kr_ryo 徒然日誌 <2005年5月22日分>

三國志製作記100〜役割の役割〜

とうとうこの三國志製作記、皆さまのおかげをもちまして100回を迎えてしまいました(^O^)……って、あんまり喜ぶべき状況ではないですね(~_~;)多分SWG2製作記ならこんなにかからなかったと思います(^^;その辺がやはり三國志の奥深いところ……、いや、難しいところでしょう(~_~;)

SWG2につながるアイデアならどんどん思い浮かぶところではあり、自由に表現もできるんですけども、三國志の場合、どうしたらより原作に近くなるか、雰囲気を再現できるか、ということに重点があり、どうしても自由には作れなくなります。もちろん、雰囲気が明確な分モデル化は容易であるんですけども、わからないところはどうしてもわからない(~_~;)わからないところを無理に表現しようとすると、わかったようなわからないような内容になります。大koeiの三國志だって、「中郎将」が重要な役職としてそれだけ特別に登場するような版があります。中郎将って、校尉の並びの、師団長クラス、将軍より下位のはずなのに…?

逆に、物語にはない部分はやっぱり登場しない、という方法もとり得ます。そうすると文官なんて何をしているのかまったくわからない。本来漢の制度は、中央集権制で、中央軍以外はまともな軍団は存在しません。だからほとんどの有能な人材は文官になるわけで、武官の身分は非常に低い。これが三國志の物語にによると、武将ばっかり登場して活躍しているように見えます。しかしながらベースはやはり儒教に基づく文官優位であって、張飛が劉巴に馬鹿にされたり、李典が必死に勉強したりするわけです。それなのに文官がまったく何もしない、弱い武将としてしか意味がないとすると、反三国志のような世界が出現するわけです(‥;)

だからといって、内政をさせるためだけに初期状態は内政値がぼろぼろというようなkoei風ゲームにしてしまうと、今度はひたすら内政ばかりすることになります。内政ができさえすれば、後はそれをベースに侵略を繰り返せばいいだけで、他国より早く大きく内政できれば済む、ということになり、とにかく最初は 内政ばかりするゲームになります。システムがゲームの進行を大きく左右するというところですね。

後漢末三国時代は、後の西晋東晋時代の貴族制荘園制に向けて、古代帝国制末期、古代市民没落期と見ることができます。国家が皇帝−官僚−市民という3段階から、皇帝&貴族−荘園奴隷という2段階になる時期で、没落した市民が奴隷になり、官僚が貴族になり、強大な皇帝が一貴族並になる時代です。デフレが原因で多数の市民が没落した結果、巨大な市民世界が縮小し、経済圏が荘園という小さな世界で完結します。隋の統一までひたすら分裂が続くのも、荘園の集合である国家においては、巨大帝国の必要性がないからでしょう。放っておけば民力がどんどん落ちていく時代であり、不景気が国家の質まで変えていく、その変わり目の時期でした。

こういう時代においては、経済圏を広げず、自己完結する経済圏を組織することが生き残るために必要でした。まわりも不景気なんだから、商品性の高い製品を作っても売れないし、買ってくることもできないので必需品を自分で生産しなければならない、ということになります。小生活圏である荘園による自給自足経済化です。どちらにせよ小生活圏であるため、勢力ごとに分断されてもそれ程問題がなかったのかもしれません。そういう時代です。

そういう時代ですから、官僚的文官よりは、領主的文官の方がより実情にあっているんでしょうね。皇帝一極集中性よりは、独自の経済圏を構築する、と。ただ、そうするとますます兵力にせよ経済力にせよ、豪族領主に力が移っていきます。中央集権を指向した魏よりも、その中で大貴族となった司馬家が勢力を持つわけです。その晋も、巨大化して分裂を繰り返すことになりますが…こう考えていくと、中央があれやこれやと指示を出して一律に地方を変えていくのではなく、地方が勝手に大きくならなければなりません。やはり、任せっきりが正しい感じですね。中央が口を出して一律に行動させようと思えば思うほど、それに対応できる市民が存在せず、ますます市民が疲弊していく、と。これに対応するには、豪族を懐柔して味方に取り付けていくことが必要だけれども、そうするとますます中央の一律的手法と乖離していく、と。

目的は統一、いわば中央集権化なのに、方法としては地方は地方で勝手に独自に運営しなければならないところにこの時代の複雑さがあります。民は疲弊しているのに、中央が一律にさせようとするからこそ、ますます疲弊して離反する、と。勢力が力を持とうとするならば、豪族を味方に取り入れなければならないが、そうやって豪族が力を持てば持つほど、勢力と豪族の差が小さくなっていく、ということになります。呉にせよ魏にせよ、だんだん寄せ集め風になっていくのはそのためです。

さてさて、そんな時代認識の中での三國志の武将たちの役割(^^;;一義的には当然武将、兵を率いて戦う者どもです。ただ、その兵はどこから集めてくるのかというと、義勇兵だけでは足りないのは当然で(^^;;かといって市民からの徴兵でも足りません。むしろ市民はそれでなくとも疲弊して数も足りず、農作業すらできなくなっているのに、徴兵なんぞしたらますます落ちぶれます。じゃあどうするか。豪族を糾合して部隊に参加してもらうのです。豪族といっても田舎侍などではなく、当時は官僚も輩出する地方の名家です。名家であるがゆえに、武将中心で印象の悪い傭兵団としかみなされなかった劉備一家に付く豪族が少なかったのでしょう。麋竺や伊籍がむしろ変わり者で、そのため劉備一家の兵は常に少ない。市民からの義勇兵しか募らなかったからとはいいつつ、実際は大勢力の豪族の味方が少ないと見るべきです。兵が増えるのは、諸葛亮が参加して、地方の名家豪族を味方に引き入れてからです。

となると、武将も単に君主から兵を借りて率いるだけでなく、自ら領主として経営する領地から兵を準備しないといけないのです。李典なんかはもともとの自領の兵を数万も集めることができたそうです。他にも、武将として登場する人物は豪族出身で自前の兵を用意できていた者が多かったようです。しかしそんなことまでシミュレートすると複雑すぎるわりにおもしろくない(~_~;)無能だけれども率いる兵が多い、で、兵を取り上げることはできない、というわけですから…!しかし、有能な人物の割には常に戦場に登場できなかったり、無能なくせに大軍を持っていたりするのは、出自が兵を調達できる豪族か、槍一筋の武辺者か、というところにあるようです。はっきりそうは書かれてませんが…

兵をつれて来れるというだけで登場する武将もいれば、手柄をたてて領地をもらい、そこから兵を調達する武将もいます。荘園制封建制はすぐそこですね。後漢末の市民兵時代と、三国時代の貴族の手兵時代とを同じシステムで準備するから、おかしな、というか、史実と同じにならないんですね(@_@)勢力が拡大したからといって、すぐには領土として使えないんです。城を落としただけでは足りず、地元の豪族を、こちらに有利になるよう味方につけていかねばなりません。それが内政といやあ内政になります(@_@)農作業するよりむしろ政治ですな。

こういう感じをゲームとして表現するとなると、うーん、自動でさせた方がよろしいでしょう(~_~;)単なる制度変更やら農作業やら町の価値を上げるやらではなく、いかに豪族の支持を、勢力にとって有利になるよう集めるかということは、政治交渉であって、中央の君主がとやかくいってどうなるかというものではありません。もちろん地域トップの太守の能力は高いことも必要ですが、劉備に対する諸葛亮のように、太守に付ける文官の能力と家柄はやっぱり重要になる、と。

文官は一人でもやっていけますが、問題は武官です。太守付きの武官は、訓練だけでなく、地元でじわりじわりと兵を集めるようなことをすることになるんでしょうけども、軍団付きの武官はどうか。そもそも軍団自体、どうやって兵を集めるか。これは、各地で集められた兵を中央に集め、軍団として編成することになるんでしょうね。もはや市民兵を大量動員できる時代でもないので、ある場所に細々集めるという感じになるんでしょうか。各地の部隊を集合させることで軍団を形成する、と。

こう考えていくと、やはり各武将は、ありきたりながら各地や中央の武官文官と分かれ、特に選んだ人物を太守や将軍にしていくことになるのでしょうね。ありきたりながら……けれどもありきたりだからこそ、正しいのかもしれません。もうちょっと役割を細かく、実際の職制に合わせたりしたいとこれまで考えてきましたが、細かくすればするほど、その役割の重要性が薄れてくるんですよね。征西将軍、左将軍、牙門将軍、校尉…などと何段階も分かれさせたとしても、結局武将が足りなければ全部最上位に張り付いてしまうわけで、わざわざ権限が少なくすることも少なくなる下位につけることはしなくなり、結局意味がなくなるんではないか、と感じていました。それぞれに意味があればともかく、ポスト不足のためにポストを増やしたというのが実際だったようで、ポストよりも武将数が少ない逆の状態でのゲームでは、より一層意味がなくなります。

また逆に、文官も武将として、武官も民生を行うなど、武官も文官もなく同じ立場で働いていたのではないか、とも考えていたのですが、こうやってあれこれ考えてみるとやっぱり文官は文官、武官は武官で、戦時など特別なことでも無い限り文官は兵を率いることなどしないし、率いたとしても兵が兵を率いるよりは指導者としてまし、というレベルだったのではないか、という感じもしました。それであっても、1人だけの将軍が5万を率いるより、1人の将軍と10人の部隊長が3000ずつ率いる3万の軍団の方が、うち5人は文官であってもより強いんじゃないか、という気はします。そういう意味ではむしろ武官文官という区分けだけでも、多ければ多いだけ使えるという感じです。

けれども、ただ多ければ多いほどよい、というわけでもなく、船頭が多ければ船も山に登るのたとえのとおり、適正規模というものもありそうです。その辺のバランスも考えつつ、いたずらに複雑な役職を考えるんではなく、大koei様もそうしていたように、武官文官の区別だけでも十分意味があるんじゃないか、これで一回考え直してみるのもいい気がしてきました(^-^)100回にしてスタートに戻ったような感じですけども、100回にしてようやくわかることもある、というところでしょうか(^^;;;

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