kr_ryo 徒然日誌 <2006年3月12日分>

三國志製作記131〜お金は無限にはない〜

毎週、というより数日おきにショートカットランチャーLNKLNCがバージョンアップしていきます。どんどんパワーアップ&機能追加&仕様変更が行われ、(私にとって)使いやすくなってきています(^O^)今回とうとうコマンドプロンプトに情報を流すというインターフェースプログラムから、自力起動させる単独プログラムにパワーアップすることができるようになり、ついでにWindows9Xシリーズでもお使いいただけるようになりました\(^O^)/

それだけじゃあつまらないので、マウスでも使いやすいようにボタンを追加したり、履歴をソートしたり全消去したり、さらにはWindowsのログオフ機能もつけました!シャットダウンもつけたかったんですが、私の環境ではなぜかシャットダウンせず、もうちょっと勉強が必要なようです(*_*)

いよいよもってスタートメニューが不要になるはずのLNKLNC、ますますパワーアップに磨きをかけ……てたら、三國志製作の時間がなくなってしまいます(~_~;)今週も無理やりLNKLNCのパワーアップからひっぺがしての三國志製作記です(^^;;;

前回、具体的な兵数以外は兵数が妥当であることの指標にすぎない、ということを検討しました。そうなってくると、国力だけでなく、お金とか兵糧とかもそうではないか、ということに当然なってきます。まあ、そうですね。そうであるならば、いっそのこと兵力を単位にすればすべて一元化できます。兵糧10000という代わりに、10000人/月という感じですね…って、かえってわかりにくくなってますね(^^;

ところでお金や兵糧は蓄えることができます。が、徴兵できる量はどうでしょうか。よくあるシミュレーションゲームでは、基本的に国力がお金を生み、そのお金で兵を「買い」ます。兵を買う根本のお金が蓄えることができるがゆえ、お金の続く限り兵を買うことができてしまいます。確かに国力がお金を、お金が兵を増やすもとになるがゆえに、国力は兵力が妥当であることの指標になります。しかし、媒介のお金が蓄えることができるがゆえに、兵にせよ、代替の国力にせよ、いくらでも増やすことができてしまうんですね。ここにおいて、指標であるはずの国力が、実は兵力と分離しているものと考えられます。

金で何でも買えるとうそぶいたホリエモンは、想定の範囲内のムイチモンになってしまうでしょうが、ゲームにおいても、お金があれば兵も国力もいくらでも買えてしまいます。前回は国力をプレイヤーの任意で増やすことができるルールが、結果として国力と兵力の分離を招き、いかにもゲーム、という感を招く、ということを検討しました。同様に、媒介のお金がいくらでもためられることが、やっぱりいかにもゲーム、を招いてしまいます。

よーく考えたらわかりますが、お金は無限ではありません。お金が現実のお札や貨幣を超えてPC上の数値になっている現在ですら無限ではなく、いわんや当時は物理的な存在である銭や金銀でしか表せられません。かつてから何度かお話していたように、当時は銭で納税しないといけないのに、銭が流通していませんでした。というのも、シルクロード交易で金銀が国外に流出し、金持ちが蓄えるとすれば、交易の結果の珍しい物でなければ銭でしかない、という状態なわけです。となると、銭は流通せず、庶民はデフレの中納税に苦しみ、黄巾の乱に結びつく、ということになります。銭は作ればいい、というわけではないのは、今も昔も変わりません。むしろ、皇帝からして銭で官位を売るという状態なわけですから、デフレも極まっています。もっとも、官位を銭で買う人は曹操パパなどいっぱいいたわけで、あるところにはある、というのはこれまた今も昔も変わらないところです(--;)

それはともかくとして、銭の量が一定であれば、あるところにはある、けれど流通はしていない、というわけで、内政をすれば国力が増え、国力が増えればお金が増える、とは単純にはいかないはずです。おそらく、プレイヤー様がどんどんお金を貯めれば貯めるほど、市中の銭の量が減って、納税力は極端に落ちるはずです。お金が無限に増えていくわけではありません。お金がどんどん市中を回転して、見かけ上のお金の総量が増えているだけです。そこで、お金を流通させるために、諸国はお金を独占しているプレイヤー様に腹をたて、攻め込んでくることでしょう……

シミュレーション的には正しい内容ですが、お金の総量を決めてシミュレーションするという、なんだか銭のためのゲームになってしまって本末転倒もいいところです(~_~;)実際曹操もそうでしたが、極端に流通力が落ちた銭よりも、食べれる食料を重視するようになります。物納前提の屯田ですね。諸豪族も銭を蓄えるだけでなく銭を使わないように自給自足をはじめ、すっかり荘園制ができあがってきます。食料は食べて消えてなくなりますが、また生産すれば増えます。いっぱい収穫があればどんどん増えて蓄えることもできます。こうなると銭本位制から食料本位制というところでしょうか。

で、ここで兵力と食料が結びつきます。軍隊というのは食料を消費するばかりで生産しません。軍人による屯田、軍屯もありますが、それだったら農民を徴兵して戦争するのと対して代わりありません。まとまった兵力を整え、戦争している間はひたすら消費するわけです。また、徴兵されれば普通は生産力も落ちるでしょう。働き手が兵隊に取られるわけですからねえ。

と、いうことで、あんまりにも兵力を増やせば国力が落ち、兵力を維持できない、ということで兵力上限がシミュレーションできます。よかったよかった(^-^)しかし、じゃあ、徴兵しなかったらどうか、というところが今度は問題になります。国力が落ちないなら増えるのか?もちろん増えなかったら増えなかったで問題です。戦争して負けて皆殺しになったら、兵隊が帰ってこなかった土地の生産力はがた落ちです……って、じゃあ、徴兵されてもそのうち兵は戻ってきているのか?

たいていのシミュレーションゲームでは、いったん徴兵した兵を、兵糧不足や戦死以外では、解雇したりして減らしたりはできません。ところがたとえば諸葛亮には、敵が攻めてくると知らせがあっても、帰郷する順番の部隊は帰郷させようとした、というエピソードがありましたね。徴兵制であるからこそ、帰郷させてやらねばなりません。とはいえ、傭兵だとか専業兵士だとかはいるわけでして、それがだんだん南北朝時代には兵戸という身分になっていくわけです。

ただ、すでに戦乱が常態化した南北朝時代ならともかく、ようやく戦乱が始まった三国時代では、流浪のあげく専業兵士になった者も多かったでしょうけども、まだまだ基本は徴兵制でしょう。それも税としての兵役です。兵役期間が終われば帰農するはずです。生きていれば、ですが……いずれにせよ、一時的な兵、です。徴兵するばっかりで解散させないのは本来おかしいはずです。

とすると、逆に解散させれば、生産力は戻るはずです…何年も兵として取られていて、もはやいなくなったものとみなして他の働き手が出てきても、です。え、けど、そうなったら生産力は増えるんじゃないか?(?_?)

そもそも徴兵によって生産力は落ちるんでしょうか?男という男を根こそぎ兵として徴用すれば、確実に生産力は落ちるでしょう。ついでにそいつらが根こそぎ兵糧を食べてしまって、あっと言う間に兵糧不足で解散になるでしょうが…徴兵もさることながら、生産力も維持しなければ生きていけません。実際問題としてよほどのことがない限り、人手不足ぎりぎりのラインまで徴兵する、ということはないでしょう。余裕をもっているはずです。まずもって、徴兵された分だけの人手がなくて収穫が目に見えて減る程徴兵されて、民が黙っているわけはありません。黙ってるかもしれませんが、黙って逃げ出すまでです。逆にいうと、だから収穫が減っているのかもしれません。袁術だってそこまで無茶なことはしないでしょう。となると、徴兵の上限とするための国力という指標の減少ですが、この設定はかなり無理があります。たかだか数万の徴兵で生産力が落ちてたら、敗戦だけでなく、戦死が多ければ多いほど、あっと言う間に全国の生産力がどんどん下がりつづけることになりますからね。これがおかしいならば、そもそも最初から生産力が減少するほどの徴兵はない、とするか、数年で回復するほどの人口増がある、としなければなりません。

後者だとするとまさに、最初の問題そのものです。徴兵で生産力が下がる分が回復するペース以上に、徴兵がなければ生産力がどんどん上がってなければおかしいですよね。もちろんどんどん上がっていってもいいんですが、それではどう考えてもいかにもゲーム、です。だいたいなんのために生産力を下げたのか、意味がありません。

となると、生産力が減少するほどは徴兵されない、というのが普通でしょう。危急存亡の秋を迎えてなんでもかんでも兵隊に取っていけば、生産力が減少するペナルティがあってもいいでしょうが、普通の徴兵で生産力が減少したらおかしい、と。ただ、それだと徴兵をどんどんして兵力がどんどん増えてしまうことになってしまいます。そうなると、そもそもの出発点、徴兵により国力減という設定自体がおかしい、ということになります。あれ〜?

やっぱり徴兵即国力減ということ自体が短絡的、という感じはしますね。徴兵し続けることも国力がすぐ減ることも、また、すぐ増えることも、いかにもゲーム的です。とはいえなんらかの歯止めがなければなりません。歯止めがいる、逆にいうと、いかにもゲーム的な感じがでるのはどこか、というと、現実は有限なのに、ゲーム上数値上無限になっているところでしょう。たとえばお金の総量です。…というより、お金が無限であることが、兵力や国力の無限上昇を招いている、という感じですね。たまたま、初期状態はお金が少ないから国力も徴兵もその上昇をお金がないことが歯止めになっているのに、国力が上昇することでどんどんお金も増え、増えたお金で国力を上昇させ…という無限の成長が生み出されてしまいます。これです。やっぱりこれが原因なんです(@_@)

国力を単純に穀物生産力と考えれば、たとえばどんどん田畑を耕していったとすれば、それだけ生産力は上がります。その結果、人口も増えるかもしれません。ところが、国力が上がったからといって、そのまま銭での税収が増えるというわけにはいきません。まあ、とりあえずは増えるでしょうが、税収として入った分、市中に回るお金がなくなります。市中に回るお金がなくなれば、穀物はあるのに納税ができない、納税ができないから田畑を捨てて黄巾賊に参加する、と、まさにこういう話なんです。つまり、生産力が上がっても、お金は増えません。市中の穀物はあまり、穀物価格が下がり、銭の価値は非常に高くなる、これはデフレです。

かえって生産力が上がった分、多く銭で納税しなきゃならん、なのに穀物対銭換算レートが固定だったら、安い穀物の増が高い銭での大量の納税をしなきゃならず、まるで黄巾賊を生産しているようなもんです(~_~;)ゲーム上、生産力が上がったら食料だけでなくお金も増える、これがまさにいかにもゲーム的、なんです。増えるのは食料だけです。で、食料が増えても食料価格が下がるので、売っても銭は少ない、と。兵や米や金や、兵や鉄砲や馬のレートがあった懐かしの光栄の信長の野望全国版が一番それらしかったんです。もちろん、かの全国版は、国すら入札で買えたという、よくよく考えたら…考えなくともとんでもないゲーム的ゲームではありますが(^^;;;

もちろん新たな国を建て、自前のお金を作ればお金の問題はなくなります。もっとも、その新しいお金を喜んで受け取ってくれる国民がいて、の話。前漢以来の代表的通貨五朱銭が、それ以降どんな通貨を作ってもずーっと幅を利かせています。あなたの王朝の新しい通貨が悪貨でないことを祈ります(^^;;もちろん金や銀ならそれ自体値打ちがあります、が、これがシルクロード交易で流れ出てしまった、というのが前提。

うーん、さっき銭のためのゲームじゃないと書きつつ、やっぱりお金はシミュレーションしないといけないっぽいですねえ〜(*_*)というのも、国力だって穀物だって、それどころか人間だって増え続けることは可能です。当時3000万人の人口は、今や12億を超えています。食料生産力だってがんばれば増えるでしょうから、生産力指標である国力だって当然増える。石油がなくなるとか温暖化とか、成長の限界がさけばれている現代ですら、まだ成長しているわけですからね、この時代は成長が遅かったり下がったりするだけで、すでに限界になっていたわけではありません。

じゃあ成長しまくるかというと、戦乱はもとより経済合理的でない状態であったため、効率的に成長できなかった、ということがあるわけです。それがデフレと荘園制です。今までお話してきたように、お金が流通していないのです。市場が効率的になるだけの銭の量がなかった。その上貴族や豪族は、お金は貯め込んでできるだけ銭を使わない生活をめざし自給自足をはじめる、と。物物交換どころか、自給自足で足りてしまって物すら出回らなくなってきます。

君主だって皇帝だってお金がほしいこの時代…今も変わりませんが(^^;国力向上だってお金で人を雇うわけでなく、直接人民や兵で開墾させるわけですから効率が悪いのは間違いないでしょう。それも、君主がお金を得ようと思えば思うほどお金の入りは少なくなり、お金をばらまけば…他の勢力が持っていっちゃったりして(^^;;いや、ま、得ようと思うにはまず与えてから、というのはこういうところから来たのかな、と。

それにしてもお金の総量を限定する形でシミュレーションして、各城の国民と太守の持分、もちろん勢力の持分という風にしていくと、確かに、景気がよくなったり悪くなったりする、というのが実感できそうです。政府がお金を使って国民にばらまけば、単純に税収アップになるわけです。もちろんここで貴族豪族勢力なんてのを入れて、ブラックボックスのように貯め込んで出さない、結局税収アップにはつながらない、とか…ここまでくるとまさにシミュレーション!こうなってくると国力が上がっても税収は上がらず、どうやっても金欠、ということは起こりうるわけです。そうでなくとも、大貴族でもある我等がプレイヤー諸子がお金を貯め込めば、それで国民は金欠ですからね。

ちょっと考えてみましょう。国民がいるとして、お金の総量は変わらない、と。需要と供給によってお金で買える量は変わります。生産力が上がれば、物が増えるんですね。物が増えればお金の価値は上がります。1金で買える余った米の量が増えるんですよね。その1金で米を買わず生産力を上げることに使う、と。生産力を買う、と言ってもいいですね。そうすると、米の量はより増え、1金で買える余った米の量がさらに増える、と。

ところで、税収は金納です。金納の前提になるのは米の生産ですが、生産すればするほど米の価値は落ちていきます。需要を超えて供給していることになり、予定していた金納ができなってしまいます。そうすると、生産力を上げているのに、市場価格という見えざる神の手によって、税収が下がってしまいます。逆にいうと、生産力が上がっているのに、金での納税力は変わらない、と。米での納税力は上がってるんですけど、米の価値が落ちているので、米を金にすると下がる、と。

もちろん不作や疫病やなんかで生産力が下がれば、米の価値は上がります。金はかじってもお腹は膨れないわけですから、みな米を欲しがります。そうすると米の生産力は下がっているのに、金での納税力は変わらないことになります。

しかしながら、市場は行き過ぎるというように、金での納税力がぴったり同じわけはありません。不作がひどいものになると、米の価値が暴騰して金での納税力も増えたり、もしくは売り惜しみして金での納税が下がったりするでしょうし、豊作で米の価値が暴落してまったく売れず、金でのほとんど納税ができなかったりすることもあるでしょう。お金が正常に流通している現在の社会ですら市場は行き過ぎてバブルが起きるわけですから、お金の総量が少なく流通経路も限られているこの時代なんてなおさらでしょうね。

ただ、豊作不作だけでなく、戦争が起きるとか平和になるとかで米の価値がさらに変わることも考えられます。こうなってくると完全に経済シミュレーターで、まったくむくつけき武将の物語とは外れまくってきます(^^;;それでも、生産力の増で無限にお金が増え続けるわけではなく、お金の総量は一定で、豊作や不作なんかで米の生産量だけが変わる、ということになります。

お金の総量が一定というのは、税収も一定ということにつながります。屯田、とわざわざ特別にいわれているように、普通の納税は銭納です。屯田は物納なんです。普通の農民は、米の価値の暴落、というより、銭の価値が暴騰している中、無理やり苦労して米を売って銭納しているわけです。ということは、どちらかというと税収自体は一定ですね。農民は苦労しているけれど、税収は一定量である、けれども、その一定の税収はデフレで銭の価値が上がっているから、結局増税と等しい、と。

また、米は安くなっているから買いやすくなっている、と。ところがどっこい、税負担に耐えかねて農民が逃亡、黄巾賊に加入したりして農地が荒れます。逃げた農民からは徴税できないし、生産量自体が下がります。そうすると納税も減る。また、米も減るのでとりあえず適正価格にまで上がる。しかしそれは、経済規模縮小による需要と供給の均衡です。で、現在の我が国同様、減った税収を回復させるために純粋に増税しようとする。ますます農民の生活は厳しくなる、と。このデフレ不況下では、従来の税率やら税量やらを維持すること自体が悪政になります。革命の予兆がしますね…

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