kr_ryo 徒然日誌 <2005年6月12日分>

三國志製作記102〜戦略的失敗〜

いやあさっそく梅雨入り、むしむししていますが、雨はまだちょびっと、これから暑くむしっとする季節が到来しますねぇ〜(~_~;)

さて、前回戦略的行動についてのお話をしました。koeiの名作三國志シリーズに十三分に影響されている私としては、それが基準となりつつ、けれどもそれから抜け出した新味あるゲームを製作したいところ(^^;;で、その影響の最たるものは、なんといっても毎ターンのコマンドです。やっぱりねぇ〜、毎ターンコマンド実行して、土地が、街が豊かになっていくのを見るのが楽しいんですよねえ〜(^^;;

とはいえ、これまでいろいろいろ考えてきたように、内政値向上は太守の仕事ならともかく君主の仕事ではありません。君主が1太守レベルならともかく、それだって直接常に自分が武将に指示するならば、なんのために武将がいるんだ、という話にしかなりません。武将が有効、もしくはイマイチとはいえ、単なる道具ではないとするならば、武将は役割に応じて自分で行動しているはずです。

そのため、基本的に英雄は各武将に役割を振り割ることで内政は終わりになるはずです。koei風ゲームの影響下にある私にとっては、非常に、ひじょーに残念なことながら(~_~;)そして毎ターンにすることは、治水度向上とかではなく、戦略的行動であるべきなのです。要するに、常に失敗せず、大なり小なり数値が向上するようなものではなく、常に失敗の可能性がある行動です。とはいえ、そんな行動がどれだけあるか?

SWGでは内政すら失敗しますが(^^;さすがに艦隊移動は失敗しません。そのうちあれも失敗するようにすると面白いかもしれません(^^;;Aけれども、ユーザーに責めのない失敗は納得がいかない、という声も多くあります。つまり、単なる運であって、避けることができないからでしょう。とはいえ、2つの部分で必ずしも運だけではないんですけど、そこは内緒です(^^;;;まあ、絶対内政したい人にとっては、わけもなく失敗するのは納得がいかない、ということはよくわかります。

ということは、失敗する内容に関しては、失敗する原因があり、その原因は除去できるものである必要がある、ということがわかります。まあ、だからといってなんでもかんでも原因除去すれば成功するわけでもなく、失敗原因だけでなく成功する理由がなければならない、ということでもありうるでしょう。そしてそんな大層な内容を毎ターンやっているかというと……戦争以外そんなに大層なことはしてないんじゃないでしょうか?(~_~;)

何度も取り上げていますが、三国動乱というゲームの作者さんは、この手のシミュレーションゲームが君主ではなく軍師の仕事をしていると述べています。まさにそのとおりで、あらゆる面について気を配り、指示を出す、それは軍師の仕事です。諸葛亮や水滸伝の呉用ですね。で、劉備や宋江はというと、のんびりしているように見える(^^;陳舜臣版三国志だと、劉備は諸葛亮が来るまで自分が軍師兼君主でやたら苦労している、ということになっています。曹操はまさにそれなんで、劉備だけが大変なわけではないでしょうけども(^^;;軍師の仕事は種々雑多なだけに、それがkoei版ゲームは軍師をシミュレーションするゲームといっても間違いない位でしょう。で、その種々雑多を取り除いたゲームは…ほとんどすることがなくなってしまう(~_~;)

結局それがゲームとして成り立つかどうか不安な面があるんでしょうねえ。しかし、内政面はほとんど操作できず、生産面も怪しく、人材配置と作戦計画だけがメインの銀英伝4はそれだけでも非常におもしろい(^-^)うーむ、何が問題なのか…?銀英伝4と三国志ゲームの大きな違い、それは銀英伝4が最初から複数の星系を有する国家が前提であるのに対して、三国志は最初は都市が1つ2つで、それがどこまでいっても都市の集まりでしかない、というところにその差がありそうです。つまり、システムとして、個々の星系全体とは別に国家があるか、個々の都市の集合でしかないか、というところに大きな違いがありましょう。そういえば初代三國志以来、都市ごとにコマンドを実行していましたよね。銀英伝4はもちろんそんなことはしていません。個々の星系は個々の星系です。敵に占領されれば腹がたちますが(^^;だからといってコマンド回数が減るわけではありません。要するに、都市単位のコマンド体系だから、戦略的行動というよりは内政に特化しがちになる、と考えてよいかもしれません。

都市単位でなければ都市の個性がなくなる、とも考えられますが、都市単位だって結局最大値まで数値を上げるだけにとどまり、別段個性が発揮されているわけでもないことは、これまでプレイしたゲームで結構経験済みです(~_~;)むしろ、広く戦略的に見た方が、この都市は捨てよう、この都市は生産地、この都市は防御に徹すると大きく個性をとらえて見ることができそうです。それよりむしろ、個性とは、他にない、という面でとらえるべきであって、同じものが他にあるなら個性はないに等しいでしょう。そして他にない、という以上、数値で表現されるものは個性ではありません。

都市ごとに行うコマンドでない、このことから戦略的行動はとらえることができそうです。コマンドも、都市の内政、ではなく、屯田をこの都市に実施、という内容になるのです。内政は各武将に任せているからこそ、いちいち指示する必要がなくなります。武将が足りなくなったらどうするか、という問題はありますが…(‥;)たとえ1都市しかなくたって、たいていは1都市以上所有しているわけですから、都市を超えた勢力としてのコマンドだけが必要になってきます。どこで兵を調達し、どこに兵を駐屯させ……軍事ばかりになりますな(-_-)

なんだかんだいってこの手のシミュレーションゲームでの目的は天下統一であって、軍事が中心になるのは当たり前のことです。なんだか常に内政ばかりしているような気になるのは、そういうコマンド体系だからであって、本当は相次ぐ戦争、というのが真の姿でしょう。曹操もいろいろ内政面での改革を行ったでしょうが、その最大のものは屯田であって、やっぱり軍事的です。要するに、民が逃げ出して荒れ果てた土地に、国が兵や、半強制的か自主的にか逃げた民を集め、貨幣納税の代わりに現物納税をさせたということです。天下を統一するまでは軍事国家的色彩は薄まることはないでしょう。逆に、天下統一によってあっと言う間に軍事軽視となり、内乱と異民族の侵攻を招くというのは歴史の皮肉ですが…

銀英伝4でも、コマンドのメインは作戦計画と作戦です。銀英伝シリーズは4以降は戦場での作戦ばかりになるので、そういう意味では作戦計画とかは実際の作戦のおまけのようにも見えますし、どこまでいっても艦隊がゲームの中心です。艦隊が単なるまとまりであるSWGでもかなりその面は強いでしょう。そういう目から見れば、三国志のゲームでは、軍事面も都市単位、と見えます。都市にくっついている武将と兵、という感じですね。第3艦隊というまとまりではなく、建業軍という感じです。そうだったのか、というと、必ずしもそうではないはずです。もちろん太守の軍ならばその都市の守備を目的としているわけですけども、そうではない、単に都市には駐屯しているだけの機動軍もあるわけです。諸葛亮の北伐軍はそれだけで独立単位ですし、曹操の軍団は主として侵攻のための軍団です。都市とは別の軍団という単位を考える、ということは常々考えていましたが、勢力というレベルでコマンドを考えるならば、都市が機動の単位でなく、軍団が機動の単位ですね。勢力と軍団が都市を足掛かりにしている、という感じでしょうか。

そうそう、コマンドにせよ軍事面にせよ都市単位であるがゆえに、常に前線都市に軍団が張り付く、という問題があります。これは、都市が弱すぎるという面もありますね。だいたい敵が大挙して攻めてきているのに、城下まで押し寄せて来るまで援軍を呼べない(それどころか、まったく呼べないゲームもある)ということも不自然です。いくらなんでも途中で気づくでしょうし、気づけば援軍をとっとと呼べばいいのです。援軍を待っている間持ちこたえられたら勝ちで、援軍がこないと士気を失って負ける、それが守城戦の普通の形のはずです。常に大軍が駐屯していなければあっと言う間に負ける、というのは、いくらなんでもシミュレーションからはずれすぎと思えます。そう考えると、守備隊レベルはともかく、前線全部に大軍が常にいること自体無茶な話で、そんな大軍を支えるための強力な内政をこしらえるのも無茶な話です。数城で数万の一軍を維持できるのが関の山でしょうか。

と、まあ、いろいろ考えて来ましたが、戦略的行動はやっぱり軍事外交に如かず、しかもそれですべてであって、ややこしい種々コマンドはそんなに必要でない気がしてきました(^^ゞだいたいSWGだってほとんど生産と戦争だけでなりたってますし、武将がいるからといって本質的にはそれ程変わらないんじゃないか、もちろん優秀な武将がいればそれだけ領地経営はやりやすい…いや、いなきゃできないという位で、自分がなんでもやればいいってもんじゃない、武将にあれこれ個別に命令しない分だけ、かえって武将の個性が生きる気もしてきました。ふむ、とりあえずできそうな感じがしてきましたよ〜(^O^)

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