いやあ、梅雨だというのにこちらはまさに空梅雨、雨が降らないでさっそく水不足が心配されるようになってしまいました(~_~;)うっとおしい雨もまったく降らないと恋しくなるもんで(^^;我が部屋はもう34度を突破、からっとした暑さはまるで真夏です…!(^^;;これだけ雨が降らないと、仙人でも呼んで雨乞いさせるべきですが、そうすると悲劇がおきかねませんね(--;
さてさて。前回再勉強したオブジェクト指向に基づき、再びプログラム製作にいそしもうと……あれれえ?(~_~;)やっぱり何かうまくできません(TдT)どうもこれは、オブジェクト図がどうとかというより、100ウン回も製作記を続けてきたのに、三國志のゲームとしての仕様があいもかわらずイマイチはっきりしません。仕様がはっきりしないから、オブジェクト図もきちんと描けないと考えられます。
これは一体何が原因なんだろう…と、よくよく考えても、いい考えが浮かびません。まず、前回最後にちろっとお話したように、身分もオブジェクトとしてつくってみます。城ー太守身分−武将という風に、身分が城と武将とを結びつけるものである、と考えていくと、じゃあ、州と刺史、重臣、英雄…という風に身分は思い浮かぶのですが、で、さて、それで?ということになります。州や、重臣率いる中央政府、英雄の補佐である側近…と、いろいろ考えるんですけども、城と勢力以外に州や中央政府というような中間団体が本当にいるのか、だんだん自信がなくなってきました(~_~;)中間組織の必要性が、現実にはいるのにゲームではなぜか必要ないのです。なぜでしょうか?
歴史上も、もともと郡が基本ベースであって、太守が皇帝の直属でした。本来州なんて日本で言うところの南海道とか北陸道くらいの意味しかありません。州刺史が監察から始まり、行政力軍事力を持つことになるのは、中央政府の政治力が衰え、郡以上国未満の広域圏行政が必要になってきたからです。とすると、州サイズの群雄勢力にとって、州という組織が勢力とは別に存在させる必然性がそれほどありません。また、プレイヤー様(^^;がいているのに、コンピュータが補佐するような事項はそれ程多くありません。勢力内の中央政府自体、ゲーム中でどこまですることがあるのか疑問です。
そもそも、基礎ベースである郡城を超えるような組織体はどうして必要なのでしょう?また、郡城以下の、県城はどうして作らないのでしょう……と、つらつら考えると、要するに中間団体とは武将置き場なんですよね(~_~;)どういうことかというと、たとえば現在の会社でも、管理職のポストが無駄に(^^;;作られているのは処遇改善のためなのです。1郡城のみ領する英雄が、城をどんどん攻め滅ぼし、太守を置いていきます。その後州レベルになり、国レベルになります。それなのに功績ある重臣武将も、役職は付けるとすれば太守レベル、関羽と黄忠ではないですけど、新参と譜代が同じ扱いでは、あまりにしょぼすぎる、と(--;)
そのため、功績ある武将と新参との差をつけさせるがため、なんなりと組織をこしらえ、〜長、〜大臣という肩書をつけたくなる、と。私だけかもしれませんが、いつまでたっても、新参も古参も同じようにみんなヒラ武将扱いでは関羽も浮かばれないじゃあないですか(^^;;かといって、功績に応じて身分を上げ、それによって率いる兵数を変えるというのも、よくあるパターンなのでパクリにまではいかないまでも(^^;なんでその身分ならその兵数か、ということが、はっきりしません。
んんん、つまりですね、武将に高位の身分を与えるために、名前だけでなく、高位の身分が意味のある、ふさわしい組織をつくる、そしてその組織に意味を持たせるために、組織に与える権限やらコマンドを考える……どうやら答えがわかったようです。武将に与える身分のために組織をつくり、その組織が意味を持つためにシステムを考える……なんだか本末転倒(~_~;)ところで武将に与える身分、これがどうして必要なのかというと、先程も出たように、新参と古参の差をつけたり、褒美の代わりとするためです。それよりも……それよりも………!!!
そうです、武将に違いを与えるため、いや、もっというと個性を表現するために身分や組織を作りたくなったと考えられます。んんん!武将に個性を与えるための身分〜?なんだか必要性が非常に怪しくなってきました(~_~;)そもそも、そういう組織における役割や身分で生じる個性なんて、どういう意味があるんでしょうか?当初、張飛が軍団にいればきちんと兵を鍛え、文官におけば仕事をしない、そういう感じでしたよね。そしてそれは、うまくいかないことがあることが前提で、どっちにせよそこそこ働く者ならば、結局文官扱いだろうが武官扱いだろうがきちんと働きます。できそこないなら、どこにどう置こうができそこないです。
ううむ、なんだか、確かにわが三國志、武将に個性を持たせようとして製作が遅れてきたような気がしてきました(~_~;)無個性が前提のSWG2が楽につくれるような気がするのに、三國志はどれだけ考えてもあーだこーだレベルなのは、物語世界や物語にない世界をつくろうとし、武将達の扱いを非常に大きく重くしようとし、それによって個性を表そうとしているから、先に進まないのではないか?(x_x)オブジェクト図でも武将が中心です。武将が何かする、武将が何かになる、だからこそ、英雄=プレイヤーのするコマンドは、武将をどの役割につけるかということが重要、というよりそればかりになる、という話になるのです。
本来個性的な武将とは、提言したり勝手に先陣争いをしたりする、自分で動く連中のことです。あれだけ長く登場し、あれだけ大活躍しているのに、多分魏延より印象が薄い趙雲(~_~;)は、自分勝手でなかったからです。神様関羽だって、(いわば自分勝手に)曹操の元を振り切るシーンがなければ、そんなに目立たなかったかもしれませんね。そう考えれば、諸葛亮だって最初にさんざんわがまましてるから印象に残る(^^;;我も我もという連中は、勝手に動いたり要求したりするからこそ目に止まるんであって、命令に唯々諾々従っている連中は、どれだけ有能でも他にもっと有能な奴が現れれば取り替えられる部品にすぎません。多少能力が低くても、勝手だったりおもしろかったりする奴は、手元に置いておこうと思うもんです……って私だけ?(^^;;
そういう勝手な連中は、君主が定めたルールを超えて勝手なことをするわけです。命令に唯々諾々と従う連中だけだったら、組織や権限を分けてポストを作ってはめ込んだからといって、その権限以上のことをやらかすわけではなく、ルールどおりの行動を行うならばあえて君主の目に触れるような変わったことをするわけもなく、そうだとするならどれだけ定めてもやっぱり個性化なんてされません。細かくできることを分けて、武将がいろいろ自動的に動くことをもくろんで定めた中間組織ですが、権限どおりのことをするなら当たり前すぎて武将が報告にいちいち現れません。現れないなら全然個性化されず、個性化、自動化のためにあえて組織化したのに、やっぱり意味がないのです。当時の制度や組織を再現することで武将の個性化を目指していましたが、なんと、失敗なんでした。おどろきです!三Σ( ̄□ ̄;)
三国動乱では各武将が提言してくるんですけど、これも個性化を狙ってたんでしょうねえ〜けれどもたいていの発言が型にはまってしまっていて、かえって無視されてしまうことが多くなってしまうことが残念なところです。特に提言ルールがあるためになんらか提言させないといけなくなって、型にはまった提言が多くなってしまうんです。周瑜みたいな特別な連中が特別な発言を行って、たまにはっとします。これが当たり前の連中は何もしゃべらなかったら、かえってもっと提言が目立ったかもしれませんね(^-^)当たり前の連中が当たり前のことを言うから、ちょっと変わったこというやつがいたらおもしろいな、と思うんですけど、これが変わったこと言うやつだけが変わったこと言うなら、提言すること自体もっと目立ったと思いませんか?
かつてのボードゲームだって個別に特殊ルールを持たせることも多かったのです。他と違うことが個性なら、他と違わせればいいのです。みんな組織にはまったり、みんな同じように発言をしてしまうと、個性なんて出ません。すくない組織、少ないルールであっても、同じことを言ったりしなかったら、個性は出ますよね(^o^)詳細なルールをつくり、詳細に違いを定めても、しょせんは数値の違い、量の違いにすぎず、ルールを超えたところに質の違いが表れるのです。オブジェクト指向は個性化に向くので、これは後は実践あるのみですな(^-^)
それにしても、組織がなぜ必要かということから考えると、どんなすぐれた人物でも一人では物理的にやりきれないからなのです。そう考えていくと、プレイヤーがなんでもできる、なんでも指示したいというゲームについては、組織はやっぱり必要ないわけですね。最初からプレイヤー一人だけだと全部やりきれないというタイプのゲームであれば、組織化しなければならないことになります。で、たいていのゲームでは、武将はいないと困りますけど、それは優秀な兵器と同じ扱いなのです。武力70台のグループ、知力90台のグループという風に、それは巡洋艦か戦艦かというような違いであって、戦艦6隻というのと武力80台以上の武将8人というのとはそれほど大差がない。だから、武力70の武将がそれまでいくら活躍していようと、武力90の武将が新たに参加すれば、プレイヤー様は閑職にうっちゃるわけです。諸葛亮が参加したときに張飛や関羽が嫉妬していたのは、それに近いことを感じたからでしょうね。
そうではなく、能力が劣っていても、忠臣やら旧臣を使ってみようと思うと、あまりに能力が足りなくて反乱を鎮圧できなくなりそうになった曹操配下のようにえらいめにあいかけたりするわけです。それはいいすぎにしても(^^;;曹操にせよ、劉備にせよ、旧来の武将も大事にしつつ新しい武将もどんどん受け入れて使っています。袁紹は結局武将を使い切れないで滅ぶものの、あの数の武将がいたからこそ、曹操を圧倒しかけたともいえます。弱小軍閥のくせに劉備が生き残ったのも、大量に武将がついていたからでしょう。人徳のなせるわざ、といいますか、結局最後は生き残れる奴しか生き残れないといいますか…
あれこれ考えると、やっぱり優秀な武将を揃えることは生き残ることの条件として必要でしょうね。ただ単に余っていればいいというわけではなく、支配地域に応じて必要な人材量はことなりましょう。あれだけいたように見える劉備勢も、蜀を支配するには全然足りなかったわけですし、地方支配には大量の武将が必要であると考えられます。太守1人がぽつんといたらいいわけではないのでしょう。また、組織だって本当に必要ないかというと、組織化すればプレイヤー単独でなにかするより効果的とすれば、プレイヤーも自分であれこれするよりも組織化するでしょう。そうすれば大量の武将も使い出があります。
むむ、結局、身分や役職をつけることで武将を個性化するための組織は、本末転倒でそのために意味がなくなってしまっているのに対し、プレイヤーが1人でできる以上のことが組織ならできるとすることで、組織本来の役割や意味が生まれてくるし、結果として武将にも存在意義や個性が表れてくるという感じですね。うーむ、こりゃまた考え直さないといけませんね〜(@_@)
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