kr_ryo 徒然日誌 <2005年5月29日分>

SWG2製作記

え!?( ̄□ ̄;)と驚かれた方、やった!\(^O^)/と喜ばれた方、気づかれなかった方(TдT)いろいろだと思いますが、SWG2製作記、本邦初登場です(^O^)三國志製作記も第100回を数え、一区切りついたのでもうやめようかと……(☆_@;)☆\(`-´メ)o

いやはや(^^;;100回も連載してやめ、っちゅうことにはなりませんけども、ちょっとあんまり煮詰まりすぎなので気分転換にSWG2の方も考えてみようかと(^^;;;最近日曜プログラマーというより日曜三國志製作記執筆者と化してしまっていて、そのくせ全然進まないのでプログラム技能がすっかり錆びついてきた感じもしますし、できやすい方から手をつけるのもいいかもしれない、と思いもする今日この頃(^^;;;けれども本格的にSWG2を作るとなると完全に三國志製作は止まるので、今回はやっぱり気分転換に留めた方がよさそうですね(^^;;のっちゃってしまうとどうなるかわかりませんが…(^^;;;

さて、SWG2。最近銀河英雄伝説を読み返しはじめてみました(^-^)1巻の印象だけが非常に強い、ということはさることながら、やっぱりキャラがたっています。閉塞した時代を変革するラインハルトと、体制に反感を感じながらその体制擁護に全力を傾けることになるヤン、これをそのままゲーム化すると、いかにも三国志と同じことになりそうな気がします(^^;;つまり、定型コマンドを超える彼らの印象的な行動が実現できず、かといってイベントではゲームにならず、ある程度の連中ならできてしまうなら普通の行動になってしまう、ということです。

つらつら気づいているように、三國志でも、モデルとする時期のモデルとする君主の行動を定型コマンドにしてしまうと、ゲームの全部の時代に通用しないのです。たとえば呂布とちゃんばらってる時期の曹操をモデルとすると、三国時代は全然違うコマンドシステムが必要ですし、三国時代をモデルとすると群雄割拠時代は不自由極まりない。かといって、AoEのようにあっさり時代を変えてしまうような明確な基準もありません。所有城を基準にしたりすると、どう考えても中盤の劉備は荊州の土になるでしょうし…

は、SWG2でした(^^;;SWG1があっさり開発に成功したのは、そういう原作に対するこだわりがないところにあるんでしょうね(^^;;物語になりやすい、おもしろいお話は今までと違うことをする人の話です。信長にせよ三国志にせよ銀英伝にせよ、時代の変革期であり、山あり谷ありで一方的にならなかったからおもしろいのです。平家物語にせよ太平記にせよ、一方的すぎるかあんまり今までと変わらないかがややイマイチなところです。楚漢時代もそうですね。

で、変わったことをする、ということ自体が定型コマンドになじみにくく、一方的でない、ということ自体が、相手も変わったこと、定型コマンドにない対応をしてくる、ということなのです。もちろん物語では今までどおりのことをする人もいてるんですけど、変わったこと、新方式が有効なのがわかっていて、あえて今までどおりのやり方のコマンドを、そやつが旧来型の将だからということで実施するプレイヤーはいませんよね(~_~;)だからといって原作どおりの人物しか有効な新型方式をとれない、とすると、あまりに一方的すぎてゲームになりません(*_*)他の連中はいらない、というのと同じですからね…

そういう新しいことをすることなどが原作は原作でおもしろいんですけども、それをゲームでどう表現するか、ということが難しい(*_*)時代を変えるような人物の新方式は、それによって明らかに時代を変えてしまっており、先行者利益をどんどん享受して、うまくいけば天下を取れるわけです。その新方式を思いつくのが、主役だからなのか、時代の要請でたまたまその者だったのかが問題として出てくるのです。電話はエジソンも発明していたけれども、単に物理的に後1歩遅かっただけなのです。しかし信長以外に天下全部を武力統一することを考えた武将がいたかどうか…?

三国志でも、曹操は漢の改革を考えていたわけであって、だからこそ当然皇帝を迎え入れる余地は大きかったのです。袁紹がやっかいな…と考えていたのと対照的で、信長が足利将軍を利用するために迎え入れたのに対し、朝倉がやっかいな…と考えていたのとそっくりです。曹操や信長が朝廷を利用するにせよ改革するにせよ、迎え入れてうまく使ったのと同様のことを、袁紹や朝倉ができたかどうか、これをじーっくり考えるのがシミュレーションです。けど、できる、としないとゲームにならないんですよね(~_~;)ただ、誰でもできる、としてしまうと、キャラが立たない(T-T)ここが難しいところなんです。歴史の必然だったのか、個性によるものであったか、また、こういう内容はあまりありすぎるとやっぱりゲームにならなくイベント追いになってしまいますし、なければなかったでシミュレーションじゃあなくなります。

原作のないSWGは、そういうことを一切考えなくてよいのがメリットであり、原作に引き寄せられる人が少ないというデメリットがあります。仮に「SWG2〜銀河英雄伝説〜」というゲームを作ってみれば、多分ダウンロードする人はめちゃくちゃ増えるでしょうが(^^;;三國志同様開発できるかどうか非常に怪しくなります(~_~;)まず、実質2国しか登場しません。余程でない限り一方的にはなりませんが、イゼルローンをヤンの手法で攻略しなければ、多分話は進みません。大侵攻作戦にせよクーデターにせよ、ああいう物語なのです。物語としてはダイナミックでおもしろいですが、あれ以上のストーリーが、そういうイベントを作らない限りゲームでは再現できません。もちろんボーテックの銀英伝4はあいかわらず名作と思っていますが、逆にあれ以上の戦略級のゲームは作れず、その後戦術級の銀英伝ばかり登場しているようです。個々の戦場だけが問題で、変わった作戦ができないからでしょうか?私が作ったとしてもイベントがなければ、戦略としては物語以下の、たとえば叩き合いだとか、にらみ合いだとかばかりになります。しかも同盟なんてイゼルローンの先に進めないんですから、ラインハルトが登場するしないにかかわらず異常に不利だと思うんですけど…(^^;;

で、そういう新作戦やらイベントの対象提督を、原作どおりに属人的にしてしまうと、起きる確率は少なくとも、起きたとしたら誰がどうやっても同じストーリーになりますし(信長の野望で本能寺の変イベントを出すようなもんです)、イベント内容は同じだが対象提督が違う(たとえばヤンがクーデターを起こしたりするわけです)と、特徴的なイベントは必ず起きるわけですから、これまた同じ筋になることは同じです。結局ストーリーに乗せたわけで物語の雰囲気は味わえるものの戦略などの自由度は下がります。とはいえクーデターは実は銀英伝4ではコマンドとして存在しますし(^^;;三國志でもそれに近いイベントがあればおもしろい…皇帝を手に入れるくらいでしょうか?意外とダイナミックではないですね〜あ、いや、裏切り反乱が日常茶飯事なので気づかないだけですね(^^;;ゲーム上も頻繁に配下の反乱裏切りが起きると、身内や義兄弟しか信用できない!とか猜疑心の固まりになれるでしょう…なんかちとひどすぎますが(--;)そうそう赤壁の戦い、けれどもあれをイベントにすればあまりにひどすぎますな(^^;;

SWG2製作記といいつつやっぱり三國志製作記ぽいですが(^^;;話を元に戻すと、原作に引っ張られないだけの自由度はあるので、コマンドやイベントなどを自由に作ることができる反面、モデルが無いのでどうやっていいのかわかりにくい、という面もあります。さらにたいていの原作のないゲームって、設定が異常だったりこじつけだったりして妙なことが多いです(~_~;)SWGも、なんであんなに戦乱が起きるのかイマイチはっきりしません。一番はっきりしないのは艦数上限でしょうか(^^;;あれはプログラム上の限界なので、Delphi&オブジェクト指向で開発すれば多分問題ありません(^-^)

とはいえ、銀英伝風何万隻規模の艦隊というのは…いくら雰囲気は必要といえども、必然性がないんですよ。同盟は1万数千隻が1艦隊の基本ですけど、帝国のそれははっきりしていません。一番最初、アスターテ会戦の際にラインハルトが率いた艦隊は2万隻あまりで、それなのに5人も提督クラスを連れていました。逆にその後のキルヒアイスは基本的に数万隻の艦隊を率いています。何が言いたいかというと、あれ程提督のレベルによって戦闘が左右されるなら、優秀な提督の1艦隊に10万隻程率いさせればいいのです。ゲームでは上限がありますが、これはこれでおかしいですよね?三國志でもそうですけど、武将の質によって勝敗があまりに左右されるなら、優秀な人物だけに兵力を集中させるのが正しいのです。ところがそれをするとバランスが悪くなります。ヤンだけ活躍することになりますね。とはいえ、1万数千隻はOKで5万隻はだめということにはならないような気がしませんか?ヤンにせよ結局数万隻率いることになっていますが、それまで1艦隊1万数千隻から数千隻程度だったのは提督が余っていてポストが不足していたからであって、提督が戦死し続けると1人数万隻も率いることになる、という感じが正しいのでしょう。つまり、数万隻であっても率いることができるのです。できるのであれば、バランスを取るためゲームではできない理由を考えないといけませんが…それは40数隻の生産上限の話とそれ程大差がない(~_~;)

こう考えると、1万隻だろうが数万隻だろうがそれ程差がない。しかしこれは結局物語がそうであったように、万隻単位であることの理由がまったくないからなんです。各艦の顔が見えないんですよね。銀英伝はナポレオン戦争がモデルであるように、兵2万というのと2万隻というのがほとんど同じなんです。1人1人の兵の顔など知らん、というまさに「西部戦線異常なし」の世界です。ところが第2次大戦ものファン宇宙戦艦ヤマトファンだと、やや物足りない……兵はともかく各艦の個性が全然ないのはつまらない(~_~;)

実際銀英伝のゲームは、SWGもそうですけど、艦の個性はありません。艦種、たとえば戦艦と高速戦艦の違いはあっても、戦艦の艦型の違いはありません。みんな同じ戦艦です。そうするなら10隻でも1万隻でも同じです。個性があるわけではないですからね。せいぜい旗艦が違うだけで、それだって万隻単位であるなら孤艦の多少の性能の違いはほとんど意味がありません。そういう意味では、SWGは万隻単位であってもよい気はします。

ところが、防空駆逐艦だとか次発装填の有無だとか34ノットか36ノットだとか細かい差異にこだわりを持ちたい人には、万隻単位だとわけがわからなくなる(^^;;というか、どうでもいい差異になってしまいます(T-T)逆に、万隻単位だと艦に個性は持たせられません。管理もできませんし、邪魔臭いだけです(~_~;)それよりも、銀英伝4の時不思議だったのが、駆逐艦だとか巡航艦だとか、戦艦より弱い艦種の存在意義が全然ないんです。ほとんど差がなく同じ数作れるなら、強い方に集中したらいいわけで、戦艦1万隻でいいでしょう?そう考えると、今度は宇宙戦争ゲームなのに、三國志同様兵1万というのが戦艦1万になっているだけなのです。城が星になっているだけ?(^^;;

この点SWGは生産上限があるため、ミサイル艦などに存在意義がまだありましたけども、生産上限もない、万隻単位の生産、ということなら、余程財政が危機的状況だったり緊急でもない限り、最強艦種だけ生産することになります。個性がないんですから、わざわざ弱い艦種なんて作らないんです。

しかし各艦の違いやそれぞれの艦というものに愛着がわくと、やっぱり万隻単位のゲームはとりづらい(~_~;)艦種の差異や技術開発、艦設計なんて要素を取り入れようとするならなおさらです。ガンダムやザクだって数機だから個性があるんであって、ザク数万機、ドム数万機だったら個性もへったくれもない(~_~;)ジムはそういうタイプの機種だから、あんまり人気がないんじゃあないですか?

ということで、異論は有ろうかと思いますが、海の男宇宙の男には数万隻は似合わないという妙な理屈でやっぱり数隻単位にしたいです(^^;;そのかわり、艦種は柔軟に設計できることとし、石油じゃあないですけど資源がなけりゃあ作れないし動けないということで上限が自動的に設けられるようにしましょう。ただ、結構艦種設計って邪魔くさいとは思います(~_~;)常に設計し続けるというよりは、選択性にしたり、オプションをつけるかどうか、という方がやりやすいでしょうね。これは私がバイキングより定食が好きなことに微妙に影響されているかもしれませんが(^^;;;

こうやって艦種に特徴が出てくると、だんだん戦術よりは艦の性能の方が重要になってきます。大和級戦艦と会戦すれば、たいていの戦艦は不利でしょう。コサックスでもそうでしたが、新型巡航艦は旧型戦艦より強力なのです。技術も兵力も似たような感じの場合は、指揮官の能力によるのです。銀英伝では、技術が同じということが前提に在るため、指揮官の能力が非常に重要になる、という記述がありましたね。ここは微妙なところですが、艦に個性が有れば提督登場の必要性が……(~_~;)

と、第1回(^^;;;のわりにながくなってきました(^^;;;まだまだ検討すべきところは多いながら、あっさり決まりそうです(^-^)この辺が三國志と違うところ(~_~;)次回は多分三國志製作記の復活、といくはずですが、どないでしょう?SWG2の方がおもしろくて早くできたりして…(;^_^A

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