kr_ryo 徒然日誌 <2006年3月19日分>

三國志製作記132〜お金もいらない?〜

ファン待望のkoeiの三國志11が出ました!!私にとっては、え、出てたん?ていうところですが(~_~;)さっそく箱を手にとってみると……何よりもプレミアムボックス版、内容物に「三國志X」CD−ROM2枚とあります。すごい!大koei様はプレミアム版三國志11に三國志X(10)を入れるんだ〜よっぽどXって売れなかったんだ…っていやいや(^^;;

しかし、いくらプレミアム版だからって、すぐ前バージョンを入れるのはおかしい、しかもXを入れてるなんてどこにも書いてないぞ……どうやら誤植のようです(~_~;)きっとXの時のファイルをそのまま使ったんでしょう。直前まで名称を11でなくてXIにしていて、多分いくらなんでもIX(9)と区別できんと思ったんでしょうか?でも、IV(4)とVI(6)の時はそうやってたんですから、まあ、あかんことはないんでしょうが…11の方がわかりやすいのは間違いありません。それにしても、互換性とかをよくご確認くださいとか書いているのに、間違えちゃあいかんところ間違えてますな。Xが入ってないじゃあないか、と言われたらどうするんでしょ?そんなこという奴いないか(^^;;

内容の方ですが……ないよう?(T_T)売りは3Dマップと3D一騎討ちですか。ルール的には新しいこととかどんなものなのかとかはまったくわかりません。内政なんて、3Dマップでできますとしか書いてません。戦闘シーンにこだわったんでしょうか?と、よく見たらまた君主プレイに戻ってます。まあ、戦闘シーンが売りで君主プレイでなければちっとも意味がありませんもんね。言われたとおりに動くだけですもの…3D一騎討ちだって、三國無双を作っている会社ならポリゴンとかきっと流用は簡単だったはず。むしろプレイヤーのプレイする無理な動きをさせない分、作るん楽かも…(^^;;

それにしても、この3Dマップで少しずつコマを動かす…なんだ大戦略じゃあないか(@_@)マップが3Dできれいなだけです。けど、3Dならコサックスだってエイジオブシリーズだって3Dです。リアルタイムでなく、じっくり考えることができる…それは売りなんでしょうか???

武将の個性化はますますRPG風、特技も100種類!原作でもそんなに特徴あったか?!というくらいですね。RPGといえば、まあ、一騎討ちはもともとRPGでも戦いだからまったく同じなんですけど、相変わらずの文官の舌戦システム、これ、前バージョンから継続したシステムですが、やっぱり文官の一騎討ちとしか思えません。そのうち3D舌戦が見られるかもしれません。これははたしてシミュレーションゲームなんですか??

なんだかなあ〜かつて三國志といい信長の野望といい、新しいゲームは新しいゲームシステムを搭載していて、どんなものかいつもわくわくしたもんですけど、だんだんゲームシステムがどっかで見たようなものばっかりになり、3Dとかで画像がきれいになっているだけになってきました。そういえばRPGのファイナルファンタジーシリーズとかもそうすかね〜!

ふーむ、あんまり参考にならんなあ…と思いつつ、さて、前回経済か何かかのごとくややこしい話でしたが(^^;結局ですね、いかにもゲームという感じにさせてしまうのは、無限にあるとされるものが現実とゲームとで違っているせいでした。無限でなければ上限が設けられます。そして、ゲームで設けられる上限はたいてい国力です。しかし、現実はお金ではないのか、と。増える経済需要に貨幣総量が追いついていないということが問題なのです。

もちろんお金自体を量産すればすむ問題ではありません。それでは単にインフレを招くだけです。国力を上げるには、効果的に税を配分してすべて市中に還元しないといけないのです。必要なところにお金を使う、と。それが堤防だったり灌漑施設だったり市場だったりするわけですが、銅雀台だとか万里の長城だとかになると国民の生産増にさほど効果がないわけです。いわんや戦争のためだと、ますます無駄遣いレベルが上がっていく、と。

無駄に使ってもお金は消えるわけではなく、どこか本当に必要でないところに偏在するだけです。そういう意味では税として徴収してまったく使わず貯め込むだけ、というのも偏在であり、無駄遣いといえば無駄遣いではありますな(~_~;)なんにせよ、使ってもうまーく循環すればいいんですけど、滞ったりするとどこかでお金が足りない、ということが起きてしまいます。こういうことを研究する学問が経済学、なんでしょうが…

とりあえず経済学でお得意らしい仮定と省略で検討してみましょう。各城や勢力が保有している、つまり支出可能なお金があります。これに対するは、農民や豪族などの市中の民、それから政府の中でも君主や武将などのそれぞれの個人的財産があります。君主や武将などに支払われる給料は、徴税対象外なら循環の枠外です。koeiの三国志8みたく、宴会やなんかで使っちゃったら別ですけど、それにしても連中が荘園貴族タイプなら、貯め込まれて終わりですね…

豪族だって、基本的には徴税の対象外です。前回もお話した通り、まさにお金を貯め込む貴族達です。敵対勢力共々討ち滅ぼせばお金も勢力の方に入ってくるんですけど、結局この連中は王朝を超越して南北朝時代を生き抜いてしまいますからやっかいです。まあ前漢以来の問題ですから、富の偏在は富の発生とともにありそうですな…ただ、たいてい地元豪族という存在だけではそのうち孫策にやっつけられておしまいなわけで、そういう意味ではそのうち勢力内豪族=文官武将という存在になっていくわけです。

となると、お金は武将の給料に支払われれば支払われるほど、総量が減っていくことになります。もちろん敵勢力もろとも討ち滅ぼせば財産は没収です。しかしそれまでは、お金の総量を減らす方向の存在だと。

城の民はどうかというと、農民も商人も一緒くたに考えれば、お金は増えたり減ったりするものながら、経済が活性化している城にはお金も物も集まる傾向にあるはずです。具体的には物資が集積しているところですね。その城で直接必要な以上に物資やお金が集まります。それを目当てに人や物が集まり、直接必要な物資やお金が増えたりして、自己増殖します。大都市、ですね。交通の要衝で人口を多く収容できる場所が候補地でしょう。ま、これは伝統的な大都市ですね。いずれにせよ、単純に人口です。

で、悪政でなければ普通にお金も物も増えていくはずです。ここで悪政とは、民の担税許容力以上に徴税したり、徴兵したりすることです。担税許容力は、今までのお話でもありましたけど、税量が固定であることが、許容限度を超える原因になり得ます。たとえば戸数×100銭ということであれば、6万戸あれば600万銭ということになります。これを毎年毎年同じ額で納めうるか、納めさせれるかが太守の実績ということになれば、人口が減っていようが不作だろうが、600万銭をかき集めることになり、悪政とされることになります。

なぜかゲームでは非常に柔軟に&悪政をしたくとも勝手に減少した量で徴収してくれます。本当の悪政とは、太守が民を無視して強引に徴収し、少ない額で朝廷に納めることです。酷吏の酷政ならば、強引に徴収した額をそのまま朝廷に納めるでしょう。善政の太守ならば、実情に応じて減税を訴えたり、窮民措置をしたりするでしょう。そういう意味では、ゲームでは常に善政が行われていることになるんでしょうね。毎年徴収額が変わっても平気ですからね……って、よくよく考えたらたいてい「内政」で右肩上がりですから、たまの不作イベントやなんかで減らない限り税額は上がる一方だから気にならないんですよね。実体は、下がるか、同じか、です。回復はなかなかしないでしょうね。

なぜかというと、生産力が落ちるのは、民が土地を捨てて他国や荘園豪族の元に逃げ込むからです。そうなってしまうと回復はしません。それなのに同じ量の徴税をしようとすれば、税額を(勝手に)上げなければ仕方なくなり、そうすればまた逃げ出す民が出てくるからです。税額を上げてまで徴収するのは、そうしないと朝廷から、あの太守は職務怠慢か横領していると睨まれるからです。そうそう、十常侍様への賄賂も重要な要素でした。嗚呼、ひどい時代です(ToT)

また、人口が徴税の基本ですから、日頃の国勢調査はかかせません。車もコンピュータもない時代ですから、人口を把握すること自体大変な作業だったでしょう…そうそう、紙もできたところでしたっけ?そうなると、不正確な人口台帳をもとに、戦争や盗賊や災害やなんかで流動する人口動静を把握しながら徴税や徴兵をしないといけない…言うは簡単、実際に行うのはなかなか大変な作業のはずです。

さらに太守が強欲だったり酷吏だったりすると、不正確な人口台帳どおりの徴税を下級官僚に命じるわけです。もはやそれだけの人口もいないのに、平気でもとの人口どおりの徴税を命じたりすると、下級官僚は悪代官にならざるをえない、と。嗚呼!

こうなってくると、徴兵より徴税の方がはるかに人口減、ひいては国力減を招きそうです。いくら多くても徴兵された兵は全土で100万人程度、人口が3000万人とすると3%です。さらに全兵があっと言う間に死に絶え、なのにすぐ補充されたり、ということはないとすれば、たかだか3%です。それも、まあ、一番の働き手とはいえ男、それも次男三男だったりすることも多かったりするわけです。ところが悪政に耐えかねての逃亡は、一家がまるまるいなくなりますから、よっぼど人口減量は大きいわけです。当時は現在と違って多産多死でしょうけども、10人子どもを産んでも人口爆発は起きないんです。一人っ子政策をとっても増える現在とえらい違いですが、それだけ早く多く死んでしまうわけですね(おかんにとっては悲しいことながら(ToT))。徴兵で多少減ってもあっと言う間に回復し、増えすぎると今度は食いはぐれてブレーキがかかる、と。

三国時代はものすごく人口が減ったとされますが、これは悪政に耐えかねての民の逃亡により、政府が人口を把握できなくなったことによります。我が国の律令体制崩壊も同じパターンでしたね。決して戦場で倒れまくったわけではありません。そう考えるとやっぱり苛政は虎よりも猛し、です。

さて、そうなると国力が減ったと認識し、それに応じた徴税量にしないと、本当に人口がどんどん減る悪循環に陥ります。悪政モードですね。減った人口は減ったお金と同じく国家の支配から離れて豪族貴族の支配下に入ります。結局これは封建制と変わらない感じではあるんですけど、まあ、古代中央集権帝国を栄光と考えるならば国力減の原因です。逆にいうと、国力:担税力は変わらない、ということが前提にあります。それなのにある城の徴収量が減っている場合、その太守を叱責するかどうか。ピンはねしているか実情に応じているのか。難しい判断です。怒られるのがわかっていてピンはねするわけがないから善政だ、というわけでもなく、単に君主をなめてるだけかもしれません。つかまるかもしれないとわかって横領する奴はどこにでもいますからね。で、実体はなかなかわからない、ということも、今も昔も変わりません…

徴兵はどうでしょう。徴税も徴兵も同じ徴という字であるように、これは税です。税だから、本来お金を払って雇うわけではないものの、担兵力というのがあるはずです。いらん兵をわざわざ徴集する必要はないものの、恣意的に集められればまさに悪政です。過大で恣意的な労役が秦を滅ぼしたんでしたよね。兵に取られるのも労役に取られるのもたいして違いはありません。って、大分違いますが(^^;;で、これも担税力同様人口基準で求められます。お金の量ではありません。村に数人とかそんな感じのはずです。篤実な政治を行っていれば、負担が公平になるように官僚ががんばるでしょう。そうでなければ男という男は根こそぎ引っ立てられるようなひどいことになって、結局皆が逃げ出して人口減を招くでしょう。

では、集めたお金はどう使うのか。官僚や兵士の給料はもちろんながら、無駄で豪華な散財にも使われます。とはいえもっともお金がかかるのは戦争でしょう。兵糧だけでなく兵器や復旧などの大量消費が待っています。それ以外にもお金は、道路等の建築や福祉やなんかにも使われ、市中に戻っていくはずです。ただ貯めればいいというもんではありません。問題は配分です。

となると、やっぱり内政が登場してしまいますね。もっとも、国力の絶対量の増加を企図したものではなく、もっぱら国力維持のために使われるのが関の山でしょうか。大量にお金を投下して一気に国力を上げる、というのは、国力が人口ベースである以上無理でしょうね。子どもを産み育てやすいまちづくり、とかいうようなのにお金を出してたら別ですが、おそらく今も昔も効果はなさそうです(--;

国力維持、といいますが、維持するためにはそれなりに使わなきゃならんのです。貯め込んだり、戦争ばっかりに使うと、市中にお金が出回らず、民が困窮することになります。お金は使ってこそ意味があります。使わないなら、民から取らない方がいいんです。減税の方が強制的に取り上げて再分配するよりはるかに景気回復につながるはずです。…と信じたい(^^;;公共投資はしょせん、有限のお金の行先を民から民という流れのバイパスとして、民→公→民としているだけで、何かが増えたわけではありません。まあ、富裕な民が蓄えているよりかは、公共施設を増加させた方が、民全体が豊かになる、ということはありえます。民間ではできない灌漑や道路や橋の建設などですが……それ自体即効性はないでしょ?

戦争は生産を活発にしますが同時に消費も膨大に行います。負けずに戦争が終われば一気に豊かになるのは、そのまま生産の結果が民間に流れるからです。負ければ生産施設ごと破壊されてたり、過酷な統治をされたりして貧しくなるのはもちろんでしょう。この辺のお金の使い方は消費ですが、とりあえず市中に還元されています。内需内政にお金を使うことも還元です。となると、戦争準備のためやなんかで貯め込むのが一番問題ですね。市中にあるお金は(豪族が貯め込んでなければ)市中でぐるぐる回っているでしょうが、政府にたまったお金は単に死蔵されてるだけです。無駄な工事でもして予算を使い切った方がまだましなのかもしれません。

ところがたいていのゲームではお金はどんどんたまります。兵糧がたまるのはいいんですけど、お金がたまるのは実は良くない。城から離れた中央勢力や朝廷なんかにいってたまったら、無駄遣いでもして市中に戻ればともかく、貴族なんかに取られてしまって市中に出なくなったら、ますます民が困窮します。あらら…いや、ゲームでのお金の貯まり方は市中から無限に吸い上げてることになっているからおかしいんでしたっけ?

いずれにせよ、意図的に無駄遣いするんでなければ、ゲームでは兵を整え戦争するか、内政するかしかありません。軍事に使うんでなければ内政に使うんでしょうから、無駄遣いをシミュレートするためにお金を用意するのでなければお金という媒介を用意する必要がありません。どういうことかというと、要は「お金」という要素はいらないんじゃあないか、ということです。

以前兵糧という要素がいらないんじゃあないかということを議論しました。結局、兵糧は足りるか足りないかであって、足りない状況を生じさせるためだけに絶対数値として用意する必要はないんじゃないか、ということでした。とはいえ兵糧攻めという戦法もあるわけでして、まったく想定しないというのはゲームとしてもどうかと思います。しかしたいていの場合、シミュレーションが足りず常にどこにでもありあまる兵糧があるので、かえって兵糧攻めができない、ということになってしまっていました。

同じように、お金も、国力や兵力や兵糧のそれぞれを媒介する、というよりは、貯める、という面が強すぎて、シミュレーションを阻害している気がするんです。本来使われて市中にいくはずのお金がどんどん貯められて、どかんと傾斜配分される。確かに我が国の戦後復興はこれで成りましたが、ゲームではシミュレーションが足りず、あまりにも効果がですぎてしまいます。お金→国力→お金→国力…という流れで増え続けてしまいます。もちろんそれで国力上限ルールが作られるんですけども、現実ならば国力の上限ではなくお金の限界が先に来るはずです。きっと金銀銭本位制から、信用貨幣が生まれてくるのももう少しです。

それはともかく(^^;国力や兵力や兵糧程度で要素が少なすぎ、お金が媒介するほどのものではない、というところが問題なんです。むしろ、戦争ゲームなんだから国力即兵力であっても下手すれば十分ともいえます。他に使う要素は内政や贅沢や無駄遣いくらいですが、内政は国力に戻るわけですし、贅沢や無駄遣いのシミュレートなんて、ねえ…

しかしながらシミュレーションゲームでは、建築物や技術や城や変わった兵種なんかに楽しく無駄遣いできることもおもしろさのひとつではあります。ただ、原野に街を作るコサックスやシムシティならともかく、そうでない三国志のゲームでやっても、レアな宝物とかにお金を使うくらいのアイデアしか出てこんでしょう?(~_~;)あれはあれで、かなりゲームって感じですけども…

実はこないだまで、税収がシビアで、下手に徴兵したら途中でお金がなくなって兵が解散してしまう、なんてルールにしてたんですけど、これ書いていて、また取り消しになりそうです(ToT)だいたい、中小企業と一緒でキャッシュがなくなれば即倒産です。限界より1でも兵が多ければ、次の収入月までの残り月数分の兵が途中で消えることになる、というはずなんですけど、実は、途中で必ず残高が0になり、全滅する、つまり、お金が足りなければ少しずつ減っていく、じゃなくて、途中で一気に全滅する、ということが判明して、こりゃあかん!と。

なんだかわかったようなわからんような話ですが、たとえば、8月に10の兵を雇い、120のお金があったとします。毎月1の兵が1のお金を消費するとしたら、ちょうど1年後に0になるとともに、収入があるのでとりあえず生き延びます。

ところが12の兵を雇うと、たった2の違いながら、10カ月目で120消費し、11カ月目には残り0なのでいきなり全軍解散となってしまいます。11ならなんとか兵を1減らした上で12カ月持ちますけど、なにかあれば消滅が待っています。ちょっとあまりにあまりながら、シビアにするとはまさにこういうことではあるんです。しかし、まあ、電卓片手に計算するのも邪魔くさいかな、と。

と、いう感じで、お金を抽象化すれば、もっと楽はでき、いかにもゲームって感じを減じることができるはずなんです、が、この辺を次回も検討していきましょうか…(~_~;)

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