kr_ryo 徒然日誌 <2005年9月18日分>

三國志製作記113〜詳細に、詳細に検討するべし〜

ハードディスク、快調に動いています(^O^)けれども、我がVAIOの旧型USB1.1×2は、USBマウスと冷え冷えクーラーで埋まっていたりします。う……マウスはずす…?(~_~;)というわけにもいかず、常駐するところまでいきません(T-T)しかも、USB1.1の転送速度の遅さから、メインにすることもできず…というより、そこまで容量が足りないわけでもなく、まさに、すぐには必要でないけれども、あったら便利状態で、週に1度のフルバックアップ用途にとりあえずは使ってみる予定です。これまで月いちのフロッピー厳選バックアップから、週いちフルバックアップで、安定性が非常に増したと考えられます。やっぱり、ほしいけれども、すぐにほしいわけではないという予想通りの展開(*_*)

そんな中、三國志製作は順調に進んでいます(^O^)順調すぎて怖いくらいです(^^;A値替え、つまり武将の移動だとか、リストやマップから選択だとか、これまで非常に作りづらかったUI、ユーザインタフェースがオブジェクト指向であっさりできていきます。これまでの手続指向型プログラムでは……と、また話が長くなりそうなので(^^;ここはあっさりと。

たとえばリストから武将を選択し、移動を選び、移動先の城をリストかマップから選択し、移動させるというよくある操作があります。手続指向型プログラムでは、こういう一連の流れをかっちり順番に進むように作っていきます。武将を選択する流れ、移動を選択する流れ……じゃあ、途中で別のことをしたくなったときには?

これはキャンセルボタンか何かでそれまでの流れを変えたり戻したりする、という新しい操作を付け加えることになります……だから、新しいことをしたければ、その新しいことをプログラム上表現しなきゃあなりません。しかし、武将移動をやめて軍団移動にしたきゃ、軍団移動の流れに途中から乗ればいいじゃないか…それがオブジェクト指向では可能になるのです。実はいちいちキャンセルボタンを押さずとも、途中で軍団移動を選択すれば、軍団移動になる、と、まあ、そういうことができちゃうんですよね(^-^)作りやすいし、プレイしやすい、なんともメリットが多い仕組みです(^O^)

そうやってUI系はどんどんできちゃうんですけど、実はやっぱり止まるのです( ̄□ ̄;)何で止まるかというと、詳細が煮詰まってないんです。これまでえらく時間がかかって、そうそう、かつてはUI作るためにゲーム作ってるんじゃあねえべ!と嘆いて新しい言語Delphiに乗り換えた程であるUI、それがおそろしいことにあっと言う間にできちゃって、気がついたらもはや詳細部分なんです。そうすると、これまで曖昧にしてきた細かい仕様がまさにもう問題になってきました。

詳細部分とは、これまでいろいろ製作記で検討してきたルールの問題です。どういうゲーム仕様にしようか、というところです。たとえば、軍団が徴兵できるのかどうかという問題があります。これまでのよくあるゲームでは、城ごとに、城の兵とセットで、徴兵します。コマンドが城単位なので城の武将が兵を集めるわけです。当然それは実は、プレイヤー様が兵を集めて各武将に分配する、ということをコマンドでやっちゃうことになるわけです。

内政すらコンピュータに任せようとするくらいなのに、いちいち兵の分配まで口出しすれば、なんのための軍団長か、ということになります。それから軍団は太守の部下じゃあないわけですから、太守が集めた兵を太守から授けられるわけではありません。だからこそユーザ様がコマンドにて分配することになるわけです。しかし、そんなこと、ほんとは軍団長自らがすべきではないか?

と、そうすると今度は、軍団長自らが集めるのか、という話になります。一人軍団ならともかく、複数人の武将がいれば、そいつらが集めるわけでしょう。ただ、誰が兵を集め、誰が訓練するのかを……ここをユーザ様が指示するのでは、やっぱりコマンドの嵐になっちゃうので、軍団長が決めたい、と考えます。そうすると、徴兵水膨れ指向なのか訓練訓練訓練指向なのか、指向によらず徴兵は一定で、訓練は誰かがしているのか、訓練する武将は多ければ多いほどよいのか、何人いても一緒なのか、、、いろいろ詳細を検討していかねばなりません。いや、むしろ、検討も大事ですが、えいや!と決めることも大事かもしれません。

本来それは、物語やなんやらで、実体がわかってはじめてそれをシミュレーションすることができるわけです。しかしこれまでさんざん検討してきたように、実は物語では、そんな話はちっとも書かれていません。推測ができる程度ですね。内政や徴兵や訓練といった、日々の出来事、これはどうやっているのかは描かれません。訓練でいえば、たとえば張飛が厳しくしごいてまわり、そのツケで……(ToT)という最後のシーンがあります。それはまさに、張飛最後のシーンという異常な状況であったからこそ、物語に載ったわけであり、そうでない、普通の日々の訓練は載りません。

よくあるシミュレーションゲームでは、兵は各武将に分配され、各武将がそれぞれ訓練コマンドで訓練します。当然、忙しくて訓練できない外交内政系武将の兵の訓練度は低いままです。しかし、曹操や、後期の劉備なんかは、自分で訓練していたとは思えません。張飛だって、復讐に燃えていたからこそ&訓練が好きだからこそ、自分でしごきたおしていたわけであって、本来太守たる身、毎日訓練ばかりしている張飛のような人たちばかりではありません。

これは一武将一軍団相当の扱いだからこそ、一武将ごと訓練をしないといけないことになっているのです。しかし、日々の細かい訓練はもっと下級の将校が毎日やっているわけですし、軍団としての訓練であるならば、各武将がまちまちに訓練するんでなく、全体として訓練しないといけないでしょう。むしろ、軍団である以上、毎日軍団として全体で訓練しているはずです。軍団という集まりがゲームで表現されていないので、一武将づつ訓練という状況になるわけですね。そしてそれは、一武将づつがたまたま同じ城に集まっているから、固まりとして出撃させるというプレイスタイルになります。けれども、個別の武将の部隊づつ訓練したところで、総体としての軍団の訓練がなされてなければ、本来うまくいくはずがないのです。劉備軍が一騎討ちでは強いのに、集団戦では弱かったのも、軍団として統率されていなかったからでしょう。

と、まあ、こういう、物語に書かれていないことを分析して表現することが、どうしても必要になってきます。書かれていることなら、簡単に表現できます。たとえば大きい都市は洛陽だとか成都だとか、関羽は強くて呂布は裏切りやすいだとかです。しかし、徐州刺史としての劉備はどんな内政やってたんだろうとか、魏の対蛮族対策はどうしてたんだろう、とか、書かれていない内容は、なかなか難しくなります。書かれていない以上、好き勝手表現できるといえばできるし、おかしいな、と思うこともあるわけです。

しかしまあ、物語自体結構好き勝手、特に曹操や諸葛亮については好き勝手書いていますよね。曹操は極悪人だし、諸葛亮は超能力仙人ですし。結果は史実に反していないとはいえ、経過をとればなかなかの演出といえば演出、過剰といえば過剰(^^;A物語三國志は、読んでる途中でわけがわからなくなることがあるんですけど、そういう場合ってたいてい過剰演出なんですよね。いくらなんでも赤壁で負けた曹操を関羽が見逃すとか、劉備死後、魏が五路から攻め込むだとか、うーん、なんだ、諸葛亮絡みのところばかりじゃあないか(^^;A

それにしても、混乱した朝廷を建て直し、腐敗した政治を粛清した曹操がいたからこそ、漢はそれなりにまともに戻ったわけです。劉備が嘆いていたように、宦官やらなんやらで、もともと漢の政治はめちゃくちゃ状態でした。だいたい劉備にしても、とりあえず正規のルートで任命された平原県令(県尉だっけか?)の地位を勝手に投げうっています。徐州刺史の地位も陶謙から譲り受けていますが、それってよくよく考えれば朝廷に無断で勝手に地位のやり取りをしていていますしね。意のままにしていると批判されてるとはいえ、朝廷にお伺いをきちんとたてて行動しているのは曹操の方なんです。だいたい、曹操なくば、漢の朝廷は混乱したまま滅亡していたことでしょう。曹操が意のままにしていなければ、黄巾賊やら董卓やら、そうでなくとも十常侍やら好き勝手する連中ばっかりなので、混乱は増すばかり…

おっと、話がずれてきました(^^;Aこういう風に、まあ、物語に書かれていないことを適当に表現しつつ、その表現が物語の雰囲気を壊さないようにするのがなかなか、楽しいといえ、苦しいといえ(*_*)特に武将と武将との制度的な関係、つまり組織や日々の行動の表現がなかなか難しい、というより、これがメインなんですが、よくわからないんですよ。やっぱり物語はイベント主義、大きな出来事の場合しか話にならないのに対し、ゲームは日常主義、戦争やイベントといった大きな出来事の方が特殊なんです。ゲームで物語の雰囲気を味わおうと思ったら、イベント中心になってしまいます。…って、それはそれでいいのか(^-^)

どういうことかというと、内政や訓練といった出来事は各武将におまかせで普段は放っておくんです。プレイヤー様=君主がすることは、開戦だとか登用だとか人事だとか、大きなことだけにするのです。そうすればゲームなのに物語のテイストが味わえます……なんだか二代目のぼんぼんみたいなプレイになりそうですね(~_~;)そのままやってると劉禅のように諸葛亮におまかせでゲームが終わってしまったりして(^^;A

史実でも諸葛亮に完全におまかせしてても勝てなかったわけですし、曹操のような英雄ですら統一できなかったわけですから、そういう世界をゲームで表現し、プレイする…プレイの目的はなんなんでしょうね……そりゃあ果たせなかった夢をかなえるということでしょう。ということは、各武将におんぶにだっこではなく、プレイヤー様自ら天下統一に向けて乗り出す必要が出てくるでしょう。ということは、天下統一に必要なコマンドこそが重要で、内政や訓練それ自体を繰り返していれば統一できてしまうことではないでしょうね。天下統一に必要なコマンド……それを検討することがまさにそれが難しい、というより、それがわかれば、ゲームは簡単すぎますね(^^;A

諸葛亮のように仙術を使えたり、曹操のように文才があったりしても、天下統一にはあんまり関係がないようです(^^;;その彼らも、日々生き残るため、勝ち抜くための算段を常に考えていたわけでしょう。いろんな方法があり、いろんな人物がいろんなことをしていました。最後に残った彼らの方法が少なくとも最善だったとは考えられます。しかし、非常にオーソドックスです。兵を訓練し、食糧を蓄え、民を慰撫し、有能な人材を揃える……なんだかんだいっても、当たり前の「よき政治」を行えなければ、滅びるのです。なんとか残った者たちは、それなりによき政治を行っているのでしょう。相手に失点がなかったとすれば、後はよき量であり、相手の失点を待つことです。他のいろいろな英雄譚よりも何よりも三國志が人気が高いのは、混乱の中からよき政治を目指し、並び立ったからです。決して一方的でなく、模索を続けていったからでしょう。

反面、失敗したのは…傍若の限りをつくした董卓、成り上がろうとしすぎた袁術、部下の進言を聞かなかった袁紹や呂布、あくまで漢の刺史であって群雄でなかった劉表、結局何もしなかった劉璋…それに対し、優秀な人材を集め、民の声を聞き、安寧のために戦をし、敵の失点を見逃さない連中が生き残ったわけです。当たり前の統治をしたうえで当たり前以上のことをしなければいけなかった、それが人材登用や戦略に表れています。

また、時代の流れというものもあるのかもしれません。統一がすべてなのではなく、分裂は、それはそれで地方地方で独自の、その地方に応じた政治が行われます。中央集権は、うまくいけばすべての地方が同じように発展します。しかし、うまくいかなければ、中央だけが栄え、地方は収奪されるにまかされます。中央集権が腐敗して地方が疲弊すれば、分裂して力を蓄えることが必要になってくるのかもしれません。時代が変わり、これまでと同じ統治では中央集権としてやっていけなくなった時、あたかも突然変異が種の発展や生存に必要なように、分裂し、最適な政体が生き残る…中国は漢の後、晋や隋といった短い統一王朝が表れますが、結局は統一に適さず、すぐ滅びます。三国時代にはじまった分裂は唐まで延々続き、それまで延々よりよき政体の模索や変異が続いたとも考えられます。そう考えれば、簡単に統一できなくとも、よいか、と(^^;;;統一するだけが目的でない、よりよき政体を目指した模索にはまります……と、ちと詳細の検討のはずが広がりすぎて、全然詳細じゃあなくなってきました(~_~;)ここはちょっと頭を冷やして、また、考え直すとしましょうか。。。

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