中央に大軍がいようが、その駐屯地の兵糧だけでまかなえるはずはありません。ということは数都市以上、州規模まで大きくないとまともな軍勢は扱えないのでしょう。そしてその規模になると今度は、単に取り立てた兵糧を扱う以上に、物流を考えないといけないのでしょう。李厳や淳于瓊のように、兵站の失敗で全軍が敗北することもあり、重要な仕事です。そして、時間のかかる仕事です。兵糧輸送は、納税含め、一都市への輸送が一月かかる位考えてもよいのでしょう。兵糧輸送力からも、出撃追撃もそうそう簡単にはいかないと考えるべきでしょうね。普段の内政、というか物流においても、効率的に輸送できる者もいれば、いつまでたっても届かせられない者もいるでしょう。届く量も、きっちり届ける者もいれば、途中でどうしてこんなに少なくなる…と思うくらいの者もいるでしょう。

税率についても、どうしてこんなに非効率な組織なんだ…となれば、とにかく大量に集めなければ組織維持すらできませんし、効率的な組織なら、低い税率でも十分です。そしてそれは、組織を束ねる太守の能力に関わるでしょうね。やっぱりとりあえず人事です。君主は、物流や税率や税収から太守や担当者の能力を測るべきなのかもしれません。

戦略級ゲームというよりなんだかロジスティックゲームてな感じですが(^^;実際はどうも物流しか関数がなく、その物流によって軍事力も決まり、で、その物流を決めるのが文官武将(^^;の能力であり、軍事力を効率的に利用できるのが武官武将の能力であれば、それ程外してはいないはずです。

後は普段、です。軍人は訓練、文官は、、、計算機もパソコンもないんだから、物流やら税額やら戸籍やらをひたすら手作業で竹簡に刻んだり計算したりしているんでしょう。だいたい現在の税務署だって、確定申告シーズン以外は何しているかわかりませんが、きっと忙しいはずなんです(^^;;戦争や納税なんてイベントシーズンだけ仕事しているように見えますが、イベントをうまくいくように準備したり、イベントの後の処理を延々しているはずなんです。仕事がないからと無用に建物を建てさせたりする必要はありません。おそらく十分忙しい…(^^;;

太守はどうか。武将として登場しない文官官僚の募集や監督を行ったり、人事配置を行ったりしているんでしょう。しかしどうも、社長やら取締役やら、経営者になると何をしているのか見えなくなります。けれども細かい事務はしていないはずです。そんなことを経営者がしていること自体経営者として失格でしょう。経営者がしなくてよいよう事務担当者に事務分担を決めさせるのが経営者の仕事でしょう。その事務も、経営者が経営できるだけの資料を整えさせるようなものも必要です。そういう組織化を経営者たる太守も普段の命令から行っているはずです。それは決して、収税実行とかいうような定型的なコマンドにははまりません。だいたい内政だとか治水だとかのコマンド、これは事務であって経営ではありません。太守が治水をしろ、と命じるから治水をするのではなく、治水の必要性が資料として上がってくるから太守が治水を命じるのです。ということは、太守はやみくもに治水を命じるのではなく、この郡の問題点を事務担当者に調べさせ、治水に問題があるとわかり、それを知ってから治水を命じるのです。決して思いつきで治水を行なうのが経営ではありません。

そうやって問題点をあげさせたり、わかった問題点を改善しようとすること自体、ひとつの経営能力です。非定型な様々なことを処理できる能力なので、定型的なコマンドになじまず、したがって経営者たる英雄を動かすプレイヤーのコマンドにもなじまないものです。経営能力がある武将に治められた土地は自動的にいい土地になり、そうでない者ならそれなりに(^^;;いずれにせよコマンドでどうこうするものではありません。では、プレイヤーはいらないのか( °O °;)

もちろんそれではゲームにならず(^^;;;そういった経営内政に費やす費用や、軍事費にまわす分、留保しておく分、福祉にまわす分、将来どうしていくか予算配分を行なうことがプレイヤーの思惑が生きる部分でしょう。やっぱり人事配置と予算配分が普段の仕事(^^;;プレイヤーのプレイは、戦争や外交や人事、それから予算配分を通じた内政によって天下を統一することになります。なんといっても戦略級、それで十分ではないですか?(^O^)あ、いや、十分でないと思っていたのは私ですから〜…残念!(^^;;;

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