kr_ryo 徒然日誌 <2006年3月26日分>

三國志製作記133〜誤りの大義〜

ううむ、作っては考え直しの三國志製作、やや考えすぎのような気もしつつ、ますますあっさりすっきりした感じのルールに驀進中です(ToT)だいたい君主が細かい計算なんてしてるはずはないんですよね。曹操だって最初の頃は兵糧切れをよくやってます。領土が増えお金や兵糧が増えれば、それはそれで、当然細かいことは考えてないはずです。そういう細かい計算をトップがするべきではなく、下の財務官僚がやるべきものでしょう。

プレイヤーが君主の立場ではなく、軍師の立場とするならば、諸葛亮がごとく、細かいことも考えてないといけません。細かいことをするのがシミュレーションゲームだとするなら、です。しかしま、終局的には物量でいくわけでして、その頃には大量の物資をどかんと突っ込めた方が勝ちですから、それまでのしのぎの時代だけ、細かいことをうんたら計算していく必要がある、というところでしょうか。

で、最後は物量であるからこそ、物量を確保するための国力増と資金の突っ込みの繰り返しがもっともいい戦略ということになります。戦争で城を攻めとるより、自国領を限界まで国力を上げている方が天下により近いのです。尾張一国を上限まで上げた方が、美濃を攻めとるよりも効果が高いのです。これがいかにもゲーム、という感じなわけです。

なぜそうなのか、というと、初期国力と上限国力との差が激しいからでしょう。で、なぜ差が激しいのかというと、国力を上げるべき内政があるからでしょう。内政をさせるがために国力が低く押さえられている、と。そうであるなら、とにかく内政をした方が、戦争するより効果がある、と。

しかし実際は、行政ができる国力向上なんてたかがしれています。国力は苛政で悪くなることはあっても、善政でものすごくよくなることはありません。悪くない、から、下がらない、また、評判を聞きつけて人がやってくる、という程度です。それくらいなら、四方を切り取って安全にした方が効果があるでしょう。なんといっても、攻めこまれないわけですからね。

さて、前回のお話のつづきを考えてみましょう。お金という要素はいらないんじゃあないか、ということでした。お金は任意の要素に使えるとはいうものの、結局は先程述べたように、国力向上やなんかの傾斜配分にしか使われません。って、私だけかもしれませんけどね(^^;;まあ、そうでなくとも貯めることができることは、バランスを崩しやすくするのは間違いありません。お金が国力、兵糧、兵の媒介物であるからこそ、それぞれのバランスを超えて突っ込むことができます。お金で何でも買えてしまうなら、お金を貯めるべきでしょう。

ところが国力。お金をかけたから上がるというのはあやしい発想です。実はなんだかよくわからない国力を、お金を使って上げる。上がるんですか?で、お金が増える。そんな効率的なことがすぐできるとは、いかにもゲーム、です。現実はよっぽど善政でも、税収が増えるような国力増はそうそう見込めません。政府に入るお金が増えれば増えるほど担税力が下がる、という話は前回まででみっちり検討しました(^^;

兵糧。お金で買えます。お金で買わなくても屯田で手に入ったりしますが、そもそも銭納が基本なわけで、そうすると兵糧なのかお金なのか、というレートの問題にすぎなくなります。いくらお金を兵糧に変えていたか、ということでしかないならば、最初から兵糧もお金も一致している方がまし、と、昔お話しましたね。

兵力。傭兵はお金で買えますが、基本は徴兵、つまり無料、なれど先程の維持費=兵糧がかかります。ということは、国力→お金:兵糧以上に雇うと、維持できなくなります。プレイヤーに計算させることで、必要以上の兵力を持ち、かつ、維持できなくなるという状況をプレイさせることも考えられなくはないですが、先程の、うまくいかなければ失敗させるというためだけの交換性であって、任意性というよりワナを張っているだけ、ゲームとしてもあまりよい方法とも言えません。

うう、そうなんです。結局ワナなんですよね。ワナというのがいいすぎなら、製作者側の意図に乗せるとでも言いましょうか。RPGの方がはるかにそうですけど、経験値稼ぎがいやだ〜と言っても、最初はスライムを倒しまくることからスタートさせられます。その意図に外れたら、ゲームにならないんです。同じように、よくあるシミュレーションゲームでは、最初は内政をひたすらしないと、ゲームにならないよう仕組まれているんです。お約束、というやつです。そこから外れると異常に苦労し、外れてもうまくいく方法があれば、裏技と呼ばれることになります。

問題は、それが任意であるように見えて、他の方法は実はほとんどない、ということです。経験値稼ぎをしないまま旅を続けることは、隣の街に行くことすらままならないままでしょうし、内政をしないでいたら、多分1回戦争して終わりでしょう。しかし、いくらなんでも隣の街にすら行けないような状況とか、ゲーム開始時点までは何もしてなかったのか?といえるようなひどい内政状況とか、まあ、最初からすでにおかしいわけです。何をしてもいいはずが、できること、しないといけないことは決まってるわけです。

で、それからはずれるとうまくいかない、任意に見せながら決まったルート上をたどらないと話が進まない。そんなゲームはやっぱりつまらないわけです。逆に、そのルートに乗ってしまえれば、どんな状況でもうまくいってしまうのも問題なわけです。内政をひたすらして、徐々に戦争して勢力を広げていけば最後は勝つ、ということであれば、武田信玄でも諸葛亮でも、寿命が後10年あれば天下を取っていたということになりますが、はたしてどうか?お約束に従えばお約束どおりにうまくいく、というのはゲームだけではないのか?

だんだん話が違う世界に来ました(^^;;話をずずずーっと戻しまして、兵力:国力:兵糧:お金のパラメータのお話。最初はお金を兵糧や兵力に突っ込むんではなく、国力につぎ込むことがお約束なんです。軍備はそれからです。それもバランスよくしていき、国力は不断に上げ続けないといけない。ボードゲームではたいていそれが逆で、国力固定の領地を戦争して取っていかないと、いつまでたっても強くなれない。どっちがダイナミックで現実に近いかというと、内戦である三国時代は戦争し続ける方です。戦争しまくった孫策が曹操を脅かせたのに、状況が落ち着いた孫権は反対に脅かされてしまったことを見てもわかります。曹操の状況が違うとはいえ、その曹操はその間ひたすら戦争し続けています。劉備だって諸葛亮にそそのかされて攻めまくったから強大化したわけで、それまでは領土を取るための戦争をしていないから弱小のままだった、と。

実はSWGだって、内政し続けるより戦争した方が勢力拡大には資するようです。生産力を4から5に1上げるだけで25も資金がかかります。そんだけ資金があれば戦艦が2隻作れてしまいます。あげくに25も使って成功するとも限りません。お約束説に従っていたはずの私の割に、意外と本質をついていたのか…(^^;;

深く考えずにSWG風ルールでマップを三國志のものにし、提督の代わりに武将を、戦艦やミサイル艦の代わりに騎兵や弓兵とすれば、あら不思議、できてしまいます(@_@)そういえばSWGも生産力が有限で資金が無限でした…って、あれの本質は資源なんで、まあ、無限でもそれ程問題はないんですけどねえ。

傾斜配分されるためだけだから、国力:兵力:兵糧の媒介物であるお金というものを廃する、とすれば、兵力と国力が単純にリンクします。人口が多ければ兵力も多いというわけです。減ったら減ったで時間をかけて補充する、と。ここで再びあの問題、兵力上限とはなんぞいな、ということになります。艦数上限が問題だったように、兵力上限も問題ではないか、と。

兵力上限は艦数上限よりも問題は簡単です。要は実は兵士は徐々に交代していっていると考えればいいわけです。満タンの兵士であっても、実は何年後かにはすべて入れ代わっている、と。徴兵なんだから、いつまでも従軍しているわけではなくて故郷に戻りつつ、故郷からは新しい兵士がやってきている、と。満タンとは、出る兵と入る兵が一致するところであり、その数以上に増やすことは、出る兵を制限するか、無理やり兵に取っているというわけで、なんらか問題が生じる、と。

逆に、戦争で被害を受けたら、出る兵が減るので増える割合が大きくなる、と。それをより一層増やすこともできるといえばできるけども、弊害が大きい、と。廃兵や老兵や幼年兵を入れるわけではなければ、単に徴兵の前倒しで、翌月からののびが下がるだけでしょう。その辺のバランスやプレイヤーの操作を含めて考えれば、お金という要素がなくともうまくいけそうです(^-^)

と、思いつきましたが、兵糧は、準備不足の兵糧切れを生み出すためのワナのためだけでなく、兵糧不足による戦争不可という状況にも使えます。曹操と呂布がなんどかそういう目にあってますね。兵糧は当然国力によります。これだって、いくらでも無限に蓄えられるわけではなく、古くなっていけば廃棄とか食べたりしつつ、新しいものが入ってきます。うまく古いものから使っていけば、増えていくはずではありますが、使用するか廃棄するかのマイナス要素があれば、理論上は限界点がありえます。入る量より使う量が多ければ当然減っていき、逆ならば使い切れなくなったころに捨てるわけでして、どっちにせよ限界点がありえます。もちろん管理が悪ければ、新米ばかり食べて、古古米は捨ててしまって、減りを一層多くしたりするわけです。だとすると、兵糧という要素はあってもいい気はしますね。袁紹も諸葛亮も兵糧切れで負けたことがありますし、曹操だって兵糧切れで苦心しています。

国力は人口ベースで、当然太守の内政能力で下がる方が確率は高いわけです。上がる、ということはほとんどないものの、理論上は上がり続けて12億になってもおかしくはありません。もちろん三国時代の数十年と限れば、増える量の理論上の限界はあるでしょう。

このように、兵力や兵糧や国力のそれぞれの要素は、理論上計算上の限界がありえます。お金は、流通貨幣総額という上限が最初から存在しています。だからむしろ、お金の方が上限があるのです。で、お金は媒介物であって、人口や兵力を増やすためにお金を使うということは、今あるものの場所を変えるだけであって、お金が無から何かを生み出すわけではありません。増えを加速させることはできても、無限に増やすことはできません。なぜなら、お金も有限、人や米の資源も有限だからです。

もちろんお金を無限と考えれば、無限に加速させることもでき、その辺が巷のシミュレーションゲームが無限の国力向上無限の資金増加を招来させてしまっているところです。お金をシミュレートしていない、と。

で、三国時代はデフレでお金が市中からなくなっていく時代だったと。そういう時期に無理にお金で媒介させるとおかしなことになります。経済が活発化してはいかんのです。お金や流通で維持された古代帝国が自壊し、荘園制が発展しようという時期、所有の移転にお金が使えないから奪い取るしかなくなり、放っておいても戦争しか手段がなくなります。戦争するか、自領にこもって気長に産物の成長を待つか、です。待ってられなければ、戦争するしかないでしょう。国家が万全なら、貴族として出世競争することで貴族制が発達し、国家が不全なら、実力でのし上がる、と。荘園制で生産力が大幅に向上するまで数百年、これが歴史の主流になります。

なんだか難しい話になってきましたが(^^;;要するに生産力向上を加速するお金が使えないという時代だから、戦争で量を増やすしかない、ということなのです。もしお金が十分に使えるなら、現代同様、戦争するより経済交易している方がいいわけです。それができないから戦争になってしまう、と。豊かになるのに、戦争するか、交易するか、というだけなのです。

不景気だから、小さく固くなり、景気がよいと広く垣根がなくなる、と。不景気だった三国時代、逆にいうと、不景気だからこそ、三国時代が成立したんでしょう。むしろ統一されるより三国あったからこそ、かえって強く、豊かだったのかもしれません。統一された晋は結局すぐに、呉のレベルになります。しかもそのまま数百年南北朝時代が続きます。統一は必ずしも大義ならず、しかしそれでも、英雄もゲームも統一を目指す…なかなか考えさせられるところです。

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