kr_ryo 徒然日誌 <2005年3月27日分>

シヴィライゼーション体験記

いやあ、台風並の低気圧と大陸からの冬将軍で、猛烈な風と寒さの後は、あったかい春の陽気です(^o^)台風はあっついけれど、この低気圧の組み合わせは寒い台風のようです(*_*)風でぶっ飛ばされたせいか今日も花粉の攻撃は止みません。嗚呼、花粉だ…!(◎д◎)

もはやマスクしたまま仕事していても違和感のない今日この頃、年末年始猛烈に進んでいた三國志製作がストップしているような感じです(TдT)またもルールの問題で、これはうなっていてもいいアイデアは浮かばない、何か参考になるようなものは…と手を出したのが、シヴィライゼーション3です(^^;;古代から近未来にかけての6000年、自分の文明を発展させていくゲームですね。

古くからのシリーズものなのでプレイされた方も多いでしょう。ターン制で個別ユニット移動という大戦略風ゲームです。違いは、とにかく土地を改良しまくる内政と、科学の発展です。コサックスのようなリアルタイムゲームでもなく、これまたコサックスのような1つづつ動かせる部隊を1000部隊まとめて一斉突撃させるような派手さはありません。しかし、都市を建て、探検し、蛮族を蹴散らし、敵文明と交渉したり戦争したり、和平を結んだり。徐々に文明が広がり、道をつなげ、そして青銅器鉄器の発明からコンピュータや遺伝子組替技術の発明、さらにはピラミッドからアポロ計画までの世界の七不思議を建設していく、絶え間のない発展競争がこのゲームの主題です。

ターン制ゲームにありがちな、移動や改良といった同じ操作の繰り返しが多いながらも、やはり、この常に前向きに発展し、発展すれば明らかによいこと、よい軍事ユニットの生産やよい効果的な都市改良の建設ができることが、このゲームが中毒になる要素でしょうね。まあ、剣士や中世歩兵隊やライフル兵や戦車や機動歩兵といった軍事ユニットは開発に遅れれば致命傷を負いかねなく、ようやく配備が完了しても、またすぐ新しい技術に向かわなければならない、ある意味非常にしんどいゲームです(x_x)

とにかく次から次へと発展させていく上、新技術だからといってただちに圧倒はできないバランスのせいで、いつも息は抜けません。いや、平和が続いてすることがなくなるとこれはこれで退屈(^^;なれど、そう近現代にもなるとお互い大軍同士、そう簡単には戦争もできないものの、ここは宇宙船開発競争も用意されています。開発による公害で荒れた地球を脱出し、アルファケンタウリ星雲へいく船だそうです。シュールですな(~_~;)古代からプレイは続いているんだから、公害をださないプレイは当然可能です。しかしそうすると、生産力が落ち、他の文明に食い物にされかねません。必然的に開発と生産を繰り返し、発展がいきつくと公害です。核ミサイルも発射できます。廃墟となっていいことはありませんけどね(~_~;)石斧で武装した戦士で戦いながら、気がつけば空爆したり艦砲射撃したり、核を搭載してやろうかと思いつつICBMを打ち込む、シヴィライゼーションはそんなゲームです(^^;;;

生産に必要な資源が自国になく、かなり偏在しているうえ他国はそう簡単には譲ってくれない、ならば実力で…というプレイになりがちなのは私の性格でしょうか?(^^;;;政治体制も科学を発展させれば選択でき、専制から君主制、共産主義というルートがお好みだったりしますしね(^^;;A共和制から民主主義というルートもあります。コンピュータは好戦的なくせに民主主義を選択しよります。こっちは攻める気がなくても弱みを見せれば攻めてくるので、防衛のために軍事力が不可欠となり、軍事力をまかなうには君主制が一番ではあるのです(~_~;)しかし、生産力は下がります。

とにかく絶え間のない競争が続くので、気は抜けません。そして、スカっともしません(~_~;)コサックスのような、大軍を一度に突撃させて決着をつけるようなクライマックスがないからでしょう。やりはじめたところなので、すべての敵を滅ぼすとか宇宙船を開発するとか国際連合事務総長に選出されるとか、こういった最後の目的を達成できずスコアで終わるからでしょう。2050年ターンで終了なのです。びっくりしました(^^;;無理やり終わるんですねこのゲーム( °〜 °)まあ、敵に蹂躙されたりとか事務総長選挙で負けるとかもあるので、無事終わるだけましですが…

その爽快感のなさと競争疲れのせいか、さらにコサックスの平均プレイ時間の2〜3倍のせいか、とにかく長く感じます(~_~;)まあ、石器時代からはじまってるんですから、印象としても長いですわな(^^;;けれども、プレイは、はまります(^^;;そのうちパズルを解くような感覚になります。これは信長の野望全国版や大戦略でも感じたことですが、ターン制ゲームのコマ、ユニットの動かし方は、そのうちパズルのような気がしてくるのです(^^;;;

さて、これまでのプレイで三國志製作に活かすことができることは……まず、科学の発展やら七不思議やらが文明の個性を反映しないということが上げられます。エジプト文明でなくともピラミッド(しかしなぜかその効果は大陸全体に穀物庫建設というものだったりする……は!ピラミッドは倉庫だったのか?!)は建設できますし、モンゴル文明だから航海術は使えない、というようなことはありません。文明の違いは最初の所有科学と特殊ユニットが1種類あることくらいしかないのです。つまり、まったく同じ土俵である、ということです。しかし、アメリカがピラミッドを建設していたり、ローマが紫禁城を建設したり、中国がシェイクスピア劇場を建てたり、なんだが不思議な世界な気はしないでもありません(^^;;これは、呉でなくとも水軍は建設できるし、九品官人法は魏の専売特許でなく、そういった特殊な名称が単なる名称でもよい、ということです。しかし、優秀な人物を指して「彼は白眉ですな」とかいうのは、馬良が死んでからにすべきでしょうな(^^;;;

ただ、シミュレーションというよりゲームである、ということが非常な自由度を与えてくれる、とは思いました(^-^)どうもシミュレーションにこだわろうとして製作がストップしている、というようなことは以前にもお話していましたが、最近またはまってきているのもそのせいかもしれません。シヴィライゼーションの特徴は、科学の発展とともに世界で1つしか建てられない七不思議の建設競争でもあります。科学の発展はどの文明も行え、しかも文明全体で行えますが、ピラミッドや万里の長城といった七不思議は、都市単位で建設し、建設すれば他の文明は建設できなくなるのです。普通の都市改善よりもはるかに大きな効果はありますが、その性質上、実はなくとも大丈夫ではあるのです。厳密なシミュレーションであれば、ピラミッドはエジプト、万里の長城は中国でできる、とすべきなんでしょうが、早い科学発展をしている文明に対するボーナス的な意味を持たせ、競争も促し、プレイヤーの大半が手に入れたくなるような知名度であるもの、ということで、どの文明でも建設ができるようにされているのです。まさにゲーム性重視の姿勢ですね。つまり、それっぽい三國志風の事物は、なんらかのイベントやらユニットやらに表現したらよいですし、シミュレーションとしてはどうかと思ってもゲームと割り切るのがかえってよい、ということもある、ということでしょうね(@_@)

さらに、内政が非常に多岐に渡っています。科学は文明全体、都市単位で七不思議やら都市改善やら軍事ユニットを生産し、マップ上の都市の範囲の土地に、労働者ユニットを使って鉱山やら灌漑地やらを作り、道を延ばし、将来的には鉄道を延ばし、それから労働者が除去しないといけない公害も出てきます。純粋の生産は労働者が改良した土地のうち、好きな場所に都市の住民を配置するだけです。その地形や労働者の土地改良によって効果が異なってきます。そうせず娯楽や科学などの専門家にすることもできます。なんにせよ、非常にいろんなことができます。自動にもできます。やや非効率ですけどね(^^;;

まあ、何千年もの長さが対象であるので、戦争しているよりは内政している方が長いためでしょう。もちろん戦争が起こって本気で攻め滅ぼすつもりなら、百年以上かかったりします。まあ100年なんて古代なら2ターンでしかなく、ようやく近未来で100ターンなんですけどね(^^;;そう考えると、信長の野望烈風伝でもそうでしたが、ユニット移動がおかしなことになりますね。現代の輸送艦が、隣の大陸に部隊を移動させるだけで4ターン8年もかかったりすることになっています。ゲームですから〜!と言わないとどうしようもありません(^^;;これはターン制ゲームの最大の不思議でしょう(@_@)

また、内政の仕方もゲーム的であります。最終的にはあらゆる地形に鉄道が伸び、鉱山が建てられることになりますが、くねくね伸びる鉄道だらけの大陸はいかにもゲーム的すぎ、あまり好きにはなれません(~_~;)まあそれは見た目だけで、他の内政は担当張り付け&マップごと改良の組み合わせで、さすが、という感じです。本質的にマップ型ゲームなのでそれができるんです。三國志はマップ型でないので貼り付けが単なる張り付け、まさに数字だけでしかないところでまねができにくいですね(~_~;)

それから、軍事のバランス。大軍を準備したうえで最後まで後退しない心意気でかからなければ、敵を滅ぼすところまではいきつきません。科学がよほど先に進んでいなければ、同じようなユニット同士が戦うわけですから、物量を除けば互角になりやすいのです。よくある三國志のゲームでは物量よりも関羽だったりして、その意味でバランスが悪い(~_~;)しかしながら、関羽張飛趙雲がいても天下は取れなかったのは、本来彼ら武将だけではどうしようもないことを意味しています。つまり、単に戦闘で勝てても戦争には勝てないのです。しかし、戦闘の勝利が戦争の勝利を意味するルールだと、豪傑がいれば勝ち続けることになり、すぐ歴史は変わります。このバランスの悪さはルールの悪さかもしれません。それでも、関羽や典韋への思い入れがあるからこそ物語はおもしろいのであり、ゲームでいてもいなくても同じだったらかなり不評を買いそうな…(^^;;

そうそう、中盤までの劉備の不遇に対し、孫策や孫権が着実に勢力を拡大していたのは、劉備には諸葛亮を幕下にいれるまで行政力がまったくなかったからであり、孫策や孫権には張昭はじめ行政力のある人物がいたからです。行政力がないとどうなるかというと、直接劉備たちが駐屯している城以外の城は言うことを聞いてくれないということになります。つまり、目の届く範囲だけしか支配力がない、ということですね。支配地域が拡大しないせいもありますが、大軍も動かすこともできません。目が届きませんからね。結局、個人的武勇がある武将がいても、組織運営能力に欠けているところがある、というところが劉備勢の頭打ちの原因でしょう。関羽にしても麋芳達を叱り飛ばすだけで、結局うまく荊州を軍事的行政的に組織化することはできなかったため、最後は敗戦となってしまっています。相手が同じような曹仁だったから最初は強かったとは言わないように(^^;;

人を動かすのは一種の才能ですが、組織を作ればそれなりに放っておいても動きます。組織化官僚化技術の発達で、無能な管理職でも組織は動いたりします。組織化できなければ単なる烏合の衆です。劉備軍の実体はこれに近かった(^^;;孫堅もこれに近いところがあって、おかげで孫策はえらい苦労し、その苦労のために組織化できる人物をとにかく迎え入れ、死ぬにあたってもほぼつつがなく代替わりをすることができました。あれこれの事情から考えるに、孫権は本当のところ、晩節を汚しただけではなく、それをわかっていたとは思えませんね(~_~;)曹操?組織化の重要性と、組織を作れる人材集めについては一番よくわかっていたでしょうね(^^;;

組織をつくり、一から人材を登用し、はめ込んでいくということは諸葛亮は得意でした。これに対し、劉表や劉璋のように、既存の豪族組織をそのまま利用できれば、劉備より無能と言われそうな連中でもそれなりに勢力を維持できます。既存の豪族連中が味方にならなければ、孫策のようにとにかく討ち果たし、味方になってくれる連中は味方に引き入れ、新たに組織化しないといけません。袁紹戦に勝った曹操も、曹操にしては統治にやたら時間がかかったのも、なかなか組織に組み入れることができないくらい対立していたからでしょう。落ち着くまで時間がかかるため、荊州は降伏するというから行っただけ、と考えられます。

こう考えていくと、内政の本質は生産より組織化かもしれません。豪族を間にはさむと中間搾取が当然のように行われ、生産力は上がってきませんが、整備された官僚組織ができると生産増部分はそのまま収入になります。しかし人材が怪しかったり組織化が不徹底だと、あっさり腐った官僚組織になる……うーん、だんだん面白くなってきましたが、あれ、今回はシヴィライゼーション3体験記でなかったか…?(^^;;;

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