kr_ryo 徒然日誌 <2006年2月5日分>

三國志製作記127〜戦え武将たち!〜

気がつけばあっと言う間に2月です(@_@)1月は急ぐ、2月は逃げるといいますが、まさにその通り(~_~;)この間読み終えた柴田錬三郎版三国志、それにしても、うう、これではゲームを作ろうという気にならない(ToT)吉川英治版三国志が儒教的英雄劉備の物語だったのに対し、柴錬版三国志は諸葛亮のための物語です。それも周瑜や曹操をむやみにおとしめる形での諸葛亮引き立てがとにかくくさすぎてちっとも感動しない(-_-)吉川版の、苦労するとわかっているのに理想という金看板を掲げて逃げ回る(^^ゞ劉備はとってもステキだったのに、柴錬版三国志では単に優柔不断になってしまってるだけ。いったいこれでは諸葛亮はどうして劉備についたのかまったくわからないのです。実像に多分近いはずの曹操ファンの陳舜臣版秘本三国志なんかでは劉備は完全に腹黒ですがまだその方がまし(^^;A

いずれにしても、劉備が魅力的だからこそそれに惹かれた諸葛亮が心血を注ぐというのならわかるんですけど、単に運命を達観しているだけの孔明はちっとも美しくない(-.-)そう考えると、私って、むやみやたらと主人公が清廉潔白で理想に萌え〜、いや、燃えるのが読んでてすがすがしい気持ちになっていいんですよね〜(^-^)宮城谷氏描く春秋戦国の英雄たちもそうですが、吉川版三国志がやっぱり一番よかったか〜(^O^)

もちろんそんなすがすがしさはゲームではさすがに表現できません。むしろいろいろ原作にひっぱられて自由な表現ができにくいという面はありますな(~_~;)当然原作の面白さがゲームのいけてなさを補うという面も当然あります。「関羽」という文字だけでイメージできるものはいっぱいあるはずです(^^;A

そのイメージ。物語ではエピソードが多く語られています。赤壁の戦いなんて本番の戦闘シーンよりはるかに多くのエピソードが語られています。反三国志がちっとも面白くないのはこのエピソードがまったく語られていないためです。対してゲームでは、前回お話したように、戦闘シーンが最大の盛り上がり場面です。だから個々のエピソードは戦闘シーン中に現れればいいんですけども、たいがいは個性を感じさせない殴り合いで勝負がつくだけです。もちろん通常シーンなんてこれまたたいがいは内政ボタンクリックに終始するだけです。個性、つまり他との違いが表現されなければ、単に能力値の違いでしかないことは、これまでも何度もお話してきました。もちろん能力値の違いは、まさに他との違いで、個性といえば個性です。ところが、じゃあ能力値が同じ奴同士は同じかというと、当然同じだったりするんですね(*_*)違いは名前くらい?さすがにそれではあまりにつまらない。

ところでシミュレーションゲームは、戦車や戦艦なんかの兵器による戦争ゲームとしてスタートしました。大戦略シリーズはこの出自を色濃く残しているわけです。この、戦車や戦艦、盤上に同じタイプのものが2ユニットあっても3つユニットあっても、個性がないからつまらないという気にはなりませんね。戦車にしてもタイプによって微妙に性能が違っていたり、対空戦車や自走砲など、そもそも用途も見た目もかなり違ってたりするものもあったりしますが、どれもこれもまったく違っておかなければ嫌だ、同じタイプは2つ持たない!なんていう気分にはなれません。むしろ、同じタイプを揃えたいような気がします。これは、戦車や戦闘機や歩兵など、用途も内容もまったく違っている中で、戦車はこのタイプで揃えたい、という感じなわけです。戦車と戦闘機というかなり違ったものが混在する中で、戦車どうしの多少の違いより、最高のタイプの戦車の同型種をとりあえず揃える方がかえって美しい、と思うのです。

そういう意味では、単なる能力値だけの違う武将の違いというのは戦車の車種の違いのように見えるんですね。関羽、張飛、趙雲…というより、関羽型武将3人、の方がきれいな気がする…(^^;Aこれはやっぱり、軍師型、豪傑型、文官型…というような明らかな違いがあるからでしょう。関羽、張飛、趙雲という個性が、たとえ微妙な能力の差異であっても、まったくの同型種でないので、むしろ違いがあまりに細分化され、微妙な能力の違いによってかえって個性が目立たなくなってしまったんじゃあないでしょうか。違いが多ければ多いほど、違いという刺激にマヒして刺激に反応しない。もちろんそれは、同型種が作れる兵器と違って人間が相手だから仕方ないんですけどね(^^;Aそれでも200人の200通りの能力値の差異より、8機種で200ユニットの性能の違いの方がより個性を表す、という気がしてしまうんですよね〜

じゃあ能力値以外で差異が表せれるかというと、たとえば発言や行動による違いということになるんでしょうね。ここまでくると確かに違いが生じているような気がしてきます、が、主役クラスのおなじみ三人組とか、周瑜とか曹操とか、個性がはっきりしている奴以外は、別に違いを表したからといってそれほどすごいことのようには見えない。むしろ、なんだかそれじゃあまるで、RPGのような感じになってくるんですよね(~_~;)RPGといっても、イベントを多用した派手な演出オンリーのあれとか、経験値稼ぎと揶揄されるあれとかではなく、まさに文字通りの役割という個性を演じる遊びの方です。シミュレーションゲームから(テーブルトーク)ロールプレイングゲームが派生したのは、もっと個性を強調したいという面もあったからでしょう。じゃあ本来のシミュレーションゲームの面白さとは、逆に個性追求ではないはずです。個性追求に徹すれば、ストーリーも限られてくるわけで、それではRPGになってしまいます。

では、シミュレーションゲームの面白さは結局どこにあるのかというと、ある状況における対応に頭を使うことです。もちろんこれは将棋や囲碁や麻雀、RPGだろうがシューティングだろうがみんな同じです。ゲームとは、意外に頭を使うことだったりするんですね。で、その「状況」や「対応」がそれぞれ違うだけです。シミュレーションゲームにおける状況とは、三国志でいえば、当時の社会情勢ですし、対応といえば、領土拡張です。劉備は途中まで状況を後漢朝復興に置いてましたので、露骨な領土拡張対応をしなかった。それはポーズだったのか、できなかったのかわかりませんが、結果として不利な場所における弱小勢力としてあっさりつぶされるのを免れます。領土拡張とか領土保全を選んでいたら、平原や徐州であっと言う間につぶされていたでしょう。最後に領土保全を選択した呂布は滅んでいます。曹操と袁紹は領土拡張に成功した口ですが、拡張の結果接近することで激突することになります。曹操と袁紹の違いは、接近するまでに中原に進んだか、辺境に進んだかです。袁紹が最初から中原を目指していれば、曹操は、劉備が曹操にされたように、中原から追い出されていたことでしょう。ところが幽州に向かい、その間曹操は中原に勢力を持つことができた。実際中原は、四方八方から狙われる位置にあるといえ、守るには不利な場所ともいえます。袁紹が後背の幽州を攻めたのも、後顧の憂いを絶つ、という面もあり、戦略的には間違っていません。まともに袁紹が攻めてきたら曹操勢力の中にも寝返り希望の者が続出した、らしい、ということが、袁紹滅亡後、密書を曹操が焼き払ったというエピソードからわかります。曹操が最初から圧倒的に優位だったわけではないのです。それでも勝ち抜いたわけです。で、これです。これがシミュレーションゲームの醍醐味です。不利な立場だろうが有利な立場だろうが、その状況で最善を尽くす戦略を練る。シミュレーションゲームのプレイヤーが君主というより軍師の立場に近い、というのは、戦略を練るということ自体が軍師の仕事だからでしょう。この時代までは、太公望や張良や諸葛亮といった、君主とは違う、知恵袋がいることが伝統になっていますね。かえって自分自身が君主でもあり知恵袋でもあるという始皇帝や曹操は割合悪役になりがちです。スポークスマンでもあった知識人の仕事が無くなるから、評判が悪いせいでしょうか?(^^;A

この手のお話は以前もしましたけど、シミュレーションゲーム、というよりゲームでは、自分が考えて戦略を練るから楽しいのであって、コンピューター軍師の言う通りにしていて統一できてしまったらゲームにならないのはもちろんなのです(~_~;)そういう意味では君主であるより軍師であることは、ゲームである以上半ば必然になってしまっています。ゲームで諸葛亮があんまりしゃべらなくても、それはそれで仕方ないのです。むしろ諸葛亮であることが求められてしまっています。だから本来、君主プレイより軍師(やその他武将)プレイの方が、ゲームとしてはむしろしっくりくるわけです。もっともそれに近いスタイルであるボーテックの銀英伝4が名作だ!という気になるのも当然なんですね。

だったら諸葛亮とか荀ケとか周瑜とか陳宮とか沮授とかでプレイできた方が楽しい、かというと、どうなんでしょう?(^^;A周瑜を除けば、君主が我を通したことによる失敗とか、最後は君主に容れられなくなって死ぬという状況を味わっています。周瑜にしても、孫策とは仲良しだったんでしょうけど、あっさり死んでしまってがっくりしている面もあったでしょうね。孫権と周瑜とでは、周瑜は孫策の遺志をなんとか実現しようというだけの義理義理な関係だったという話もあります……だいたい、曹操が攻めてくるとかでてんやわんやしているのに、呼ばれるまで周瑜は孫権のところに行かない、孫権にしても言われるまで周瑜のことを忘れてる、という、見ようによっちゃあ冷え冷えクーラーな関係ですからね〜周瑜が孫権のそばにいたのは、ほとんど数えるくらいの日数だったんじゃあないでしょうか?

もちろんよくあるシミュレーションゲームでは君主や軍師というある武将のロールプレイングをするんではなく、ある勢力全体の指揮を取ることができます。君主が存在しない戦場でも指揮をとれますし、たいていは直轄統治します。銀英伝4はそうでないからすごいわけですし、武将プレイのできるkoeiの三国志7、8、10なんてのもあります。が、シミュレーションゲームという面では、ある武将の立場というより勢力全体を指揮できる方が本来でしょう。というのも、三国志は本質的に内戦なので、各武将があっさり他の勢力につくことができてしまうんです。ヨーロッパを舞台にしたシミュレーションゲームならばフランス勢力とかドイツ勢力とかで、他陣営に寝返ることはほとんどありえません。言葉も違いますしね。そうでなくとも、たいてい他勢力に寝返ることは考えられない状況が多いわけです。銀英伝でもはっきり勢力が分かれています。太平洋戦争ゲームで、日本の巡洋艦がアメリカに寝返るとかはまったく考えられないことでしょうし(拿捕されることはありえるでしょうが)。ところが三国志では、寝返ってるんです。関羽張飛はもちろん、田豊にしても周瑜にしても諸葛亮にしても、多分寝返りはしないでしょうけど、荀攸や張遼や黄権といった連中はころっといってます。最後まで忠義を貫いてほしい連中というのはいるわけですけど、そうするとわけのわからん弱小勢力にたまたまついて、最後まで忠義を貫いてしまっていかんわけです。趙雲なんて物語でも脱出に苦労してますしね。とはいえ、そうならないために有名どころが弱小勢力にはつかないようにプログラムしちゃったら、弱小勢力ではゲームになりません(T-T)

そういう意味では、三国志はものすごく状況が入れ代わる物語なんです。徐庶や諸葛亮が加入するだけで劉備勢力がやたら戦略的になるわけですけども、あのまま諸葛亮が加入しなければ、劉備は今度は蜀に逃げ込むでしょうが、赤壁後に荊州は完全に呉に付き、三国志ならぬ二国志になっていたか、どうか。と、これがシミュレーションゲームの醍醐味でした(^^;Aとはいえそれが、諸葛亮の加入によって左右されるなら、武将の出入りは最重要事項です。ただ、それは物語ではそうなんでしょうけど、ゲームではそこまで強くなりえません。諸葛亮というアイテムを取らなければ天下統一できないRPGじゃあないわけですからね。諸葛亮がいようがいまいが、劉備勢力でプレイするならなんとかして勢力を広げないといけないわけです。で、そうすることは物語の雰囲気をぶち壊してしまうんですよね〜(~_~;)

曹操が強大化したのはコレクションした配下武将のおかげだけでなく、曹操自身の戦略によるところも大きかったでしょう。劉備だって孫堅だって、カリスマや戦略はあったわけです。特定武将がいなくちゃあならないかというと、必ずしもそうではないはずです。物語の雰囲気をぶち壊してでも荊州益州侵攻をするプレイヤー劉備が、曹操や孫権に後を突かれるかどうか、やっぱりそれこそがゲームの醍醐味でしょう。単に物語の雰囲気を演じるんでない、与えられた状況で最善の戦略を行うことこそがゲームです。だから終局的には反三国志のように戦闘ばっかりになっちゃうのも仕方がない、と。

なぜか劉備が曹操を撃退するどころか返り討ちにし、曹操の地盤を奪い、献帝を迎えて袁紹と戦い…していたら、曹操そっくりの戦略を取っていたかもしれません。おそらくゲームでもそうなるでしょう。特定人が智謀をひねり出してそういう戦略になったのではなく、その状況で最善の方法を選択したらそうなった、ということはあるわけです。そのひねり出しが特定人なら簡単にできたが、普通はなかなか発想できない、という違いでしかありません。この発想はある状況においてあくまでプレイヤーがすることであって、コンピューター武将が賢しらに口出しするもんではありません。やっぱりプレイヤーは軍師に近いものの武将とは離れた別の存在です。残念ながらシミュレーションゲームではキャラクター独自の個性はあまり生かせません。やっぱりコマにすぎないんです。高性能戦車か量産型戦車なのかの違いです。戦場で効率的に動くことができるか、とか、外交で成功しやすいかといった違い、性能能力の違いでしかないんです。ここでなまじ個性を出されても迷惑なのです。だまって働け、というところでしょうか。だから優秀な人材コレクターの曹操はまさに正しいプレイヤーでもあるのです。

だんだんすっきりしてきました(^-^)結局ゲームでは、高性能戦車や新型戦闘機開発に近い発想が武将捜索に現れているんです。兵器の性能の違いが結果に現れるか、武将の能力の違いの結果に現れるかでしかなく、さらに戦略級特有の、補給補充内政も自ら面倒を見るというところで兵器開発や兵力増強が行われる、と。あえて個性を押し隠し、強力武将として登場するんでなければ、張飛が劉焉の下で戦ったり、周瑜が曹操の下で司馬懿と競い合うなんてシーンは見られません。原作に関わらず、どれだけある状況で武将を使い切れたか、という方が重要であって、大量の武将が原作どおりの勢力であれこれ働いたからいいか、とか、原作どおりに展開したからいいか、というわけではないのです。原作どおりに進まなくとも、ゲームとして与えられた状況にどう対応したか、どう対応していったかということの方が重要です。その意味では、最近のゲームは、武将の量の割に、働ける、目立つ場面が少なすぎる気がします。つまり、やっぱり、余っているわけです(T-T)劉備勢力規模では、それでなくとも個性的な関羽張飛とそろうと、趙雲ですらたいていもう目立ちません。それ以下だとまったく忘れ去られるかも…(--;)

巨大勢力化するといやでも武将は余ってくるわけですが、だからといって艦数制限のように武将制限は設けられないわけです(^^;A結局武将余り現象は必然なわけでして、とはいえ勢力が広がれば接敵地も広がって、必然的に必要武将数も増えます。まあ、これは自然ですね。問題は戦闘です。武将のくせに開墾や治水ばっかりしていたら意味がないんです。本来もっと小競り合いも含め、戦闘が多くなくちゃあ武将が目立たないのに、内政ばかりにあんまりにもパワーを注ぎ込みすぎていたり、前線にのみ兵力を張り付けているがために1城の取り合いがほぼ死活問題になって、普段からの小競り合いにはなりにくのです。小競り合いなくいきなりの大競り合いになるから、それなりの連中にそれなりの準備をして、というような、上や下えの大さわぎになって、いつもの顔ぶれだけになったりします。それじゃあ武将も余るでしょう。逆にどんどん戦ってどんどん討ち死にすれば、もはや武将余り現象なんてなくなります…(*_*)って、そりゃあやりすぎでしょうけど(^^;A本来の物語ではそうでなかったですか?登場即即死なんて武将はいっぱいいたはずです。それがなんか知らないですが、たまの戦には能力不足で出ないし、内政ばっかりしているから、死なずに生き残って武将余り現象になる、と。

太史慈や典韋が死んでも悼みこそされ、勢力の屋台骨はゆらぎませんでした。郭嘉は後で後悔されますが、それでもやっぱり屋台骨はゆらぎません。諸葛亮の場合はかなり特殊ですが、それでもなんとか国は生き延びてます。武将の参加不参加、戦死寝返りがあまり勢力に影響を与えない、という方がゲームプレイとしてはやりやすいでしょうね。武将が足りないとかしょぼいから戦争できない、というのでは、やる気もそがれます。そういう意味ではかなり武将にウェートを置きすぎだったともいえましょう。武将の個性といい武将余り現象といい、武将の個性を重視する余り、かえって武将の個性を隠してしまったような気がします。確かに個性的で重要な連中も多かった、なれど、シミュレーションゲームでそこまで重視する必要はない、単なるユニットとまでは言わないものの、消耗品、兵器の一種くらいに考えていないと(一緒か(^^;A)普段から使えなくて、結局個性も消え、本質的な意味でゲームにもならない気がしますね〜!

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