kr_ryo 徒然日誌 <2006年5月21日分>

三國志製作記140〜三國志が三國志たりえるか〜

再びプログラム製作に戻った三國志製作記、ところがまずやらなければならないことは、過去に作ったプログラムの削除でした…(T-T)というのが前回のお話。不要なところを深く探し出してざっくり削除…身を斬るをもいとはこのことぢゃ(ToT)

で、デザインパターンをもってなんとか修正しやすいプログラムを作ろうとしていたわけなんですが…………???なんだか作れません( ̄□ ̄;)いや、デザインパターンやらオブジェクト指向やら、そういうレベルではなく、なんだか、身体が重いんです…!!(x_x)

それよりむしろ、はるかにSWG2の方が作りやすいような気がする、ということを思う時点で、どうやらこれは、やっぱり仕様の問題なんだな、と気がつきました(*_*)仕様というより、性質でしょうか。どうしようもなく物語に漬かり、どうしようもなく光栄様の三國志に影響されているというか、むう、そんなところです。簡単に言うと、多分今想定している戦闘シーンといい、戦略シーンといい、武将がさほど目立つまもなく、ばたばた死んでしまうということが怖いというかなんというか。

光栄〜koei様の三國志シリーズって、武将はほとんど死にませんよね。寿命くらいです。初代三國志は突撃すると武力が低い武将はばたばた死んでしまい、捕らえることができないためにかえって突撃がしづらい感じでした。また、滅多に生産力は下がりません。これまた初代では、洪水や地震で壊滅状態になったり、武将が死んだりしていたこととはえらい違いです。だんだんだんだん、プレイヤーが積み重ねた武将や国力やお金は、減りにくくなっているという感じです。逆に、積み重ねる方法もどんどんどんどん複雑化して、細かくなっていってもいるようです。

手に入りにくいものほど、あっさり失われてしまうと非常に喪失感があります。内政やなんかも含めて武将は多く必要になり、内政内容自体も細かくなってコマンド量が増えると、失いたくない、減らしたくない、という守りの姿勢になってしまいがちです。戦争するのも、確実に勝てる状況でないと出撃させない、そういうスタイルができてしまいます。

やっぱりそういうゲームスタイルが抜きがたく染みついているのかもしれません。簡単に手に入れることも失うこともある、というシステムには、わかっちゃいるけど作れない、作りたくない気分になってしまいがちになっている、ようです(~_~;)特に三國志は、名前のある、背景のある武将がたくさん出ます。単純に言えば、劉備プレイで関羽や張飛が討ち取られたら、かなりやる気がなくなる、そんな感じです。が、討ち取られることももちろんありうるのがゲームです。

SWGで戦艦がミサイル艦に沈められるような調整した人物とは思えない発言ですが(^^;;名もなき戦艦がミサイル艦に沈められるのには抵抗がある人も非常に多いのも事実です。要塞の要望が多いのも、苦労して得たものを失いたくない、という思いが強いんだと思います。ミサイル艦みたく、あっさり生産できるものについて、簡単に沈みすぎる、ということは言われないのに、戦艦が沈むのはなかなかきついものがある。この辺が今回の三國志でも、簡単に死んでしまうようなプログラムを作っていることに見えない抵抗が出ている、というような気がします(*_*)

考えて考えてプログラム作って、プレイしてみたら、武将があっさり死んでしまうようなら、最初からそんなプログラムを作るべきでない、きちんともっと考えて調整して作るべし、と、潛在意識でそう考えているのかもしれません(--;)意識的にも、無意識的にもそういう考え方はありますね〜!これは、シミュレーションでもない、ゲームでもない、強い思いです。まあ、苦労して作ることになるプログラムが、どうせ思いと違って削除されるくらいなら、最初から作らずもうちょっと考えた方がまし、とでも思っているのかもしれません。むむー!

SWGなら特段問題はないんですよね〜星系にせよ艦にせよ艦隊にせよ、名前もなければ背景もない。歴史もなければ作るのにも沈めるにも抵抗がない。そう考えると、三國志は自分にとっては作るにも武将を死なすにも、あまりに思いが深すぎるのかもしれません。シミュレーション性にやたらこだわったりだとか、知っているゲームにどうしても近づいたりだとか、はたまたアンチテーゼな内容を入れてみたりだとか、一筋縄では作れない。それもこれも、思いが強かったから、と言えなくはないか?

思いが強いからいいかというと、この三國志製作記が延々続いているように、なかなかできなくなってしまっている、という面があります。やりたくてもできないけどなんとかしてしてみたい、つい深くシミュレーションしてみたくなる…こだわっているのは、結局物語と同じ展開にいかにしてするか、ということになることでしょうか。そのため、シミュレーションというよりゲームにすべき、といいつつ、ゲーム性を重視したととたん、作る気をなくしてしまったのかもしれません。うーむー!

歴史のないSWGなら、どういう展開になろうと楽しんだりできるんですけど、ありきたりに作れば、曹操のように、弱小から大勢力は普通にはなりません。そういえば劉備だってそうです。孫策は能力と領域の広がり具合がかなりいい線いきますが、水際たっているのは間違いありません。そうです。連中は必然によって大勢力になったわけではありません。権謀術数を駆使しまくってのしあがっているんです。普通に物量だけでやっていれば、袁紹や董卓が天下を掌握していてもおかしくありません。まあ、混乱が続きそうな感じではありますが…

プレイヤーにせよ、コンピュータにせよ、なんらかの手段をとっていたからこそ、物量と大領地の敵に打ち勝ったわけです。それが味方も物量を内政によって増やした、というのではないことは間違いありませんが、よくあるゲームではこれによって逆転勝利させています。そうではないはずです。いったい連中はどうやって勝ち残ったのか、そういうコマンドなり方法がなければ、ゲームとしてはともかく、シミュレーションとしては、いやゲームとしても勝てないならば、うまく成り立ちません。

ふむふむ、ゲームとして単純なコマンドを考えていましたが、なるほど、これは三國志が三國志たりえるか、という重要な問題だったようですね〜(@_@)なるほどなるほど、開発の手が未然に止まるわけです。

しかし、三國志の場合、三國志たりえる点というものは、実はそれ程難しくはありません。皆さまお分かりでしょう。やっぱり武将です。劉備に諸葛亮、曹操に荀ケと郭嘉、孫策に周瑜と張昭。と、武将というより軍師ですな。中国史はなぜだかこの、君主と軍師の組み合わせが非常に大事です。そしてゲーム化がこれ程難しいものもありません。なんてったって、軍師の智謀どおりにプレイすればいい、というようなゲームなんてやってて意味ありませんからな(*_*)攻略本見ながらプレイ、という以上に、ゲーム上で攻略の手順が出てくるようなもんで、何やっているのかわかりません。

そういう意味で、三国動乱の作者さんが言われるように、これまでのゲームはプレイヤーは軍師である、というのは、正しい見解なわけでして、むしろ、軍師としてプレイしなきゃゲームにならない、ということなのです。と、我が三國志が君主プレイ重視のあまり、軍師的要素を減らしたがゆえにゲーム性を落とした、というのも、これでわかります。

しかし、考えてみれば、曹操は自分が軍師みたいなものでしたし、孫策だって敵をばりばり打ち破ってこそ、劉備も諸葛亮が来る前は自分が軍師みたいなもの…と述懐させる物語作者さんは多いです。必ずしも軍師がいなきゃならんわけでもなく、いい軍師はいわば世界をより広げる、自分が二人にも三人にもなる、いい思いつきが早くなる、そういう面があると言えませんか。言ってみればCPUだけでもいろいろできるけど、GPUがあった方が描画が早い、とかそういう感じで(^^;そういう意味では、軍師をうまく使えなかった袁紹や、寝首をかかれた格好の董卓も、多少上手くやればうまくいっていたわけで、必ずしも軍師至上説ばかりが重要というわけでもありません。荀攸が逃げ出したように、君主がろくでもなければ、軍師だって働けません。

じゃあ、どういう君主ならいいか、というと、軍師の言うことを聞いてくれる君主…というなら単なる人形です(^^;;劉禅みたいなんがすごくいい君主!というわけです。あれ〜?!おかしいですね。

結局、君主は軍師に導かれるとはいえ、同じ何らかの方向性、軍師の意見を容れえる器量が必要です。器量と言っちゃうと手垢まみれですが、まあ、軍師がアクセラレータか、増幅器みたいな感じで、君主の指向をどんどん強めて早める、という感じでしょうか。だから軍師と君主の指向が合わないとお互い不幸になるわけでして、軍師の増幅がまったく使えないろくでもない指向の君主もいるわけです。呂布と陳宮なんてそんな感じでしょうか。陳宮が劉備の元にいれば、もっと働けたかもしれません。いや、どうでしょうか…?

と、君主と軍師論みたいになってきました(^^;;結局はですね、軍師がいるだけでは足りず、君主の意向指向がやっぱり大事だ、ということですね。それをゲームでどう表現するか、ということなんです。軍師のアクセラレータ、君主の指向、これをどうやって表現するか。どうすれば成功し、どうすれば失敗するか、成功した君主や軍師は何をしたのか。

なんだかビジネス書みたいな感じですけども(^^;;勝った連中にあり、破れた連中になかったことは、実は簡単です。積極的な侵略です。曹操はひたすら戦いまくりました。孫策だってそうです。劉備は最後にようやく侵略戦争をはじめましたが、そうでない時は皆さまご承知のとおりですね(^^;Aで、負けた連中。董卓は逃げ出したがゆえに運を逃しました。袁紹は最初はともかく、また、途中までもともかく、曹操に一戦して破れて以来、逼塞したことが失敗です。息子たちは内戦に明け暮れたがゆえに滅びましたね。呂布が恐れられたのは攻めこんできたからです。守る呂布なんてちっとも怖くありません。袁術は戦争したから弱ったのではなく、不釣り合いにも皇帝を自称したから人心が離れました。劉表が荊州の主になったのは孫堅と戦ったからで、滅びたのは守りに入ったからです。

なんと、実は攻めて領土を広げてこそ、勝ち残ったのです。もうこれくらいでいいか、と限定したからこそ、滅び去ったのです。劉璋になく劉備にあったのは、天下統一の志、すなわち積極的な戦争意欲です。同じ益州の主でも、劉備や諸葛亮が恐れられ、劉璋は侮られたのは、攻めてくるかどうか、ということです。諸葛亮の天下三分の計も、要は攻めこむ先を明示したにすぎません。守れとも、内政せよとも言いません。攻めろ、荊州と益州を抑えろと言っただけです。

そうこう考えていくと、やっぱり三國志も、戦争の物語なのです。軍師は、軍、いくさを起こしてこそ、です。天下統一の志とは、天下を攻めとることなのです。城盗りです。後はどううまく犠牲を減らし、効率よく攻め取るか、というだけです。内政云々、謀略云々も、すべて、効率よく攻め落とすためにあり、です。

ということはですね、武将を集めまくった曹操や孫策、とりあえず集まってきた劉備は、天下統一のために正しい方法を取っていたのです。優秀な将を集めること、それは強力な戦艦や巡航艦を生産することに似ているのかもしれません。さらには集めるだけでなく、きちんと使う。強力な武将が戦場に立つこともできずに朽ちる、それではいけないわけです。髀肉を嘆じているだけではいけません。攻めて勝たなければいけません。これぞゲームです。ふむ、特に方向性が間違っていたわけではなかったですね〜!(@_@)

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